逆転の法廷

 東京地裁530号法廷で昇山の名義上の代表者となっている逢坂小百合の本人尋問が行われた。原告側傍聴席には安座間と御園(倅)が陣取り、被告側傍聴席には調所が来ていた。役者が揃ったという印象だった。昇山側の宝月弁護士のありきたりの主尋問の後、いよいよ鷺沼弁護士の反対尋問が始まった。

 「御園前社長が急死されたホテルのラウンジで、直前にあなたと会っていたという証言があるのですが、御園と何を話されていたのですか」いきないの鷺沼の爆弾尋問に裁判長も身を乗り出した。

 「御園さんが二人でお話ししたいとおっしゃるので相談の場所としてラウンジを使っていただけです。別の女性の方と部屋を取られているとは存じませんでした。警察にもこのことは申し上げております」逢坂はまるで答えをあらかじめ用意してきたかのように落ちついて答弁した。

 「訴訟の相手と何を話したのですか」

 「もちろん和解のことです」

 「和解できたのですか」

 「ええ和解しました」

 「どのような和解内容ですか」

 「太陽環境の全株式を昇山に譲渡するという和解内容です」

 「譲渡契約書はあるのですか」

 「御園社長がその日のうちに亡くなられてしまったため譲渡契約書は作成できませんでした」

 「なるほど、それは残念なことですね。ほかに何か相談されましたか」

 「御園社長は体調をとても気にされていて、いつ死んでもおかしくないので遺言書を作成したとおっしゃっていました」

 「ほう遺言書をね。その内容を聞きましたか」

 「ええ」

 「お聞かせいただけますか」

 「私が御園社長から太陽環境の全株式の遺贈を受けると書いたとおっしゃっていました。もっともその前に譲渡契約が成立していれば無意味な遺言になると笑っておられました」

 「それはちょっと理解に苦しみますね。なぜあなたに株式を遺贈しなければならないのですか」

 「もともと太陽環境は五十億円で昇山に売ったのにヤクザの狐澤に介入されてこんなことになってしまった。狐澤から株式を渡せと脅かされたがなんとか逃げてきた。狐澤に取られるくらいならもともと処分場は昇山のものなのだから社長の私に返したい。狐澤はどんな手を使うかわからない。殺されるかもしれない。何が起こるかもしれないから念のため遺言書にも全株式を遺贈すると書いておいたとおっしゃっていました」

 「なるほど殺されるかもしれないから株式をあなたに返還する方法として譲渡契約ができなかったときのために遺贈の遺言書も作ったということですね」

 「そうです」

 傍聴席がざわめき始めた。宝月弁護士はいらいらして手を震わせていた。調所は病人のように顔色を失っていた。安座間だけは驚いた様子がなかった。

 「遺言書の執行はされましたか」

 「昨日、株式名義の書き換えを終えて株主総会を開催し、私が太陽環境の代表取締役に就任し、法務局と市庁に役員変更の届出も済ませました」逢坂の衝撃証言に傍聴席は一転して静まり返った。

 「昇山代表兼太陽環境代表が証言した内容の関係書類を甲号証として提出します」鷺沼がポーカーフェイスで証拠の原本を裁判長に提示した。このとき初めて居合わせた全員が鷺沼と逢坂は通じていたのだと悟った。安座間の顔色が変わった。彼女は鷺沼の裏切りを知らなかった。

 「ちょっと待ってください」裁判長が証拠を確認しながら発言した。「証人が太陽環境の代表に就任したということは原告と被告の代表が同じになったということですね。しかもあなたは太陽環境のみならず昇山の株式も百パーセントお持ちになっているようですね。これは地位の混同にあたりませんか」裁判長は逢坂と鷺沼を交互に見た。

 「裁判長」蚊帳の外の宝月弁護士が手を上げた。「株主と代表が同じであっても法人格は異なります。地位の混同にはあたりません」

 「鷺沼先生、今の異議についてご意見は」裁判長が鷺沼を見た。

 「お答えする必要はないかと思います」鷺沼が勝ち誇ったように言った。「本日、昇山は太陽環境への訴えをすべて取り下げます。一方、太陽環境が昇山を訴えている事件について昇山は太陽環境の主張をすべて認めます。裁判長、弁論終結をお願いします」

 「異議あり」再び宝月弁護士が手を上げた。「太陽環境の代理人は私です。私は何も聞いておりません。弁論はせめてあと一回だけ続行してください」

 「鷺沼先生、同意されますか」

 「昇山の取下書と被告の最終準備書面を提出します。それから昇山は本日、代理人の宝月先生を解任します」

 裁判長は鷺沼弁護士が追加提出した取下書、準備書面、解任届けを点検した。「書面に問題はないですね。あなたのご意見は」裁判所は証言台に立ったままの逢坂を見た。

 「鷺沼先生のお話に間違いはありません」

 「本人が間違いないと言っているのですから宝月先生の異議は却下せざるをえません。地位の混同により訴えの利益がなくなったので弁論を終結し、事件を却下とします。判決書はおって送達します」裁判長は立ち上がった。

 突然のハプニングで訴訟は太陽環境の全面勝訴となって終結した。鷺沼弁護士が御園社長の遺言書を逢坂から見せられて寝返ったことは明らかだった。逢坂を利用してきたつもりだった調所は最後の最後で裏切られた。太陽環境を調所から奪い返そうとした大耀会の陰謀もついえた。調所を破産させようとした安座間の思惑は図らずも実現した形だった。逢坂が調所の傀儡としてではなく、太陽環境の真のオーナーになることは予想外の事態だった。身の安全を心配した逢坂はいつの間にかボディガードを呼んでいた。誰とも視線を合わせず、二人のボディガードにはさまれるようにして彼女は退廷した。

 その夜、御園の屋敷が全焼した。焼け跡から御園(倅)の焼死体が発見された。遺書がなかったのに警察は自己放火後の自殺だと断定した。破産したのは調所だけでなかった。

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