第二章第九話

 最奥の牢屋には壁と手首を鎖で繋がれたアルミラがいた。ハヅキに気づいた様子もない彼女は項垂れたまま動かない。秘術によって軽微な傷なら容易く治してしまうはずなのに、いまは傷口にかさぶたができており赤らんだまま治療された跡がない。術が使えないほど衰弱していることが見て取れる。

「アルミラさん!」

 ハヅキの呼びかけに、呻くような反応があった。

「ハヅ、キ……?」

「待ってて。すぐ、すぐ出してあげるから」

 ハヅキは鍵のかかった扉を揺らし、辺りを見回して鍵を探した。

「もういい。はやく逃げて」

「置いてけないよ」

「ボスが来てしまう前に、はやく」

 しかし、ハヅキはその忠告に反応しなかった。彼女が見ていた先は部屋の入り口。ジルによって破壊された扉だった。

「もう、手遅れみたい」

 そこにいたのはカミラだった。だが、アルミラは力なく首をかしげた。

(消してるんだ。気配を)

 ハヅキが腰の剣を抜き、カミラに向けた。すると、彼女は意外そうな顔でハヅキを見た。

「ホントに見えてるのね、あんた」

「アルミラさんを解放して」

「いいわよ」カミラはあっさりと答えた。「もちろん、条件付きだけど」

「ハヅキ? いるの? ボスがそこに」

 ハヅキは頷きで返した。

「条件付きで、アルミラさんを解放してくれるって」

「聞いては、ダメ……!」

「どうするの?」カミラが首をかしげた。

「聞くよ」

「じゃあ」とカミラは上弦の弓にした唇に指を当て、言った。

「ハヅキちゃん、あんた、ヘクセプトに入りなさいな」

「ボス……!」

 アルミラが身を固くした。カミラが術を解いてその姿を現したようだった。

「私、ヘクセ族じゃないのに、なんで」

「いいえ、ハヅキちゃん。あんたはヘクセよ」

 半分ね、とカミラは言った。

「ヴァン、ピー……ル」

「最近の子はそういうの? あたしたちはベーゼなんて言ってるんだけど」カミラは言いながらハヅキに近づいた。「けれど、限りなく架空の存在と言ってもいい。なにせ、ヘクセとヒューマンが想い合うこと自体が稀だもの。四〇〇年近く生きてきたけど、ヒューマンと恋しようだなんて奇特なヘクセは一人しか見たことないわ」

「ひとり、いたんですね」

「ええ。あたしの妹。二〇年前だったかしら。駆け落ちしたのは」それで、とカミラ。「一四年前だったかしら。アタシの手で殺したのは」

 ひどい、とハヅキは思った。家族なのに、と。

「双子だったのよ、アタシたち。一心同体だった」

 あの男が現れるまでは。

「ヘクセは一定の歳を過ぎると肉体年齢を操作できるの。これも秘術の一環ね。それで、いまのアタシのように、ふたりとも一二歳の体でヘクセプトやってたの」

 あの男が現れるまでは。

「なのにあの子、フォーミラは恋をしてから体を二〇代に変化させたの。アタシを置いて。それからよ。妹の考えてることが分からなくなっていったの」

「姉妹でも、別の人間だよ。そんなの、当り前じゃ」

「アタシたちは違ったの!」

 あの男が現れるまでは。

「体はふたつだったけど、考えてることは、頭は、心はひとつだった。なのに、その関係が崩れてしまった」

 あの男が現れたせいで!

「だから殺した。アタシじゃなくなったから」

「そんな身勝手な理由で」

 ――許せない。ハヅキは初めて、両親のことで憤りを覚えた。

「随分なことを言ってくれるけど、あんた。あの子のために祈ったりしてくれてる?」

「それは……」

 していない。ハヅキは記憶にない両親のことよりも、そのときにある日常や、マーロウのことに一生懸命で、故人を疎かにしていた。

「アタシ、後悔してるわ。あの子が死んで、こんなにも日々がつまらないなんて思わなくって。アタシと話ができる奴なんていなかった」

 でも。

「反省はしてないわ。何度でも同じことを繰り返すでしょうね。あの子がアタシじゃなくなったら、そのときは何回でも殺すわ」

 けれど、

「子供がいたなんて思いもしなかった。だって、流産率ほぼ一〇〇パーセントよ? でも実際にはいた。こんなにも大きくなって」カミラは笑いながら手を差し伸べた。「もう一度言うわ、ハヅキちゃん。ヘクセプトに入りなさい。アタシと、一緒に暮らしましょう」

「私は、ヘクセじゃない」

「ハーフでも大丈夫よ。ボスはアタシだもの。文句を言うやつは殺してあげる」

「私は、普通のヒューマンで、それで」

「身に覚えがないというの?」

 ハヅキはカミラに目を見られた瞬間、背筋を爬虫類が駆け回ったような気持ちの悪い怖気を感じた。

「アタシは自分しか可愛いと思えないの。けれど、ハヅキちゃんの写真を初めてみたとき、可愛いって思えたわ。きっと、あの子の血がそう思わせたのよ」

「全然身に覚えのないことだった」

「じゃあ、ベーゼには特別な力があるとされているわ。なにかわかる?」

 ハヅキは頭を振った。

「ヘクセの存在を探知できる能力」

 ああ、とハヅキは身を震わせた。認めたくなくても、たしかに覚えがある感覚だった。

「ヘクセの秘術、あんたには効かないでしょう。それが何よりの証拠」カミラはハヅキの手を優しく握った。「ねえ、いらっしゃいよ。アタシの可愛い姪っ子。いいえ、もはや娘。親がいなくなったあんたをアタシが引き取るのに、なんの問題があるというの? 血を分けた家族じゃない」

「家族……」

「ええ、そう。家族。今までハヅキちゃんのことに気づかなかったことは謝るわ。だから、アタシに機会をちょうだいな。あんたを一人前のヘクセにしてあげる」

 ね、とカミラが甘えたような声を出す。ハヅキはその手を払いのけた。

「あなたは家族じゃない」

「でも、唯一の血縁者でしょう?」

「血をわけた人だけが家族じゃない。心でつながってる人たちが、私にはいるの」

「そう」カミラは払われた自分の手を撫でた。「あんたも、アタシじゃないのね」

 カミラが背中に負っていた小型の斧を振り下ろした。ハヅキが跳んで避けると、その斧は檻にあたって鉄棒を切断した。

「やった……!」

「手ぇ縛られたままどうするってのよボケがぁっ!」

 壁際に追い詰められるハヅキ。迫りくる斧から身を守るように両腕をかざす。

 ざくっ、と肉に斧が食い込む音。

(痛く、ない?)

 ハヅキが恐る恐る目を開けると、目の前にはアルミラがいた。彼女の両手首は歪な断面を見せており、牢の中には千切れた手が落ちていた。

「アルミラさん!」倒れる彼女を抱きとめる。背中には斧。「なんで」

「逃げて、ハヅキ」アルミラが耳元で囁いた。吐く息よりも小さい声でしか話せないほど弱り切ったアルミラ。ハヅキは自分の背中が壁に擦れる感覚を得ていた。

 ――アルミラさんが動いている?

「どこに行くの?」

 アルミラは片手でハヅキを抱きしめ、もう一方の腕で匍匐前進でもするように這って行こうとしていた。その移動速度は遅いどころか、空回って進まない。

「逃がさなぁい」

 カミラの言葉と同時に、耳元で肉に刃物がくい込む音。アルミラの背中にナイフが追加された。それは的確に心臓を貫いた。引っこ抜いてしまえば、行き場を失っていた血が一気に溢れてしまうだろう。それでも、彼女の歩みは止まらない。

「ダメ、アルミラさん。動いたら」

 ハヅキの言葉が聞こえているのかいないのか、彼女は呻くような声でなにかを呟いていた。けれど、それももう聞こえない。

「ちょっと」カミラが言った。「気持ちわるいわね。はやく死になさいよ」

 ナイフが背中に刺さる。アルミラは止まらない。

「なんなのよ、もう!」

「ねえ、起きてよ、アルミラさん」

 ヘクセは不死身なんでしょう? 傷を自分で治せるんでしょう?

「残念、それ無理」カミラが笑う。「アルミラはね、もう内気(オド)が尽きたのよ」

 ヘクセの不死身性は他人から内気を奪うからこそ成り立つもの。

「なのに、アルミラったら内気を奪うことを拒否したのよ」

 あんたと出会ってから、とカミラが言った。

(アルミラさんが死んでしまうのは、私のせい?)

「もういいわ」カミラが斧を振り上げた。「首切ったら動かなくなるでしょ」

 斧がアルミラの首をめがけて落ちてくる。ハヅキは目を閉じ、意識を集中させながら腕をその斧に向けて突き出した。手にこもる熱が抜けて風を生む。

「風の初級魔術(ヴァン)・防御壁(ミューロ)!」

 吹き荒ぶ風が斧から彼女たちを守った。

「逃げないよ、私」

 アルミラは懇願するような瞳でハヅキを見つめる。

「いままで助けてくれた分、今度は私がアルミラさんを助けるの」

「あら、舐められたものね。あんたにアタシが倒せるの?」カミラが笑う。

「無理だよ」ハヅキは言った。「私じゃカミラさんは倒せない。だって、戦う術がないもん。私にできることはそよ風を起こすくらい。あとはなりふり構わずもがくだけ」

「みっともないのね。生き汚さは一人前のヘクセじゃない」

「アルミラさん。もう一度、私を守ってね」

 ハヅキはそう言ってアルミラにキスをした。

 くらり、と船酔いにも似た吐き気が襲いかかる。それに耐え、ハヅキはアルミラの頬を包むように押さえて口づけ続ける。

「なっ!」

 カミラは舌打ちし、懐から取り出したナイフで二人を切りつけた。剣戟の音。ふたつの刃がぶつかり合い、力が拮抗する。カミラは飛び退って距離を取った。

「馬鹿」

 アルミラは腕の中で力なく笑うハヅキを見下ろし、そう呟いた。ハヅキの内気(オド)を吸ったアルミラの体から無数の傷は消え、手首は生え変わって斧を握り、抱き留められなければ立っていられなかった足はしっかりと地についていた。

「待ってて。すぐ、終わらせる」

 ハヅキは頷き、地面にへたり込む。アルミラはカミラと向き合い、背中に刺さっていた斧を自分の武器として、カミラに向けた。

「で? たった一回分の命を得ただけでどうなるの?」カミラが言った。「あなた、ここまでに何回分殺されたか覚えてないの?」

「もう、負けない」

 ハヅキが見てる、とアルミラは一息でカミラに肉薄し、斧を振るう。

「根性論とか、馬鹿じゃない?」

 アルミラが姿を消した。カミラの背後に移動した彼女は斧で首を断った。しかし、

「残念」カミラの首は落なかった。「頭が爆ぜたって生き返るっつーの」

 アルミラが連続で切りつけても、カミラの傷は切ったそばから再生していく。

「無理無理、無理なんだってば」カミラが笑う。「あんたひとりじゃなんもできないっての」

「ひとりじゃないと、さっきも言った」

「チッ。いつ言ったのよッ!」

 アルミラの瞳に強い意志が宿ると、それに応じるように変化が現れた。

 カミラの動きが鈍くなっていた。彼女はアルミラの攻撃をさばくが、素早い動きにだんだんと追いつけなくなっていた。切り傷ができては治癒、できては治癒を繰り返す。戦う技量ではアルミラが勝っている。しかし、圧倒的なまでの回復力、ヘクセの秘術がその戦力差を容易く覆しており、依然カミラが優勢。

「甘いわね。確かに動きはいい。けれど、いつになったら殺してくれるのかしら」

 ヘクセとまともに戦ってはダメだ。彼女たちは頭を破壊しても蘇る。なんとか、無力化しないと。

(そうだ)

 ハヅキは以前見た劇を思い出した。ヘクセといえど、血の生成には時間がかかる。一度に、大量の出血を起こせば、あるいは。

「アルミラさん、もう一度あの人を斬って!」

 ハヅキが言うと、アルミラは疑いもなく接近、カミラを切りつけた。

「漁師の秘術(プサラス)・真空(ヴァクム)」

 突如、カミラの傷口から夥しい量の血が吹き出した。傷口を真空状態にして、中の血を吸いだす真空吸引。漁師はこうやって、船上で魚を活き〆にしていたのだ。

「あ?」

 すぐに血は止まる。アルミラが斬る。吹き出す大量の血。再生。

「なに、したの」

 カミラが距離を取った。唇が青い。血液の生成が追いついていない。

「ハヅキィッ!」

 カミラがアルミラを飛び越え、ハヅキに襲いかかった。アルミラはその背を追うが、追いつかない。

「いやっ……!」

 ハヅキはとっさに剣を構え、目を閉じて振るった。肉に食い込む刃。刺さるときは柔らかかったのに、動かそうとすると簡単にはいかない。カミラは腕を切られながらも、背後から来た攻撃をかわして二人から遠ざかる。

「え?」

 カミラは自分の右腕を見下ろした。ハヅキが刺した傷が再生しない。血が流れ続ける。神経が切れたのか、だらりと垂れ下がって動かない。

「なんで。内気(オド)はまだ」

 カミラはまっすぐに立っていられないのか、不安定に体を揺らしていた。

「ヴァンピール」アルミラが呟いた。「純血種を殺せる、唯一の」

 ハヅキは剣を構えた。自分だけがカミラを殺すことができると気づいたから。それは、ギルドの一員としてヘクセプト壊滅に尽力せねば、という使命感よりも、

(おじいさまの仇を、今)

 手の震えからくる剣先のブレを抑えようと、ハヅキは腕に力を込めた。

 ふっと、冷たくも温かな感触がハヅキの手を包んだ。アルミラが手を重ねていた。

「ダメだよ、ハヅキ」アルミラは力を込め、ハヅキに剣を下げさせる。「あなたの手は、そんなことをするためのものじゃない」

 そう言ってアルミラはハヅキの剣を取り、朦朧としているカミラの首を切り落とした。そして、その首筋に噛みついた。

 ハヅキはそれを見ながら、

(ああ、終わったんだ)

 急に力が抜け、踏ん張ろうとしても気だるさに負けて尻餅をついた。そして、そのまま落ちてくる瞼を抵抗もなく受け入れた。

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