第一章一話


 ハヅキが目を覚ましたとき、視界に入ってきたものはすべて白だった。天井も、壁もベッドも床も彼女を囲むカーテンもすべて白。

(ここ、医務室?)

 彼女が辺りを見回すと、枕元のサイドテーブルに彼女の制服が置かれていた。マーロウから受け継いだ剣も一緒だった。

 ――何が、起きたんだっけ。

 目元をこすろうとすると、手が肌より先に包帯に触れた。それから、あとを追うように痛みが走る。

「……っ!」

 ハヅキは反射的に身を蹲らせた。いつまでも患部に帯びた熱が消えない。自分の顔がどうなっているのか知りたかったが、彼女は痛みに対する恐れから、再び触ることはできなかった。

 ――たしか、任務の途中だったはず。

 そこまでは思い出したが、そこから先、それ以上を思い出そうとすると、身震いが起きるだけで記憶は蘇らなかった。

 カーテンの向こう、静かな音を立てて扉が開いた。吹き込む風で目の前のカーテンが微かに揺れる。生まれた隙間から見えた姿は、

「団長」

「ああ、起きたのか」

 マーロウが殺害された日まで、副団長だった男。制服のまま、あの日と同じ剣を腰に下げている。肩にある階級章と髪の長さが、あの出来事から一年経過したことを感じさせた。

 以前は彼もそこそこ身なりに気を遣っていたはずだったが、団長就任以来、忙しさにかまけて頭髪にまで意識が向かなくなったらしい。それでも、彼の制服は糊がきいていてパリッと仕上がっている。補佐の猫侍が口うるさく言うせいだろう。曰く、

 ――団長としての威厳が損なわれますから。

 だとか。

(おじいさまは糊付けされるの嫌がってたな)

 ハヅキはマーロウの制服を洗濯していた当時のことを思い出していた。専門のクリーニング屋に任せればいいものを、ハヅキにやらせるからすぐに襟元がくたくたになってしまう。しかし、彼はむしろそれがよい、とでも言わんばかりであった。

(嬉しそうにしてたけど、私のほうが恥ずかしかったわけで)

 しかし、くたびれた制服でもマーロウに威厳があったのはやはり歳のせいだろう。現団長はハヅキよりも一回り年嵩ではあったが、その地位に就くにはまだ若い。

「ハヅキ君、きみは自分が何故ここにいるか、覚えているかね」

 ハヅキは首を振った。

 彼女はその日、家畜を食い荒らす巨大な虎の討伐ないし捕獲の任務に出ていた。もはや魔物と化したその害獣は猟師の手に余るものであったがため、ギルドに依頼が舞い込んだのであった。多少手こずるにしても、魔物との戦いに慣れている彼らにならば訳のない相手である、はずだった。

 ハヅキがその討伐隊において足を引っ張ることしかできず、おかげであと一歩というところで標的を取り逃がしたのだった。虎を包囲したとき、向かってきた相手にすくんだ彼女は何もできないまま押し倒され、そこで気を失った。

「虎はきみの顔を爪で切り裂いたそうだ」

団長が言った。

「治療はしたが、なんだ、その」

 言い淀み、すこし俯いて黙ってしまう。だから、ハヅキはそのあとを引き継いだ。彼に辛い宣告をさせないように。なるべく暗くならないようにしようと努めながら。

「傷跡、残るかもしれないんですね」

「ああ」

団長は悔やむように、体の影で拳を握っていた。

「私のミスだ」

「そんな……!」

 ハヅキは自分のせいで団長が余計な責任を感じていることに胸が苦しくなった。

(私のせいなのに、団長にあんなことを言わせてしまった)

「違うんだ」

 団長がハヅキを制するように手を挙げ、頭を振る。

「正直に言えば、いままで私はきみにあえて過酷な任務を任せてきた。そうすれば、恐れをなしたお嬢さんがギルドを辞めると言ってくれるのではないかと期待して」

 結局、ハヅキがそんな弱音を吐くことはなかった。

「これでは、団長にあわせる顔がない」

 顔に傷まで負わせて、と彼はハヅキの包帯を見た。その力を失った弱々しい瞳を、ハヅキは一度だけ見た覚えがあった。それは、彼が若くして副団長の地位に就いたとき、「やっていく自信がありません」とマーロウの家に来て弱音を吐いていたときだった。

 幼いながらに、大人の涙は見てはいけない、と思い寝床に引っ込んでしまったが、あのとき、マーロウはどうやって彼を励ましたのだろう。思い、ハヅキは開いた左目で彼を見つめた。

「お嬢さん。あなたは団長の葬儀で交わした約束を覚えていますか」

 ハヅキは頷いた。マーロウの仇を討つため、ギルドに入団したい。そう言ったハヅキに団長はひとつの約束を課した。

「一年だけの、仮契約でしたよね」

 もうその期日が近くまで来ていた。

「もしお嬢さんに団長のような才があれば正式に、とも考えていました。しかし」

 ハヅキには戦いの才能がまるでなかった。いままで持ったこともない剣を持ち、マーロウのようにそれを振るおうとした。しかし、彼女は生き物を傷つけることに心を痛め、躊躇い、その隙に自らが怪我を負った。そして、その痛みによる恐怖を克服できず、敵を前に立ちすくんでしまいまた怪我をするという悪循環。そこから抜け出せない。それでも、無謀な参加だけを続けていた。

「団長の仇は我々に任せて、普通の生活にお戻りください。もっと早くに言うべきでした」

(団長の言ってることはもっともだと思う)

 これは遠まわしな解雇通告だ。それでも、ハヅキは頷けなかった。それはただの意地であったし、子供の我侭であるとわかっていた。それでも、学校を辞めて修練し、マーロウの死を思い出して泣いた。いまさら普通の生活など、どうして営めようか。

「もう、お嬢さんじゃありません。敬語もよしてください」

 ハヅキは静かに、しかし力強く言った。

(変わらないと。なにかを傷つけても、目的を成す覚悟を身に着けないとダメなんだ)

「お嬢さん……」

団長は嘆くようにため息をつくが、頭を振ってまっすぐにハヅキを見た。

「ハヅキ君」

 その瞳に弱々しさはない。一つの決断を下し、責任を負う長として相応しい威厳に満ちた眼差しであった。

「もしきみがギルドに居続けたいというのなら、条件がみっつある」

 ハヅキは頷いた。

「ひとつ。仇討ちは諦めなさい」

「そんな!」

「相手がヘクセプトである以上、その危険性は魔物とは比べ物にならない。そんななかに戦闘力のない者を放り込むことはできない」

 いままでとは違うんだ、と団長。

「そしてふたつめ。剣を捨てることだ」

「剣を?」

「ああ。きみは適性検査を経て剣士になったわけではないだろう。ただ先代の武器をそのまま使っていただけだ」

 言われ、ハヅキはちらと剣を見た。マーロウから受け継いだその剣は大陸の中東でのみ取れる錆びない特殊金属、ウーツ鋼を素材としたものだった。全長七〇センチと平均より短めでありながら重量は通常の二倍近くの三・五キロ。力自慢であるマーロウのために特注で作られた一品であり、騎士の全身鎧をも容易に断ち切れる恐ろしいまでの切れ味を有していた。そのうえ刀身は硬鉄と軟鉄が織りなすマーブル模様が浮き出ており、美術品としての価値も高い。

「使いこなせない武器を持つのは危険だからね。せめて、軽いもので腕を磨いてからにするといい」

「じゃあ、これからはどうすれば」

「まあ、剣にこだわるならバゼラードあたりが軽くて使いやすいかもしれないが、今後は魔術を覚えてもらおうと思う。支援系の術を覚えれば任務でも使えるだろう」

「でも私、魔術なんてやったことないです」

 そこでみっつめだ、と団長。

「きみはFクラスに異動してもらう。あそこのリーダーは魔術のスペシャリストだからね。指導を頼んでおいたよ」

 Fクラス。ギルドメンバーたちが落ちこぼれ組と揶揄しているところだった。怪我人や秩序を乱したものが休養、反省をする場所として一時的に配属されるクラス。異動理由から、業務内容のほとんどは街の清掃などボランティア活動や雑用などが多いという。前線からは遠退くため、戦いに喜びを見出すタイプの人間は異動を機に退団してほかの街に行ってしまうこともしばしばだとか。

 ハヅキは団長のことばに不安を覚えた。

(魔術のスペシャリストなのにFクラス? 絶対に変な人だよ、その人)

 落ちこぼれではないのにFクラス所属ということはつまり、秩序を乱す側の人間である。ハヅキは嫌だなと思いながらも、ほかに選択肢がないために渋々頷いた。

「退院後、しばらく休養を取ってから顔を出すといい」

 しっかり勉強してきなさい、と団長が言った。

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