第二章第一話
初任務を終えてからしばらく。ハヅキもボランティア活動に慣れはじめたころだった。
その日は花見のシーズンも過ぎた暖かい日。彼女は商業区と産業区の境目となっている桜の並木道に散らかったごみをひとりで片づけ、クラスルームに戻ってくるところだった。
(あれ? なんか、いい匂い)
ハヅキがクラスルームの扉を開けると、いよいよその香りが強く感じられた。
(昆布だ、これ)
部屋の奥、台所からは火を扱う音が聞こえていた。
誰か先に帰って来たんだ、とハヅキが中を覗き込むと、昼食の準備に取り掛かっていたのはパトリだった。
「あら、おかえり」
「ご飯作ってたんだね」
「ええ。みんなが帰ってきたら、食べましょう」
手伝うよ、とハヅキは手を洗い、パトリに指示に従って野菜の皮むきを始める。
「ココは? 今日はパトリと一緒じゃなかった?」
「お使いに行ってもらってるの」
ひとりで行きたいっていうから、とパトリはしみじみと言った。
「あの子ももう九歳だものね。ひとりでお使いくらい行けるわよね」
なんだか寂しいわ、と笑うパトリ。
「ココのこと、むかしから知ってるの?」
「前にも言わなかったかしら。五年前、わたしがまだ根無し草だったころに拾ったのよ」
「詳しくは聞いてなかったからさ。迷子だったとか、孤児とかそういう?」
「さあ? あの子、前の記憶があんまりないみたいだし。そのときは獣人族(レムレース)というよりは本当にただの獣って感じだったわ」
よく手懐けたね、とハヅキは感心する。
犬や猫ならともかく、森に住まう獣が目の前に現れて、怖くないのだろうか、と想像する。当然、怖い。それは先の巨虎で体験した感覚だった。
「わたしも元々は森出身だしね。そんなわけで、幼子連れて旅なんてできないでしょう? だから、たまたま近くにあったこの街に住まうことにしたのよ」
そして、ギルドに入った。
「旅で鍛えた魔術のおかげで、先代からは歓迎されたのよ」
「ココはDクラスにいれないの? 同年代の子、結構いるでしょ?」
「ああ、それね。あの子が嫌がるのよ」
「やっぱり、人見知りだから?」
「わたしのせい」とパトリが言った。辟易としたようすでため息をつく。
「入隊したとき、わたしはCクラス入隊規定年齢に達してなかったからDクラスに配属されたのよ。で、そこでいじめられたわけ」
「よそ者には結構寛容な土地だと思うけど」
「首謀者は街エルフよ。わたしがハーフエルフだからね。結構根強いのよ、ハーフ蔑視」
ハヅキはなにも答えられなかった。他種族のことに口が出せるほど、何かを知っているわけでもない。なにより、慰めを口にすることが、パトリを傷つけてしまいそうだと思った。
「なんて顔してんのよ」とパトリは笑った。「心配しなくても、絡んできたやつ全員ぶちのめしてやったわ」
「うーん、想像できないね」
「まあ、ギルド会議にかけられて、危うく除隊になるところだったけど。先代の恩情でね、Fに異動するだけですんだの。わたしたちが路頭に迷わなかったのは、だから先代のおかげなのよ」
ハヅキはふと思ったことを口にする。
「パトリが私によくしてくれるのは、それがあるから?」
「さあ、どうかしらね」パトリが言った。
「単純に、わたしが丸くなっただけかもよ」
丸く、とハヅキはパトリのことばを復唱し、首をかしげた。
「ハーフってね、自分を殺してエルフや人間に隷属するか、目につく人全員拒絶して、一人で生きるしかないのよ。でもね」
ココがいた、とパトリは笑う。
「あの子の前で、生きてるもの全部ぶちのめす、なんて生き方できないでしょ」
「まあ、教育に悪いよね」
「人と関わるのって、案外悪くないわ。あの子に会うまで知らなかったけれど、ジルやココ、あなたみたいに屈託なく接してくれる人がいるんだもの。だから好きよ、わたし」
このクラスが、とパトリは言う。
「なんだか湿っぽくなったわね」
違う話をしましょうか、とパトリが言い、思案した。
「今年の冬終わりに旅劇団が来てたでしょ? あれ、見た?」
うん、と頷き、ハヅキはその演目を思い出した。タイトルは確か、『ヴァンパイアハンター』。
主人公は人間と吸血鬼の混血種であるヴァンピール。彼は不老不死の吸血鬼を探知し、殺すことができる、という特殊能力を駆使し、ヴァンパイアハンターを生業として生きていた。その職は生きていくためというよりは、自分を差別してきた純血種に対する復讐と言う面が強く、結末はあまり後味のよいものではなかった。
「差別はダメだけど、復讐に囚われるのも虚しい、みたいな話だったよね」
「脚本家がハーフエルフらしいし、差別のシーンは実体験でしょうね。妙にリアルで、吐き気がしたわ」
うえ、とパトリが舌を出す。
「じゃあ、エルフハンターとかやってるハーフもいるのかな。それがモデルとか」
「あら、知らない? 吸血鬼のモデルはヘクセよ」
昔の貴族なんだけど、とパトリは思い出すように呟く。
「ヘクセの秘術に、相手の内気(オド)を吸い取る、ってものがあるの。方法は粘膜接触だったり、それこそ血を吸ったり」
気は基本的に巡るものだから血に多く含まれているという。
「長生きしたいヘクセ族の王や貴族が領民をさらって、血を抜いていたって噂があってね。そこからブラムス・トオカって小説家が吸血鬼っていう化け物を生み出したの。あの劇もその小説から派生したものでしょうね」
「じゃあ、ヘクセハンターはほんとにいるの?」
不老不死のヘクセを殺せる、特殊能力を持った者が。しかし、パトリは肩をすくめるだけだった。
「さあ? なにしろヘクセと人間は相性悪いから。子を成したなんて話はめったに聞かないし、残ってる記録を見ても流産率が異常に高いのよ」
きっと、長生きし過ぎて遺伝子が壊れたのね、とパトリが言う。
「ヘクセも元をたどればヒューマンだしね。最初から長生きできるように作られたエルフと違って、どこかで歪みが生まれるものよ」
でも。
「今と違って、むかしはデータに残らないところでひっそり生きてたのかもね」
ブラムスもそれを見てたのかも、とパトリは可能性を否定せず、解釈の余地を残した。
「そう考えたほうが面白いでしょ。作家が何を見て、何を思ったのか」
だね、と引き続きふたりが演劇について話す。
「でも、ヒューマンのヴァンパイア討伐部隊のやりかた、グロかったよね」
「失血死を狙うあれね」
でも、とパトリ。
「ヘクセでも血の生成だけは早くないみたい。失った分は作るよりも吸血して補充するって話だし、そういう意味では有効じゃない」
「でもぉ。傷口再生しないように剣ぐりぐりしたり、水の中で斬ったりさ、子供が見るようにはできてなかったよね」
役者の真に迫る叫び声は今思い出しても身震いが起きる。
「優しいわねえ。そんなんじゃあ討伐系の任務できなかったでしょ」
痛いところを突かれ、うっとなっていたハヅキを救うように扉が開く音が聞こえた。
「おーう」ジルが帰ってきた。
「飯、作ってんのか?」
「おかえり」
ハヅキが応えると、ジルがパトリに気づかれないようにハヅキを手招きした。
「お前、料理手伝ったか?」と声を潜めるジル。
「まあ、多少は。あ、味付けはパトリだから心配しなくてもいいよ」
食べ慣れない味はみんなも嫌だろうと思い、そこはパトリに任せていた。
マジかよ、とジルが項垂れる。
「うん? もしかして、パトリって料理下手?」
「下手っつうかよぉ」とジルは首をひねった。
「味がしねえんだ」
ハヅキが振り返ると、パトリは鼻歌混じりに鍋をかきまわし、お玉ですくった一口を味見して満足そうに頷いていた。
「エルフ特有の自然食派っつーの?」ジルが言った。
「調味料をほとんど使わねえんだよ」
「いい香りだけどね」
「香りはな」
「食べるときにチョイ足しすれば?」
「あいつ、妙にこだわり強くてよぉ。味を変えると激ギレすんのよ」
「ココは? なにも言ってないの?」
「あいつもダメだ」とジル。
「獣人族(レムレース)だから味覚があんまりな。香りさえよければ味は問題じゃねえんだとよ」
それこそ、刺激物でもないかぎり。
「だから、ココのせいで自信つけちまってな。余計厄介だぜ」
「それは大変だね」
「おいおい、他人事じゃあねえぞ。お前だって食う飯なんだ」
「私が言うの? 姑みたく、味薄いって? ジルが言ってよ」
俺に言えると思うか? とジルが肩をすくめる。
「情けないよ、お兄ちゃん」
「美味いもん食いてーだろ。てゆーかお前が作れ」
料理といえばヒューマンだろ、とジルは言うが、ハヅキは楽しそうに料理するパトリに水を差す気にはなれなかった。
「ちょっと、ハヅキ」とパトリが呼んだ。
「味見してくれない?」
ジルが目でハヅキに語りかける。絶対に言えよ、と。ハヅキは辟易としながら給湯室に入り、「あーん」とパトリが菜箸でつまんでいる大根を口にした。
「どう?」
感想を求めるパトリの表情は自信に満ちており、味の心配はしていないようだった。ただ喜んでもらいたいという純粋な気持ちから生まれた行為なのだろう。そう思うと、ハヅキは味がしない、という正直な感想を述べることが憚られた。
「うん。香り豊か」
「ふふっ、そう? もうできるからね、テーブルで待ってなさいね」
ハヅキはジルに申し訳なく思いながら給湯室から出た。
「ごめん。無理だった」
「わかってはいたが、くそっ!」
ジルは悔しそうにしながらも、円卓を布巾で拭いて食べる準備に取り掛かっていた。
そういやあよ、とジルは前置きし、ハヅキを見た。
「お前、ヘクセの女とダチだって言ってたろ。どうやって知り合ったんだ?」
「別に普通だよ。なにも、変なことはないと思うけど」
「おおありよ」とパトリが言った。
「吸血鬼の件で分かったと思うけど、ヘクセはヒューマンから化け物として迫害されてたのよ。いや、迫害されてた変人がヘクセになったのかしら」
まあ、どちらでもいいけど。
「ヘクセの歴史は迫害の歴史でもあるわけ。だから、アルミラがあなたに構うのはなにか企みがあるんじゃないのかって思うのよ」
「そんな人じゃないと思うけどな」
「向こうから近づいてきたんじゃない?」
「一昨年の収穫祭かな。その準備で、声をかけたのは私から」
「ふぅん。あ、ちょっとこれテーブルまで運んで」
ハヅキはひとつ頷き、できたものを食卓に運んだ。そこにココが得意げな表情で帰ってくる。一目散にパトリのもとに向かった彼女は飛びついたあと買い物袋を見せ、お使いの成果を披露した。
「オーケー。よくやったじゃない」
うりゃうりゃとココを撫で繰り回すパトリ。ココはくすぐったそうに、目を細めてされるがまま撫でられていた。
「お、ココももう一人でお使いできんのか」
たいしたもんだ、とジルもパトリとともにココを褒める。ハヅキは後れを取らないよう、ふたりに混ざってココを褒めた。
ひとしきり盛り上がるとようやく、四人揃っての夕飯である。
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