第一章第六話
毛刈りの進行は予定よりもスムーズだった。ココが言い含めていたのか、ハヅキ一人であっても羊は暴れることなく毛を刈らせてくれた。ココも自らハサミを持って毛を刈っている。
慣れてくると余裕が出てくるもので、そのうちにハヅキとパトリは手を動かしながら雑談を始める。
「動物と獣人族のコミュニケーションだけどさ」とハヅキは言いながらココをちらと見た。
「動物はヒトのことばがわかるってことなのかな」
「複雑なニュアンスは伝わらないみたいだけど、簡単な単語のやり取りはできるみたいよ」
「じゃあ、ココが笛を使うのって、より相互理解を深めるため?」
「ああ、それね。――あの子、声が出ないのよ」
パトリは毛刈りバサミを動かす手を止め、ココを眺めた。
「お医者様が言うには、先天的なものみたい。まるで、何世代もかけてゆっくりと発声機能を失ったようだって」
「それって、声を出す必要がなかったってこと?」
「あるいは、出せない環境だったのか、ね」
どちらにせよたいした問題じゃないわ、とパトリは毛刈りを再開する。
「最近はあの子、ジルに文字を教わってるから、もうすぐ筆談くらいできそうよ」
単語だけならなんとか書けても、そのさきの文章を作るには至らないらしい。
「まあ、いままで自分でことばを紡ぐ必要がなかったから、頑張りどころよね」
字はなかなか綺麗なのよ、とパトリは頬を綻ばせていた。
「意外だね」
「そう? 奴隷解放宣言以降、獣人族の識字率なんてほか種族と変わらないって話よ」
ライオンの獣人族(レムレース)、キング牧師が行ったという偉業。歴史の教科書でやったな、と思いつつ、そっちじゃなくて、とハヅキは言った。
「そういう勉強はパトリが見てそうだと思ったから」
「ああ、それはダメ」とパトリは肩をすくめる。
「わたし、字が書けないもの」
読むことはできるんだけどね、とパトリは気にした様子もなく言った。
「森の奥地にあるエルフの里出身でね、学校もなかったし」
なにより、エルフによるハーフ差別で勉強の機会も奪われていたという。
「七歳のときには里を追い出されて以来、ずっと一人旅だしね」
「ハード、だね」
「あなたもね。それに、ジルやココだって同じようなものよ」とパトリ。
「だからこそ、わたしたちFクラスは家族であろうとしているの」
自分たちにないものを埋め合わせ、支えあえるように。
「だから、あなたが馴染めるかどうか、過ごしてみないことにはわからないでしょうけれど、その気があるなら歓迎するわ」
うん、とハヅキは頷いた。
「そのときはわたしがお姉さんだけど」
「あるいはお母さんかもね」
「子供はココだけで十分だわ。あんな大きいの、面倒みきれないもの」
二人はアンゴラ羊と格闘するジルを見て、笑った。
そのとき、ハヅキが万歳させていた羊が鳴いた。
「あ、ごめんごめん」
毛刈りが終わっているにもかかわらず、話に夢中で忘れていた。ハヅキはその羊を解放し、次がくるのを待った。しかし、いっこうにやってくる気配がなかった。
「あれ?」
ハヅキが振り返ると、さきほどまで指示を出していたココがいない。
「ココは?」
ハヅキが背筋を伸ばして辺りを見回すと、鋭い笛の音が響いた。方角は牧場の南側。ハヅキたちが入ってきた入り口とは真逆の方向だった。
「なに?」
パトリも同様に辺りを窺っていた。
「あそこ!」
ハヅキが指さす先にココ。彼女は一頭の羊に乗り、牧場の外に出ようとしていた。
「あの子、いったいなにを」
「様子が……」
ココの笛が断続的に響く。それは羊に静止を促すものなのだろう。しかし、羊は聞き入れることなくココを外まで連れ出していく。今まで蓄えていた毛から解放された羊は、ココひとりなど物ともせずに柵を越える。
ハヅキたちがその光景を呆然と見ていると、ドッと地響きのような足音が聞こえてきた。
「今度はなによ!」
羊たちの群れが逃げ出した一頭を追うように同じ方向に走り出そうとしていた。羊は群れで行動する生き物。一頭が動けば、それに合わせて群れが一丸となってしまう。毛刈りが済んだものも済んでいないものも一斉に。ひとつひとつは小さな足音でも、それがあまりにも大きな集団であるがために地を揺らす轟音を成していた。
「ストーップ。止まって!」
ハヅキが羊の動きを遮ろうとすると、パトリが腕を掴んで引き止める。
「バカッ! 群れの前に立つんじゃないの。押し倒されるわよ」
「でも、このままじゃみんな脱走しちゃう」
「うおっ」
ジルが押さえつけていたアンゴラ羊に持ち上げられた。アンゴラ羊はジルを携えたまま走り出し、柵を越えて森に突っ込んでいった。ココとは別の方向。羊たちの混乱で牧場中が騒がしい。
「チッ」パトリは舌打ちし、群れの先頭より先に向かって手をかざした。
「風の初級魔術(ヴァン)・擬獣(デビスト)」
命令を吹き込まれた大気の球は渦巻きながら形を変えていく。暴れる風が収まったとき、現れたのは風色の体を持つ狼。
パトリが手を動かすと、狼はその動きに合わせて羊たちを追い立て威嚇した。羊は猛獣に怯え、風の動きとは反対方向に向かおうとする。群れの規則が乱れ、行く方向が異なる者同士がぶつかり合う。
「ココを追って」パトリが言う。
「この方法じゃあ羊にストレスがかかりすぎる」
「じゃあ、パトリも一緒に」
「この術、視界から外れると形を保てなくなるの」
早く! と怒鳴られ、ハヅキはココを連れ戻すために同じ方向に走り出した。
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