エピソード1 マジカルガール・フォーリング

 新緑の芽吹く初夏の午後、とは言っても梅雨入り宣言もされてどんより曇り空。来月の中旬には二十歳の誕生日を迎えようと言うのに、あの鈍色の空と同じで俺は晴れない気分だった。


「刺激が欲しい……」


 部屋の中央に寝転がり窓から空を見上げ呟く。具体的になにがしたいと言うわけではないがそう思ったのだ。毎日の大学の講義も、はっきり言って将来の自分にとってどれほど意味のある物なのか、それが見いだせないままダラダラと出席印だけを押して貰いに出ているだけ。いつしかそれもめんどうくさくなっていって、もう1週間以上も講義には出ていない。いっそのこと休学でもしたほうが良いのだろうか、したところでなにをするというわけでもなく、学校に行かないのであれば就職しろと親からの仕送りも止まってしまうのが関の山だろう。


 そんなことを考えながらゴロゴロしていたのだが、お腹がぐーっと音を鳴らす。なにもしていないのに腹だけはしっかりと減ってくれる。人間と言うのはなんとも不便な生き物だなんて思いながら、重い身体を起こして台所までのろのろと這って行くのだが、冷蔵庫の中には三日前に作った水出し麦茶とマヨネーズしか入っていなかった。


「うわ、駄目だこの麦茶もう腐ってる。めんどいけどコンビニ行くかぁ」


 マヨネーズだけでは腹を満たせないので渋々買い物に行くことにした。

 俺の住むアパートは一階部分と二階部分に6部屋ずつ、内一階の一つが大家さんの部屋になっている。俺の部屋は二階の205号室、玄関の鍵を閉めて階段を下りていくと丁度大家さんが箒を持って出てきたところであった。


「あら田中さんこんにちは。今日はお休みですか?」

「こんにちは大家さん。教授が出張らしくて休講になっちゃって」


 まあ嘘ですけどね。


 大家さんは背中まで伸びたさらさらの髪を揺らすと、そうなんですねと薄紅色の唇をキュっと上げて笑みを浮かべた。


 二十代前半でこのアパートの大家さんをしているという木紫藤きしどうすみれさん。若い身空で未亡人とかべつにそういう設定もなく。ただ単に代々アパート経営をしてきている親からここを継いだだけらしい。

 こんな綺麗な人が大家さんをやっているアパートに住めるなんて俺って超ラッキーだね。


「遠くまでお出かけなら傘を持って行ったほうがいいかもしれませんよ」

「えー、降るんですか? でもまあ、ちょっとそこのコンビニに行くだけなんで」

「そうですか、あまりコンビニ弁当ばかりだとお身体に良くないですよ。たまには自炊されて栄養バランスの良い物を食べてくださいね」


 アパートの管理だけではなく、住人の健康まで気づかってくれるなんて。なんという素晴らしい人なんだ。やっぱり美人だと性格まで美しくなるんだろうな。

 これが漫画やアニメだったら一人暮らしの学生の食生活を心配した大家さんが、多めに作っちゃったのでよかったらどうぞ、なんて肉じゃがなんかを作って持って来てくれて。そこから二人の距離が縮まったりしてなんて展開があるのだろうが、まあ現実にそんなことが起こるわけもなく結局今日も俺の食事はコンビニ弁当オンリーになるのであった。





 ―― 夢を見ている ――


 俺はゆっくりと目を開けると、ゆらゆらと揺蕩う水面を見上げて何もしない。

 なぜこれが夢だと分かるのかと言うと、もう子供の頃から何年も見続けている夢だからだ。小さい頃は熱なんかにうなされると見る夢の一つであった。それが毎回続くもんだから不思議に思い、恐怖よりも好奇心から色々自分で調べたこともある。不思議の国のアリス症候群の一つかもとも思ったが、まあ専門家でもない俺にわかる筈もなかった。


 とにかく奇妙な夢だった。決まって俺は薄暗い場所で宙を漂っているのだ。宙と言う表現は少し間違っているかもしれない。これは水中だと思う、仰向けになって見上げる空はぼんやりと霞んでいて差す光も遠く見えた。次第に体は沈んで行くのだが、空に手を伸ばすと誰かがそっと掴んでくれたような気がして、グッと引き上げられたような感覚と共に目覚めると言うのがお決まりのパターンだ。



「ふぁ……」


 俺は欠伸を一つ吐くと眼を擦りながらスマホを探す。


 時刻は深夜0時52分。


 弁当を食べ終わった後少し仮眠のつもりがだいぶ寝てしまったらしい。一日中ゴロゴロしているのによくもこんなに眠れるもんだと自分で自分に感心する。

 今日もまた、このまま朝までコースの完全夜型生活。まあ気楽な一人暮らし、誰に咎められるってわけでもないし、明日こそは本気を出そう。なんて思いながら冷蔵庫に麦茶を取りに行こうと立ち上がったその時。


 がっしゃああああああああああああああああんっ!!


 背後で何かが割れる大きな音が鳴り響く。


「なっ!? なんだあああああああああっ!!」


 声を上げながら振り向くと窓ガラスが砕け散り、窓枠ごと床に散乱していた。

 そしてその手前にもぞもぞと動く大きな塊。なんだこれは? なんか変な生き物が飛び込んできたのかと身構えていると、その塊からむくりと人の顔が飛び出す。


「こ……こんばんは、夜分遅くに……すみません。こ、ここは……田中……かずきさんのお部屋でよろし……か……」


 言い終らない内に倒れ込み、気を失ってしまったのは見知らぬ女の子であった。


 親方、空から窓を突き破って女の子が落ちて来たよ。



 つづく。

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