第二章第四話
初めてのお使いを終えて以来、ココはなんでもひとりでやりたがった。
その日はココとハヅキがふたりで任務にあたるはずが、ココは一人で大丈夫、と意思を示した。
「じゃあ、お願いね」
ハヅキが言うと、ココの表情がぱあっと明るくなった。あらかじめパトリからの許可は得ている。
「お昼ご飯までに帰ってくるんだよ」
コクコクと激しく頷いたココは目的地に向けて歩いていく。
「まあ、さすがにひとりでは、ね」
ハヅキはしばらくココを見送ったあと、風向きを確かめてから彼女をこっそりと尾行した。平日の昼間ということもあって人が少ない。知らない人に声をかけられたり、散歩中の犬に襲われたりすることはなさそうだ。
ハヅキたちが住まう街ハイマートは大きく四つに区分けされていた。北東から順に時計回りで、商業区、産業区、住宅区、行政区。
商業区は商店街を中心に衣類、食料品、薬品など生活の基礎を支える品を取り扱う店や、飲食店、その他事務所、営業所などが立ち並ぶ。
産業区は主に農業や畜産を中心に生産的な役割を担っており、ときどき工芸品を作る人もいて、商業区に卸すこともある。
住宅区はその名の通りで、碁盤の目状に整理された中に各々の家が建っている。
行政区は公営施設が多く有り、ギルドや学校も基本的にこの区域にある。
ギルドはよっつの区を分ける大通りの交差点に位置しており、どこから要請があってもいち早く駆けつけることができるのだった。
ココは商業区と産業区の間を歩き、中程で左折して商店街に入る。そこを抜けて右折すれば依頼人が待つ店に着く。ここからはほとんど一本道になるため、迷子の心配はないだろう。売り物の匂いに誘われて寄り道さえしなければ。
「ええと、今回の依頼は、――最近看板犬の元気がないので、その原因が知りたい、と」
獣医に相談したほうがいいのでは、とハヅキは思ったが、依頼書を読み進めていくうちに疑問も解決する。
「診断の結果は異常なし、か」
考えられる原因があるとするならば、
「待遇に不満があってのストライキ、とか?」
そういったヒトと動物間で生じた問題の解決にココはぴったりだろう。お互いのことばを通訳し、納得を導き出す。
「でも、ココと依頼人はどうやって話すんだろ」
パトリがなにも考えていないわけないし、とハヅキが首をひねる。
「おう、ハヅキちゃん」
商店街で声をかけてきたのは、よく行く魚屋の店主だった。
「これから仕事かい?」
「そうなんだけど、ただ、いまはちょっとね」
「おいおい、怪我、ひどいんじゃあねえのかい」
店主はハヅキの包帯を見て、表情を歪める。
「かーっ! やっぱハヅキちゃんにギルドは向いてねえ」
ダメだ、と言わんばかりに手を振った。
「うちに嫁ぎなよ。看板娘にしてやっから」
「嫁ぐって、おじさん。ディアナさんがいるでしょ」
「あいつぁダメだ。かかあの真似して槍ばっか振り回して、店も手伝いやしねえ」
ディアナもその母も、ギルドではトップクラスの実力者だった。竜人族(ドラクレア)と、その血を半分受け継ぐ少女。その仕事の多くは危険なものが多いらしく、隣町の大型ギルドに出張し、Aクラス案件に従事していると聞く。
「ギルドでも結構聞くよ。活躍してるって」
「人の役に立つのはいいんだがなあ。怪我がどうもなあ。かかあと違って無茶しやがるから」
「おじさんに似てたりして」
「おいおい、おじさんが無茶したのは後にも先にも、一角獣と闘ったときだけだぜ」
「充分すぎる一回だよ、それ」
体長二〇メートルはあろうかという巨体の海洋生物。ときには漁船をひっくり返し、海に落ちた漁師を発達した一角で突いて海の底に引きずり込んで食べてしまうらしい。それと闘おうと考える時点で、一生分の無茶を使い果たしているだろう。
「プロポーズに槍を贈ろうと思ってな。竜人族(ドラクレア)にふさわしい一品となりゃあ、一角獣しかあるめえなと思ったわけよ」
婿としての実力を示す必要もあったしな、と店主は豪快に笑う。
「おっと、そうだ。今日は珍しい魚が取れたんだ。ちょっと待ってな」
そう言うと店主は離れた商品棚に向かっていった。
「ハヅキちゃん、最近魔術の勉強始めたんだってな」
「よく知ってるね」
「住民のネットワークを舐めたらいかんぜ」と店主が袋に魚を入れて戻ってきた。
「うちの看板娘になるってんなら、今だけ特別だ。魚屋秘伝の魔術を教えてやるよ」
「魚屋の魔術?」
「秘術って知らねえか?」
魔術はヘクセがその基礎を作ったものだった。しかし、民間にその術が伝わっていくうちに自分たちの生活様式に合わせ、特定の民族が独自に発展させた変則魔術が現れ始めた。それが秘術である。口伝ばかりで外部の人が知る機会はなく、世界魔術研究所でも把握していないものがほとんどだという。
「ちょうど風の発展形でな」
見てみな、と店主はいけすから出した魚をまな板に置いた。まだ生きている魚はびちびちと尾を打たせて抵抗する。店主はその尾を切り落とした。そして、切断面に手を当て詠唱すると、夥しい量の血が噴き出し、店主の手の内側に球体となって集まる。
「一部空間を真空にしてな、中の血を一気に吸い出すんだ」
簡単だろ、と店主が言う。
「本来は船の上で使うんだ。こうやって活き〆にすりゃあ、長いこと鮮度が保てるからな」
やってみるかい、と言われ、ハヅキは顔の前で手を振った。
「いやいやいや、魚屋さんにはならないって」
そうかい? と店主が斬った魚を包む袋を取りに行った。
その間にハヅキはココの行方を確認した。まだ見える範囲にいる。
(見失わないうちにおじさんとの話を終わらせないと)
けど、
(なにか、変な気がする)
ハヅキは商店が立ち並ぶ通りをざっと見渡した。買い出しに来ている主婦、暇を持て余した老人、せかせかと歩く働き盛りの男。なにもおかしなところはないように見える。
(でも、なにかが――)
ハヅキは人ではなく、道のほうに意識を向けた。石畳の道が商店街の始まりから終わりまでまっすぐに伸びている。すぐに違和感の正体に気がついた。
(マンホールが開いてる)
しかし、道行く人たちはだれ一人としてそこに目線をくれることもなく通過していく。マンホールの直線上を歩いている人は直前になると進路を変えて穴を避けるが、決してその落とし穴を見てはいないのだ。まるで、マンホールなどそこにはないかのように。
「おう、ハヅキちゃん。これも一緒に持っていきな」
「ねえ、おじさん」
ハヅキは店主を見ずに、マンホールを指さした。
「あそこ、いつも開いてるの?」
「あそこ? どれのことだい」
店主は首を伸ばすが、ハヅキが指すものを見つけられないようで、眉間にしわを寄せて道を睨んでいた。
「あのマンホールだよ」
そのとき、穴から人が飛び出してきた。地面を這うように姿勢を低くしたそれは俊敏な動きで通行人をかわし、ココに迫った。
「ココ!」
ハヅキの叫びを聞いた彼女は不思議そうに振り返った。眼前に迫る男。しかし、ココの視線は男の後ろ、ハヅキに結ばれていた。彼の体で見えないはずのハヅキに。
男はココの首筋に手刀をいれ、崩れ落ちる勢いのまま彼女を担ぎ上げた。意識を失ったココはぐったりとし、されるがまま男に運ばれる。彼は現れたときと同じく素早い動きで穴に降りていった。その一瞬、ハヅキは彼と目があった。
(紅い瞳?)
白昼堂々行われた誘拐劇。しかし、通行人はおろか、ハヅキと同じところを見ていたはずの店主さえ、なにも疑問を抱いてはいなかった。
「マンホール? ああ、あれか。なにもおかしなこたぁねえじゃねえか」
(ヘクセの秘術)
男は自分の存在を、行為を他者の意識から消していたのだ。それがなぜハヅキだけに見えたのか、彼女自身にもわからなかった。しかし、
(みんなに知らせないと)
ハヅキはギルドに向かって走り出した。
(いまならまだ、クラスルームにふたりがいるかもしれない)
「おーい、ハヅキちゃん! どこ行くんで」
ハヅキは答える暇さえ惜しく、店主のことばを無視した。
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