第二章第三話

 同日の夜、ハヅキは夕食もメンバーとともに取り、満月が最も綺麗に輝く時間を待った。

 ギルドの建物はロの字型。その空いた中心部には中庭と噴水があった。夜になると水が止まってしまい水面も穏やかとなるその場所。

 ハヅキはいそいそと準備していたジルにその場に呼ばれた。彼は噴水の前に腰を下ろしていた。俯き加減で、静まり返った水面を見ている。

「よお」

「なにしてるの?」とハヅキが訊いた。

「決まってんだろ。月を見てんだよ」

「俯いて?」とハヅキが噴水を見ると、その水鏡に月が映し出されていた。入れ物のせいか、本物よりくすんで見える満月は小さい。

「月、好きなの?」

「むかしから、人は死んだら月に行くっていうだろ?」

「えー? 私は地底派かなぁ。地面の下にもうひとつ、地上の写しみたいな街があって、そこで今までどおり暮らしてるってやつ。なんかよくない?」

「どうだか。地下掘っても土しか出てこんぜ。それに引き換え、月は行った奴がいないからな。夢がある」

 いつもと違い彼の声は静かで、どこか悲しみが含まれていた。

「供養っていたよね。誰がいるか、聞いてもいい?」

「両親」とジルが言った。

「元ヘクセプトの一員でな。脱退して、殺された」

 ああ、とハヅキは頷いた。

「俺が生まれなきゃ、殺されやしなかっただろうによ」

「でも、ジルが生まれなかったら親御さん――」

「いまだに犯罪者のままだったってんだろ」

 ハヅキは控えめに頷いた。

「まあな。許されやしねえだろうが、足洗ったぶんほかの奴らよりマシかな」

「だからジルはヘクセが嫌いなんだね」

 パトリが言っていた。彼は同族嫌いであると。故に、ヘクセの特徴と呼ばれるものをことごとく否定するかのように振る舞う、と。術を用いない近接戦を好み、仲間と協力してことの解決に当たり、内にこもることなく外に出る。

「ああ。術も考えもまともじゃねー。人殺しの技だ」

 だから使わない、とジルは言った。たとえ、周りから落ちこぼれと呼ばれようとも。

「そもそも、ヘクセの秘術ってなんなの?」

「ヘクセってのはエルフに憧れたヒューマンの成れの果てだ」

「魔法を模して魔術を発明したってやつだね」

「そう。で、そのときに生まれた新たな技がいわゆるヘクセの秘術。通称、命の魔術と分類されてんだ」

「五属性とは違うの?」

「魔術の根本は自然に干渉する技だ。それに対して、ヘクセの秘術は生き物に干渉する力でな」

具体的には、とジルが指を回してなにごとかを思い出そうとしていた。

「見たことねえか? 自身の存在を認識させない術。姿を消して、音も匂いも届かなくさせる」

 あっても見えないでしょ、とハヅキは苦笑した。

「ほかにも身体能力を上げたり、命を奪ったり」

「奪う?」

「吸血鬼伝説とか、そういう小説って読んだことないか?」

 お昼にパトリと話したやつだ。

「有名どころなら、ひとつふたつは。このあいだの演劇も見たよ」

「なら話は早い。あれはヘクセやその人が起こした事件をモデルにしてるらしいんだ」

「やっぱりヘクセって血ぃ吸うんだ?」

「血じゃなくてもいい。要するに内気(オド)さえ奪えればな。それで、そのぶん寿命が延びたり、傷を癒したり。たくさんの人から奪えば、それこそ不老不死になれる」

「ん?」とハヅキは手を止めた。

「もしかしてさ、内気の豊かなヒューマンって」

「ん? まあ、若い女だな」

(最近の誘拐事件ってもしかして、ヘクセプトの?)

 だとしたら、誘拐された人はすでに死んでいる可能性が高い。なんて残酷な犯罪者たち。

 ハヅキはマーロウのことを思い出した。年老いていても、優れた戦士であったおじいさま。そんな彼が遅れを取ったのは、ヘクセの術を使われたから。ハヅキにとっても、秘術は快いものではなかった。

 それなのに、まともじゃない人殺しの術、というジルの意見を全肯定するのは憚られた。

 ――あの秘術にはなにか、温かいものを感じた気がする。

「それと、この月見はどんな関係があるの?」

「月に手を伸ばしても届かねえだろ?」とジルが言った。

「けど、水面の月には触れられる」

 ジルは噴水に指を入れ、映った月に重ね合わせた。

「ま、こうして故人を近くに感じるってわけだ」

 ハヅキも彼を真似し、指を入れる。

「冷たい」

「そりゃあ、そうだ。死体が暖かいわけねーだろ」

 ハヅキはマーロウが棺桶に収められたときのことを思い出した。

 別れ際、彼と繋いだその手は確かに冷たかった。それと同時に妙な温かさを思い出した。温もりに伴って脳裏をよぎる映像はアルミラ。

(ああ、そうだ)ハヅキは思った。

(この冷たさは、あの日、抱きしめてくれたアルミラさんと同じなんだ)

 彼女はそのとき気づかなかったが、団長に教わって知っていた。あの日、アルミラはヘクセの秘術を使い、マーロウを殺した犯人からハヅキを守っていた。

「ヘクセの術も、そう悪いものじゃないと思うよ」

「あん?」

「お待たせ」

パトリがココを連れてやってきた。その手には団子。

「お供え物がなくっちゃあね」

 手を伸ばすココをよけ、パトリは噴水の縁に皿を置く。

「珍しいな。お前らが来るなんて」

「まだ駄目よ、もう。――食事や団らんも供養でしょ? たまには、一緒に悼みたい時くらいあるわ」

 家族だもの、とパトリはジルの隣に腰かけた。

 ココはハヅキの背中に張りつき、水に浸かった手に自分の手を重ねた。

「噴水に落ないでよ」

 風邪引くから、とパトリがココに言う。

 ハヅキは小さく笑いながらココを支えてやる。

「温かい手」

「でしょ?」

 パトリが笑う。

「パトリもやらない?」

「わたしはいいわ」彼女は肩をすくめた。「わたしにはそういう人、いないから」

 月に触れてまで、身近に感じたい人はいない。だからわたしの分まで、誰かを想いなさいな、と彼女は言った。

 そのまま四人は大きな噴水の前に、狭いくらい身を寄せ合って月を眺めた。

 春の夜はまだ気温が低いはずであったのに、その寒さに震えることもなかったのはハヅキが一人ではなかったから。

 ――おじいさま、見える?

 ハヅキは水面の月を見ながら問うた。新しい家族と、案外楽しくやってるからね。

 だから安心していいよ、と久方ぶりに、あるいは初めて穏やかな気持ちでマーロウの冥福を祈ることができた。

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