プロローグ第2話

「あーっけないものね」

 マーロウを刺した少女、カミラはふわふわとうねる柔らかな白髪をかきあげ、地面に伏す老人をどうでもよさそうに見下ろした。

 老人の体は短躯でありながら骨太で強靭。刺した瞬間に感じた筋肉の柔らかさは戦闘者としての質を表している。その逆に手のひらは硬く発達しており、長い期間剣に身をやつしたことを物語っていた。

 まさに強者。豊かに蓄えられた顎髭も相まって、威厳ある指導者としての貫禄は充分であった。真正面から挑んでいれば、負けることはないにせよ、長い苦戦を強いられただろう。しかし、

 ――暗殺なんて、だいたいこんなものよね。

 実力差など方法次第で容易く覆せる。

 カミラはマーロウの顎を蹴り飛ばした。彼は呻くこともなく、ただ彼女を虚ろな瞳で見つめていた。

「さてと」

 カミラは下唇を突き出し、それを中指で弾いて弄びながら、もののついでに家の中を物色するように見渡した。邪魔な傘立てを蹴り飛ばし、飾られた花瓶をわざわざ落とす。

「あら?」

 彼女の目についたのは写真立て。

 あらあらあら、とカミラは嬉しそうにそれを手に取り、さまざまな角度から舐め回すように観察した。

「あんた、孫なんていたのね。全然似てないの」

ガラスを指で弾き、その匂いを嗅ぐ。

「なんていうか、すごく可愛いわ。ええ、いい感じ。一緒に住んでるの?」

 カミラはマーロウの眼前に写真をかざし、彼の反応を確かめた。すると、彼は持てる力を振り絞るようにゆっくりとした動きで手を伸ばす。

「なぁに? 欲しいの?」

 カミラは彼の手が写真に触れる寸前、ひょいとそれをかわした。

「ふふ、残念でした」

 しかし、マーロウの手は動きを止めなかった。それがあまりにもスローであったために、カミラは滑稽に思えてしかたなかった。

「ほぅら、ここですよぉ」

 写真立ての縁でマーロウの頭を何度も叩く。それでも動く手に笑っていると、気づいたときには手遅れになっていた。

「は?」

 カミラが足元を見ると、マーロウは彼女の足首をしっかりと掴んでいた。彼の顔を見ると、さきほどまで虚ろだった瞳には力強い炎が宿っていた。

「おああぁッ!」

 マーロウが雄叫びをあげる。膨らんだ前腕を這う太い血管が脈打ち、足首を絞める握力がみるみる強くなる。

「――!」

 カミラが悲鳴をあげるより、骨の砕ける音が先に響いた。

「ああ、あああ」

 カミラはよろめき、壁に背をぶつけた。怯えたような瞳でマーロウを見下ろす。はっはっと浅い呼吸を繰り返す。だんだんと短くなる間隔。その速度が頂点に達した瞬間、

「はああああっ!」

 激昂した彼女は服の下に留めてあったトマホークを取り出し、分厚い刃でマーロウの背を滅多打ちにした。肉を切り裂いて骨にぶつかり、鈍い音が繰り返される。

「痛い、痛い、痛いのよオオオオッ!」

 ――人が楽しい気持ちで笑っていたのに、こんな仕打ちってひどすぎる!

 カミラは泣きたいような気持ちを吐き出すように斧を振るう。飛び散る肉片が散乱し、顔に付着し目に入っても打ちつけることをやめない。

 やがて、その刃が石床にあたって硬質な音とともに跳ね返されてようやく、彼女は正気を取り戻した。カミラは肩で息をし、額に浮かぶ玉のような汗を拭った。口に入った肉片を唾とともに吐き出す。鼻をすすって涙を振り切る彼女は、自分の二本足でしっかりと立っていた。マーロウがわずかな余命を振り絞って行った最後の足掻きが夢幻でない証に、彼女のニーソックスは一箇所だけ血に染まっていた。砕かれた骨が皮膚を突き破って起こした出血の跡。

 カミラは壁に手を突き、その靴下を脱いだ。露わになったのは細くまっすぐに伸びた白い脚。アルミラと違い不健康な青さはなく、白磁の陶器を思わせる滑らかな肌。うっすらと滲んだ汗が月明かりに照らされて艶かしい光を放つ。その輝きは若さの象徴。

「絶対殺す」

カミラは眉間に猛獣の如き皺を寄せ、砕けんばかりに歯ぎしりした。

「孫だかなんだか知らないけど、ジジイよりひどく嬲ってやらないと気がすまない」

 彼女は写真立てを蹴り飛ばし、ガラスを割って素足でハヅキの顔を踏みにじった。

「あんたも、さらし首にしてやるわ」

 カミラはマーロウの髪をつかんで頭を押さえつけ、斧を振り下ろして首を断とうとした。しかし、斧が手をすり抜けて地面に落ちた。カミラは自分の手を見て落ちた斧を見て、もう一度自分の手を見た。その手はかすかに痙攣しており、握ろうとしても力が入らなかった。

 ――無茶し過ぎたかしら。

 落ちた斧を拾おうとしてもそれが叶わず、彼女はため息をついてマーロウを離した。よく見れば斧も刃がほとんど潰れており、武器としての役目を果たせそうもなかった。ちらと彼の体を見ると、肉こそ斬れているものの極太の骨は断たれておらず、かろうじて人の形を保っていた。

「まるで水牛ね」

 彼女が立ち上がると同時に、外から悲鳴が聞こえてきた。戦闘音を聞きつけた近隣住民がやってきたのだろう。カミラは舌打ちし、アルミラと同じように冷たい色の霧を身にまとい、誰にも気づかれぬままその場を離脱した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る