第二章第七話

 ジェイはジルの肩越しに、アジトの奥に進む二人の少女を眺めていた。

「まあいい。どうせ、戻ってくるだろうしな。そのとき」

「そのときまでに、あんたを倒せばいいってわけだ」

 ジルが言った。

「取らせてもらうぜ。仇」

 ジルが言う意味はすぐに分かった。親の仇だ。なにせ、ジルの両親を殺したのはジェイ自身なのだから。

 ヘクセプトを脱退して生き延びた者はいない。しかし、ジルの両親は秘術を用いて息子を隠した。あえて探さなかったのは友としての温情であったが、

「まさか、アダになるとはな」

 しかし、それを嬉しく思う自分がいることも事実だった。

 ――こうも大きくなるとはな。

 父ジークは痩躯の男であった。その倅が筋骨隆々であることは意外。しかし、あの事件から、自分にできることを成してきたのだろう。

「秘術は使えるか?」

「んなもん、必要ないね」ジルが拳を握り、ジェイに示した。「卑怯者の姑息な技なんかなくたって、身体一つで十分だ」

 ジルが距離を詰め、襲い掛かってきた。

「組織にビビッてダチを殺す腰抜けがッ!」

 一瞬、構えた拳が持ち上がる。

(狙いは顔面か)

 ジェイは身を低くして攻撃を避け、同時に彼の腹にタックルをかます。身を寄せ、体をホールドしたら持ち上げ、身をのけぞらせて顔面から地面に叩き落とす。

「ぐ……っ」

 すぐに距離を取り、ジルが起き上がる様子を眺めた。

「ヘクセが体を鍛える必要はない」

 見たろ、とジェイは肩をすくめる。

「身体強化の術を施せば、筋力差は無視できる」

「随分優しいじゃねえか。姿消して、こそこそやってくると思ったんだがな」

「必要がないからな」

 それに、その方法では簡単に殺してしまう。

「立ちな、ジル。ヘクセの誇りを教えてやろう」

 向かってきたジルは顔面の高さに拳を据えたピーカブースタイル。全身でリズムを取り、連撃を見舞う。ジェイはその拳をぎりぎりまで引きつけ、最小の動きでかわしていく。

(パワーはある。しかし、遅い!)

 ジェイはジルのボディに足刀蹴りを入れる。腹筋に自信があるゆえのピーカブーなのだろうが、身体強化したヘクセには通じない。衝撃は腹筋を貫いて内臓を揺らしダメージになる。

「そうじゃあないだろ、お前の闘いかたはよ」

「うるせぇ!」

 一瞬膝を突きかけたジルは跳ね上がるように地面を蹴り、距離を詰めてきた。筋肉に物を言わせ、強引に間合いを潰してからのインファイト。

 左右のフックをかわし、顎をかち上げるようにカウンターを放つ。脳が揺れ、崩れるように膝を落としたジルは踏ん張ることもできずに倒れ伏す。

「さて、つぎは女どもを捕らえんとな」

 ジェイはジルから視線を逸らした。

 ――あの二人をボスに差し出せば、機嫌もよくなるだろう。

 そうすれば、ジルをヘクセプトに入れることも許可してくれるはずだ。亡き友の代わりに、一人前のヘクセに育ててやろう。そう考えている自分に気づき、ジェイは笑った。

(罪滅ぼしのつもりか? バカバカしい)

「おい」

 ジルが倒れたまま言った。

「俺の家族に手を……出すなよ」

「家族ごっこか?」

「ごっこだろうが、二度はやらせねえ」

「なら、どうする」

「う、おおっ!」

 地面に腕をつき、ジルが強引に立ち上がった。鼻から思い切り息を吸い込み、歯を食いしばって唸り声をあげた。体はみるみる熱を帯びて赤く染まり、蒸気があふれだす。浮き出た太い血管が脈打ち、指先にまで血を巡らせる。ギチッと筋肉が軋む音が鳴る。

「オルァッ!」叫びとともに、ジルが跳んだ。

 ――速い!

 目で捉えきれぬ速度。ジェイは咄嗟に身体強化の術で耐久力を増し、なおかつ両腕で体の前面をガードした。しかし、ジルの攻撃は腕を通り抜け、ジェイの腹に刺さった。攻撃は拳ではなく貫手。わずかな隙間に入り込み、スポンジケーキにフォークを刺すが如く胴体を刺し穿ち貫いた。

 ジルが腕を持ち上げると、ジェイの体もともに持ち上がる。彼の血がジルの腕を伝って服に染みていく。

「身体強化の術……使えたか」

「術式は教わってたんでね」ジルがジェイを見上げながら言う。「実践は初めてだし、理解もできてなかったが。学ばせてもらったよ」

(あの一瞬で理解したか。やはり、ジークの息子だな)

 傷口から流れ込んだ血液を吐き出そうとする胃の動きに吐き気を覚え、せりあがってきたものをそのまま吐き出す。血はジルの顔面に落ち、彼の目や口に入った。

「くそっ、なにすんだ!」

 ジルがジェイを地面に打ち捨て、目をこすって視界を確保しようと躍起になっていた。

(だから素人なんだよ)

 その隙を逃さず、ジェイはジルのボディに拳を叩きこむ。

(殺しはしねえが、乱暴にさせてもらうぜ)

 右左右と拳を打ち込み、三発目の軽い音に違和感を覚えて攻撃をやめた。

(なんだ?)

 ジェイが自分の拳を見ると右手首が折れ、手は力なくぶら下がっていた。体のほうが、攻撃の勢いに負けている。

 なぜ、とジェイは思った。拳は腹筋に沈み込んでその衝撃を内臓に伝え、拳にダメージはいかないはず。あるとしたら、破壊不可能な超硬度のものを殴ったときだけ。

 そこまで考え、ハッと気がついてジルを見た。

 彼は自分に殴られたダメージがないことを不思議そうに首をかしげ、腹をさすっていた。

「忘れてたよ。お前がジークの倅だってことを」

 分かれば単純なことだった。ヘクセにそれぞれある固有の秘術。その発動条件が満たされたのだ。

 ジークは、その血を浴びた相手からの攻撃を無効化する術を持っていた。血統に由来するその術はジルにも確かに受け継がれていた。

 その術はほとんど役に立たないものだった。血を浴びるほど流血させればたいていの相手はすでに死んでいたし、その能力が有用となるほど強い相手には傷つける前に負けてしまう。だが、対不死者にはこれ以上なく効果的であった。ヘクセ対ヘクセはその不死性ゆえに泥仕合となりがちだったが、その能力が発動した以上、もうジェイにはジルを傷つけることができなくなった。

「よくわからんが、光が見えてきたな」

 ジルが懐深く構えを取った。ジェイは風穴の開いた腹を一瞬で回復させ、口に残った血を吐いて立ち上がった。

「代わってあげましょうか」

 甲高い子供の声。同時にさっきが迸り、ジルの首を狙っていた。

「あぶねえ!」

 ジェイは瞬間にジルを押し倒し、代わりに自身の腕を吹き飛ばされた。

「あら? なにすんのよ。ミスったじゃない」

 言いながら姿を現したのはカミラだった。

「なんだテメエ!」

 ジルが立ち上がり構えるが、ジェイはそれを制した。

「ボスだよ」

 ヘクセプトのな、とジェイは後ずさりする。

「逃げろ、ジル」

「勝手なこと言って。逃がすと思う?」

「できるさ。ジークはやったんだ」

 ジェイは指を鳴らし、ヘクセの秘術を発動した。姿を消す暗い色の霧はジェイではなくジルを包んでいく。彼の両親が息子を守るために用いたのと同じ方法。

「おい! どういうつもりだよ、あんた」

「お前じゃボスには勝てん。オレも勝てん」

 だから。

「逃げろ。お前と仲間が逃げれるくらいの時間は稼いでやるよ」

「だから! あんたとこのガキは仲間じゃねえのかよ」

「今後こそ家族を守るんだろ? 天井ぶち抜けば街に出られる」

「なんのつもりかしら、ジェイ。侵入者を逃がすなんて」

 なんでだろうな、とジェイは苦笑した。しかし、答えは決まっている。

「ダチの倅なんでね」

「ジークを殺したのはあんたでしょ? 罪滅ぼしのつもり?」

「男ってやつは親父の背中を見て強くなるもんなのさ。確かにジークはオレがやった。だから、親父の代わりにおれが、男の背中ってもんを見せてやるんだよ」

 ジェイは姿を消したジルがカミラに襲い掛かってしまわぬよう、カミラと自分を土の魔術で作った壁で囲った。

「秘術を使いこなせよ、ジル。その術こそ、一族の誇りなんだ」

 ジェイは自分が巻き込まれるのも構わず、上級魔術を行使してカミラに挑んだ。

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