第15話ライバル

 坂の上の林檎亭の朝は早い。日が昇りきる前に廊下に出された桶の交換をおこない、早くに出立する客のために調理場も仕込みや調理に大忙しなのだ。


 そして俺も、朝早くからはじまる物音に気がつき目が覚めた。


「クソッ。今何時だよ」


 スマホで時間を確認するとまだ五時を回ったばかりだ。昨晩はキグナスたちの艶めかしい行為のおかげで、寝付くのがかなり遅れた。

 いや、他人のせいにしてはいけないな。その証拠はシーツに残されている。

 だが、誰が否定できよう。美人のアリシアが、あんな声で、あんな事や、こんな事をしていると想像しただけで俺の息子は今も――やべっ。

 少なくとも異世界で初めての一目惚れは、たった一晩で失恋に変わった訳だ。


 後でキグナスに言ってやるんだ。「兄貴、昨晩はお盛んでしたね」って。

 そうでもしないと腹の虫が治まらねぇ。


 あと一時間もすれば窓から日差しも差し込むだろう。

 今日の予定は、キグナスの案内で街を見物して回る事になっている。

 その時に、俺の冒険者登録も行う。この世界では、商いをする者が登録する商業ギルド組合。冒険者が登録する冒険者組合。他にも、鍛冶師の登録する鍛冶師組合。大工が登録する大工組合といったように多くの組合がある。

 組合や団体があるのは日本と似ている。俺の場合は、腕に職がある訳じゃない。 なので、冒険者登録をする。異世界の醍醐味だいごみだからな。お約束ってやつだ。


 ふふっ。これで俺も冒険者だ。ぬか喜びをしてしまうが、まずは稼がないとな。

 昨日はキグナスの奢りで飯を食えた。しかし、現実的な所を言うと金がない。無一文の状態では、この先スラムの住人になるしかねぇ。

 そんな訳で、冒険者になって稼ぐことに決めた。


 ドアを開くと廊下には、新しい水の入った桶が用意されていた。

 その水で顔と髪を洗う。うん、井戸水だから冷たい。身だしなみを整えた後は、例のシーツを洗った。これで宿屋の人にはバレないはずだ。ふふっ。

 時間が余った俺はそのまま二度寝する。初日だというのに寝不足はいかん。


 ドンドン、と扉をたたく音に俺は飛び起きた。


「ったく。何時まで寝てやがる。もう街は動いてるんだぜ」


 恐る恐るドアを開けると、キグナスがサッパリした顔で立っていた。


「あ、兄貴、おはようございます。昨晩はよく眠れましたか?」


 えっ。お盛んでしたねって……何の事でしょう。

 美男美女の組み合わせなんて、お似合いじゃないですか。


「おうよ。商隊の護衛で一週間も出てたからな。やっぱここが一番落ち着くぜ」


「それは良かったですね。で、すぐに出かけるんですか?」


「まずは、飯を食ってからだな。食ったらすぐに出るから支度しろ」


 昨晩、艶めかしい声を出していたアリシアもキグナスの後ろに居るが、なぜか顔が赤い。風邪でも引いたのだろうか。冷え込む夜中に裸じゃな。さもありなん。


 食堂の椅子に腰掛けるとすぐに定食が出てきた。

 朝は混み合うので、日替わり定食しか扱っていないらしい。他のテーブルでは朝だというのに特大ピッチャーでビールを飲んでいる客もいる。格好はキグナスと似ている事から、きっと冒険者だろう。


 定食を食べ終わり、一息ついてると、さっき目にしたビールの冒険者から声があがる。どうやらキグナスの知り合いだったようだ。


「よぉ、キグナス。相変わらず商人の護衛なんてセコい依頼やってんだって」


 男はバカにした口調でキグナスを冷やかす。


「アイザックも、まだ豚のケツ追っかけてんだってな。全くいい趣味だぜ」


 キグナスも負けずに応戦する。一言でいうと、どちらもがさつだ。だが、冒険者のソコがいい。男はこうじゃなきゃ。


「何だってぇ。もっぺん言ってみろ。金持ちのご機嫌取りしか出きねぇヤツが」


「依頼を完璧にこなすのが冒険者だ。そして依頼を出すのは貴族、商人である以上守るのは当然だろ。


「おめぇのは一々鼻につくんだ。アリシア、こんな腕も上がらねぇヤツよりうちのギルドに来いよ。俺が守ってやっからよぉ。ひひっ」


 テーブルを二つも挟んでいるのに声がハッキリ聞き取れる。デカいのは声だけじゃない。体つきもキグナスと大差ないくらい大きい。これが冒険者か。


 しかも、アリシア目当てとか……昨晩のアレ聞いたら悔しがるだろうに。


「ふん、何とでもほざけ。いつまでもCランク止まりじゃ金にならねぇからな」


「金持ちのご機嫌とって昇格しようってかぁ。ふざけんな!」


 アイザックと呼ばれた男はキグナスを睨んでいるけど、キグナスは柳に風、暖簾のれんに腕押しといった感じだ。テーブルに銅貨数枚を置くと立ち上がる。


「さぁ、タケ。行くぞ」


 俺はキグナスに続いて店を出る。後ろでは、「新しいギルメンかぁ、キグナスなんかに付いていったら碌な事になんねぇぞ」とか、「あとで後悔させてやる」とかほざいている。しかし、冒険者にとってこれはいつもの日常風景。

 キグナスは気にするそぶりもなく、颯爽さっそうと歩き出した。


「兄貴、今のヤツらって……」


「なぁに。会えばヤジを飛ばし合うそんな間柄だ。気にすんな」


 この時は、やっぱ冒険者ってすげぇな。漢だぜ。そう思った。俺の知らない世界。これから俺の歩む道。そう考えるとワクワクしていた。


 その後、キグナスお勧めの店を何軒もはしごした。次の店はと期待に胸を膨らませていると、一番好奇心をそそられる店を紹介される。


「次は魔法師の店だが、どうする、行ってみるか?」


 いや、異世界に居てその店は外せないでしょ。ロマン溢れる魔法だぜ。


「勿論、見に行くっすよ」


 キグナスは俺の返答に呆けた面持ちを浮かべる。何かおかしな事を言ったかと考えていると、その理由はアリシアの口からもたらされた。


「ふふっ。キグナスはタケくんに魔法適性がないと思ったのよ。そもそも普通の人に魔法は使えない。だから魔法師の店には行かないだろうと思ったの」


「あぁ、その通りだ。実際に俺もアリシアも魔法は使えないからな」


 へぇ。俺は簡単に回復魔法を覚えたけど、普通の人には使えないのか。それならこの世界でも楽勝かな。案外、仕事には困らないかもしれない。でも、それは楽観が過ぎるな。詳しく聞いてみるか。


「それって、魔法の威力が弱いって事ですか?」


「そうじゃないわ。人間に備わるマナは非常に微量でしかないと言われているの。だから宿の明かりも油を使うし、お水だって井戸から汲み上げる。人族の嵯峨ね。内包するマナが少ないから魔法は使えない。もっとも、まれに膨大なマナを内包した子供も生まれてくるけど、今は省くわね。とにかく内包するマナが大きければ魔法だって使えるはずよ」


 普通の人は体に内包するマナが少ないから魔法は使えない。

 五ワットしか発電できない電気ウナギが、三十ワットの電球に電気を流しても点灯しないのと同じか。使えないのが普通だから魔法の店にも行かないと……。


 なるほどね。魔法師は貴重な存在という事は分かった。


「まぁ、タケに魔法適性があるなしは置いといて、じゃ寄ってくか」


「はい。勿論!」


 十万ポイントためるよりも、簡単に魔法が覚えられるかもしれない。魔法が使えるようになったらリスナーたちを驚かせてやれる。ここは行くしかないでしょ。


 この時の俺は有頂天だった。


 その先で、何が巻き起こるのか予想もできずに。

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