【論文抜粋記事①】

・愛知県立東三河第六高等学校 三年二組 ゴロウ・イソベ著 

  個人研究中間報告【近代のCO技術の起源】より抜粋


 二〇八八年、科学者、シュンイチ・マナベによって人類は大きく進化することとなる。

 彼が手掛けていた研究は、脳の神経細胞から人体へ送られるシナプスの解析であった。

 当時、日本は様々な国内外の問題により、先進国から外れかけていた。

 国内の人口低下に伴う税収の低下。

 少子高齢化に伴う社会福祉費の増化。

 長期にわたる無計画な国債の発行。

 政治家の不祥事多発における政治の停滞。

 第三次世界大戦と、それに伴うオイルショック。

 被災地となった旧都東京の復興。

 そして諸条件が重なったことによりおきてしまった金融危機。

 後のない日本にとっては、最後となる国家再生プロジェクトを計画した。そして、彼の研究が選ばれたのだった。

 後に、『イザナギプロジェクト』と呼ばれるようになる。

 このプロジェクトは、国家財政の苦しい中、莫大な予算と人員を必要とするものであった。当時の最新鋭スーパーコンピュータを何数十台と各分野で名を挙げている研究者、百余名が研究の助手を務めたが、それでもなお、十数年に及び検証と実験を繰り返す事となった。

 プロジェクトの実施は、国民に対し、極秘裏に進められた。

 不景気と重税に苦しむ国民にとっては、何年先になるかわからない研究よりも、今日の生活が大切である。多額の研究費を税金から捻出することを認められるはずがなかった。

 しかし、人の口に戸は立てられぬ。

 年を経るごとに、政府のプロジェクトは、国民の間で、発信元のわからない噂として、まことしやかに囁かれるようになっていった。

【国家の陰謀!消えた巨額の税金の行方は?】

 ある雑誌社が、そんな見出しのスクープ記事を掲載した。研究所に研究者に連れられて入っていく総理大臣と財務大臣の姿を撮影されたのである。

 事実が公になると、国民の不満は爆発した。

 与野党の共謀によりプロジェクトが進められていたことも公になり、国民は過去最大の政治不信に陥ることとなった。所在地の判明した研究所はもちろん、各省庁や県庁、国会議事堂などで大規模な抗議デモ活動が発生したのである。

 抗議デモは一年以上にわたり続き、国の機能はマヒしていく。

 もはやこれまでと、政府がプロジェクトの続行を諦めかけたその時、ついに彼ら研究者たちは、プロジェクトを結実させたのであった。

 およそ不可能と言われていた、百億におよぶ全シナプスの解析の内、実に九十八パーセントの解析を終了したのであった。

 これにより、今まであいまいであった脳の指令メカニズムの全容を把握することに成功したのである。

 政府の発表は、マスコミを中心にかつてないほどのスピードで行われた。

 研究内容の開示、それに伴う新技術の開発、収益方法と予測。併せて、五十五パーセントまで上がっていた消費税やその他税制度の撤廃と大幅な軽減が議決したこと。それらが異例の早さで執行され、十日後には新税度を適用できるようになることを告知した。

 はじめは半信半疑であったマスコミや国民だったが、本当に執行された事により抗議デモの大半は沈静化したのだった。

 これを機にマスコミの対応は一転する。今まで政府を批判し続けていた報道各社は、ニュースや特番で、多くの専門家たちと技術の使い方などを模索していた。どの専門家たちも、このプロジェクトの有益性を認めていた。

 その後、イザナギプロジェクトの成功は、数々の恩恵を国民にもたらすこととなった。

 国家予算の多くは、プロジェクトによる収益で賄われた為、税率は世界で最も低く、社会保障費は世界で最も高い国へと変化したのであった。

 国内企業は、技術の優先的な使用権が認められ、医療、工業を中心に大きく発展することとなり、世界経済において大きなアドバンテージを持つこととなった。

 その後、日本は医科学を中心にして大きく発展していく事となった。

 二十一世紀末期には、世界の優秀な医科学研究者はこぞって日本に集まってきていた。

 ある者は、自らの研究意欲を満たすために。

 ある者は、一攫千金を夢見て。

 またある者は、母国の指令を受けて。

 そんな科学者の中にもう一人の天才、テッド・ペッカーはいた。

 彼の研究は、脳内で記憶を司る部位、海馬の研究であった。

 この頃には、先の研究成果により、海馬内での記憶の伝達や蓄積構造は、すでに解明されていた。その技術を利用した、人口海馬の研究を進めていたのが彼であった。

 しかし、彼の人口海馬の研究は、ラット実験の成功以降、なかなか停滞していた。それは彼の母国から、次の大型哺乳類実験の許可が下りなかったからである。

 イルカやクジラ、果てはサルにまで進める予定だった研究は、主に宗教的理由から、許可が下りなかったのであった。

 そして彼は母国での研究に見切りをつけ、日本へやってきたのだった。

 第二次大戦以降、日本に国家宗教はなく、人口の八割弱の国民は、無宗教となっていたからである。このことは、日本で医科学が急速に発展した理由ともいえた。

 二一〇五年、テッド・ペッカーはプロジェクト合流後、わずか数年で人口海馬による記憶のレコード技術を確立し、Rデバイスの開発に成功したのであった。

 そして現在、二人の天才が生んだ技術は、世界を動かす程の技術となっている。

 『MRS(Memories Record System)』と『COT(Cybernetic Organism Technology )』である。

 半世紀を過ぎた現在では、日本国内ではごく当たり前の技術となっているのだが・・・・

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