第一章第二話
ハヅキは退院後、団長にクラスルームの場所を教わり、その部屋の前に立っていた。
顔の傷は癒え切っておらず薄い皮膜が張った程度で、なにかの衝撃でまた出血の恐れがあるから激しい運動は禁止であると医師に言われていた。そのため包帯を巻いているのだが、傷の範囲が広いせいで彼女の額と顔の右半分が完全に隠されていた。鏡で見たその様相は、
(ミイラ男みたい)
道行く知り合いがみな心配して声をかけてくれたが、ハヅキにはかえってそれが恥ずかしかった。己が未熟さを晒しているも同然であったし、また、人によっては、
「お嫁さんに――」
などとありもしない予定の心配をするものだから、反応に困った。
(笑って誤魔化しても見え透いてて、なんか逆に痛いしね)
ハヅキはノックし、扉を開けた。中をのぞくと、テーブルに突っ伏して眠る大男と、一〇歳にも満たないだろう小柄な猫系獣人族(レムレース)の少女がいた。彼女はハヅキを見た途端、尻尾の毛を逆立て、素早い動きで男が寝ている円卓の下に潜り込んだ。
「あの~」
「あら」
とやや幼い印象を受ける高めの声が部屋の奥から聞こえた。
「もしかして、例のお嬢さん? 今日から来るっていう?」
キッチンからひょこっと顔をのぞかせた少女はエルフだった。ハヅキより頭半分ほど低い身長、くすんだ金髪を高い位置でふたつに束ねた髪型、ややツリ目がちだが大きな翡翠色の瞳にとがった耳。
(子供だ。エルフの)
ハヅキはそれを見たのは初めてだった。エルフは長寿であるがゆえにあまり繁殖の必要性を感じないらしく、子を成すことは稀だった。街で見かけるエルフはすでに成人の体つきで、精霊に作られたという伝説に嘘偽りなし、と思わず納得して見入ってしまうような均衡のとれたスタイルであった。
しかし、部屋にいた彼女はぷにっとした質感の肌で、バランスは黄金比であることに間違いはないのだろうが、幼さのほうが色濃く残っていた。テーブルに隠れた猫の娘といい、彼女といい、どちらも本来なら一五歳未満が属するDクラスにいるほうが自然だろう。やはりそこから異動してきたのか、彼女はDクラス用の制服を身にまとっていた。
ハヅキたちが所属しているギルドには三種類の制服があった。
ひとつは団長たちのような役職持ちの人間が着る青いジャケット型の軍服。
ハヅキが着ているものは白地のブレザー型で袖と襟、プリーツスカートが青、ネクタイは赤と三色で構成されたものだった。基本的にアレンジが認められており、オシャレ意識の高いメンバーは思い思いのカスタムを施しているのだが、ハヅキは手を加えていないスタンダードのままであった。
そして、目の前のエルフが身に着けている制服。配色は同じだったが、形状はセーラー服であり、ネクタイの代わりにリボンを首に巻いていた。
「なんで子どもが、って顔ね」
少女が目を細めて笑う。
「これでも、あなたと同じ一七歳なんだけど」
「なんで、私の歳――」
そこまで言って、ハヅキは取り繕うほうが先だった、とことばを止めた。
(子供っぽくないよ、とは言えないよね。どう見ても)
「履歴書」
と少女が言った。
「団長からもらったのよ」
彼女は今度こそ、咎めるような目つきではなく、歓迎するような柔らかい笑みを浮かべた。
「わたしはパトリ。一応、Fクラスのリーダー」
パトリが握手を求めるように手を差し伸べた。
「制服がDなのは、合うサイズがないからよ。悔しいけれど」
「でも、似合ってる」
これはフォローにならないかな、とハヅキは思いつつ彼女に近づき、手を握る。ちらと見えたキッチンのシンクには食器があり、かすかに料理の匂いがした。どうやら彼女たちはここで朝食を摂っていたらしい。
「それで、お嬢さんもハーブティーはいかが? コーヒーのほうがいいかしら」
「ハヅキです。名前」
「ええ。それじゃあハヅキ。座って待っていて」
パトリはテーブルとそれを囲む四つの席を指さす。
「あの寝てる男の左隣があなたの指定席よ」
言われ、ハヅキは部屋の中央を位置取っている円卓に向かった。男の睡眠は深いのか、突っ伏したまま起きる様子はない。ハヅキは椅子を引き、テーブルの下を覗き込んだ。
「お邪魔します」
ハヅキの対面の席に逃げた猫系獣人族(レムレース)の少女。黒い艶やかな髪はぱっつんと切り揃えられており、Dクラスのセーラー服と相まって人形のよう。ハヅキの動向を探る瞳は金色の猫目で、明るい場所にいるせいか虹彩が収縮している。猫侍を幼くしたような風貌は身の丈一三〇センチにも満たず、
(この子は間違いなく子供だよね)
とハヅキは頷いた。
(それとも、マンチカン系の血筋で、もう成人なのかな?)
ハヅキが席に着くと、キッチンからトレーを持ったパトリがやってきた。マグカップを四つ載せており、それをテーブルに置いてハヅキの対面に座った。
「ほら、ココ。あなたも自分の席につきなさい」
パトリは下を覗き込み、猫娘に声をかけた。しかし、ココと呼ばれた彼女はイヤイヤと首を振り、パトリの脚にしがみついて腿に顔をうずめた。
「ごめんなさいね。この子、人見知りで」
パトリは言いながらココの頭を撫でる。
「まだ九歳なのよ」
「可愛いですね」
「でしょう? マジ自慢の子なんだから。鰹節とか噛み砕けるし」
鰹節、とハヅキは小さく呟いたが、
(たしか、虎とか熊でも噛み砕けないって、雑学系の本に書いてあったような)
触れずにおいた。
「毛並みもいいでしょ。わたしが毎日ブラッシングしてるのよ」
パトリはテーブル下から引っこ抜くようにココを抱き上げ、膝に乗せた。しかし、ココは逃げるように暴れ、パトリの腕から逃れようと体を大きく揺り動かした。当のパトリはその抵抗をものともせず、ハヅキとの会話を続けながらココを抱っこする。
「一緒に住んでるんですか?」
「ええ。寮の同室。ふらふらしてたとこをとわたしが拾ったのよ」
「本当に猫みたい。野良猫」
「ええ。この子はどちらかというと獣寄りの獣人族(レムレース)みたいでね。見た目より心が幼いのよ」
猫侍、知ってるわよね、とパトリ。
「あの人はヒューマン寄りよね。肉体的にかなり優れてるけど頭脳労働でもほかに引けを取らないし、この子もそうなってくれたらいいんだけど」
でも、このままでいて欲しくもある、と彼女はココを撫で繰り回した。パトリがようやく腕の拘束を緩めると、ココは一目散にキッチンへと逃げ込み、入り口の陰から恨みがましく彼女たちを見ているのだった。
「で、こっちの寝てるのはジルっていうんだけど、朝早くにひと仕事したばかりだからしばらくは寝かせてあげて」
「時間、結構不規則なんですか?」
「敬語じゃなくていいわよ」
とパトリ。
「基本的には朝の定例会議で仕事を割り振るから規則的ではあるんだけど、たまに前日に指示して早朝に、ってこともあるわ」
「たとえば?」
「今日は朝摘み野菜の収穫だったわ。ほかにも漁の手伝いとかもあるけど、基本的にそういうのはジルがやってくれるから」
(本当にボランティア並みの活動なんだ)
さて、とパトリが前置きする。
「今日はもうひとつしか依頼もないし、会議はカットして、今後について軽く話しましょうか」
今後、とハヅキが首をかしげると、パトリが頷いた。
「ええ。魔術を教えてほしいんでしょ? どのくらい知ってるの?」
「なにも。本当にゼロからお願いします」
「オーケー」
そう言ってパトリはポケットからひとつの筒を取り出した。それは色とりどりの水玉模様が描かれており、どうやら子供向けのお菓子のようだった。
「どうぞ」
パトリはふたを開け、差し出す。ハヅキが手を出すと、筒から白い球体がひとつ転がり落ちてきた。硬くて艶やかなそれは糖衣加工されたガムだった。
「学校では習わないものなの?」
「まずないね。いまは道具使えば同じだけの効果が得られるでしょ?」
ハヅキはガムを噛んだ。
「そっちのほうが楽だし安全だし」
現代は術式を刻んだ魔石を媒介とすることで、魔術を使えないものでも魔術効果を得られるようになってきた。それは生活を豊かにすることが目的であり、様々な場面で使われていた。いまやスイッチひとつで火が起こせる。釜戸に火をつけるために火の魔術を覚える必要はなくなったのだった。
「それに、魔術って使うたびに寿命が縮むんでしょ? 怖くない?」
「それは誤解よ」
パトリが笑う。
「人は生きていくうえで常に内気(オド)を消費しているの」
一時間当たり三六〇〇AURA(オーラ)、とパトリは指を振るう。
「いま計測されてる中でもっとも多くの内気(オド)を消費してると言われてる魔術でも〇・八AURA。初級魔術に至っては平均で〇・〇五」
ほぼ誤差でしょ、とパトリは肩をすくめた。
「たしかに人が持つ内気の量は生まれたときに決まっていて、あとは減る一方。内気と寿命はほぼイコールだけど、ギルド所属の魔術師が現役中に使う内気は平均で三〇〇〇以下」
つまり。
「魔術を一生分行使したところで一時間早く死ぬかどうかなんだから。しかもこの国で老衰する人は二パーセント程度。あとは病死や戦死、事故死。一時間の寿命を温存するだけ無駄なのよ」
「使うのに資格がいるって聞いたけど」
「中級以上はね。初級はだれでも使っていいの。中級はギルドに申請して認可を受けるだけ。まあ、簡単なテストはするけど。上級魔術は使うのに世界魔術研究所からの資格がいるわね」
ところで、とパトリが訊いた。
「ガム、なに味だった?」
「グリーンアップルだったよ」
「じゃあ、ハヅキの魔術属性は風ね」
「そんなので分かるの?」
「まあ、そういう検査キットだから。それにしても変ね」
「? なにが?」
「いえ、先代の血筋なら火と水と土のマルチだと思ってたから」
ああ、とハヅキは頷いた。
「私、おじい様と血の繋がりはないよ。戦争孤児でいいのかな。住んでた村を襲撃されて、おじい様たちギルドの人が救援に来たときにはもう私しか生き残ってなかったとか」
「そう。――いやなこと話させちゃったわね」
「ううん。どうせ、親の顔なんて覚えてないし」
幼すぎてね、と付け足すハヅキ。
「いまさら悲しいとかそういうのもないし」
「ならいいけど。そういえば、ハヅキって極東系の名前よね。ご両親がそっちの出身だったんでしょうね」
どういう意味なのかしら、とパトリ。
「極東の暦で、八月(アウグストス)を意味してるみたい」
「じゃあ、本当の生まれは八月なのかしら」
「かもね」
とハヅキは肩をすくめた。
「よくわからないから、誕生日はおじい様と出会った日にしてるけどね」
そうすれば、親の命日を忘れることもないだろう、というのがマーロウの考えであった。
「さてと」
パトリが立ち上がる。
「いまからレクチャーに移りたいところだけど、そろそろ任務の時間だから、道すがら教えるわ」
起きなさい、とパトリがジルを揺さぶった。
「んんっ、おう……」
起き上がって伸びをすると、彼の大きさがひと際目立つ。ジルが立ち上がるとハヅキの頭ひとつ分では足りないほど高い位置に彼の顔があり、ハヅキは随分と見上げる形をとらざるを得なかった。そして、身長も凄まじいが、なにより目を引いたのは彼の筋肉。肩幅は団長一人半はあり、上腕二頭筋はハヅキの腿以上だろう。タイトなノースリーブがいっそう彼の大胸筋、腹直筋、腹斜筋群を際立たせている。ジャケットは身に着けておらず、制服はズボンのみだった。
(たぶん、着られなかったんだろうな)
「お、来てたのか新人」
ジルが笑うと、その声の大きさにハヅキは耳を塞ぎそうになった。しかし、そうするより早く、パトリが彼の腕を叩いた。
「ちょっと! ココがびっくりするでしょうが」
「おっと、わりぃわりぃ」
ジルはテーブルの下を覗き込むが、そこにココはいない。
「珍しいな。来客中に逃げないなんて」
「キッチンよ」
ジルはパトリが指さす方向に顔を向け、ココを確認すると笑顔を浮かべた。
「びっくりしたか? 悪いな」
ココは耳を両手で押さえながら、素早く二度頷いた。
「じゃあ、改めて」
とジルがハヅキを見た。
「ジルってんだ。ま、兄貴だと思って頼りなよ」
笑顔が眩しい彼の瞳はヘクセ族特有の紅で、血色のよい肌によく映えていた。しかし、今までに見たヘクセとは違い、彼の肌色は健康的である。彼らは太陽を嫌うように引きこもりがちなうえに夜行性で、病的に白い肌の持ち主だった。対するジルは闇色の髪も短く刈り込んでおり、どうやら珍しくアウトドア派のヘクセであることがうかがえた。
(そうじゃなきゃ、こんな筋肉にならないよね)
「お? その顔は気づいたな」
そう言ってジルは僧帽筋や肩、腕、胸など上半身の筋肉を強調するようにモストマスキュラーポーズを取る。
「ほかの軟弱者とは違うんだぜ、俺は」
「バカやってないで、さっさと行く」
「はいよ」
ジルはパトリに尻を叩かれ、入り口付近にかけてあった荷物を持ってクラスルームから出た。ハヅキもそれに続くが、パトリとココは出てこない。振り返って中を覗くと、
「今日はあなたがいないと仕事にならないでしょうが。ほら、鶏ササミあげるから」
パトリは嫌がるココを引きずり出そうと躍起になっていた。
「新入りが来ると、いつもああなんだ」
ジルが楽し気にその光景を見ていた。
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