無血開城
「今朝調所が実力で太陽環境を奪還したそうです。所轄の暴対も出動しました。チンピラを動員して処分場を占拠したようです」長嶋が朝一番に報告した。
「けが人が出たの?」
「狐澤の手下が争わずにあっさりと明け渡したんでけが人は出なかったってことです。どうやら事前に襲撃情報が漏れていて逃げ出したようっす」
「よかったじゃないか。でも流血がないのにどうして警察が介入したのかな」
「例のあいあつら、松江と赤城のどっちかが所轄に通報したらしいっす」
「余計なことしたな」
「えっなんすか」
「鷺沼弁護士のシナリオどおりに進んでるって感じだな。わざと調所に襲撃させて訴訟を有利にする算段だろう。大した弁護士だよ」
「鷺沼は大耀会の顧問弁護士だそうすよ」
「それじゃ狐澤よりもむしろ格上じゃないか」
「そうかもしれないっすね。現場の様子見に行ってみますか」
「やめとこう。もう事務所の出る幕じゃなくなったよ」
「それはそうっすね」太陽環境に情報を流したのが伊刈だとはさすがに長嶋も疑っていないようだった。
鷺沼弁護士は太陽環境を不要占拠した昇山の退去を求める仮処分を申請した。裁判所は昇山の違法行為は明白だとして審尋を開かずに仮処分決定を出した。仮処分が認められたことで、本訴での太陽環境の優位性は揺るがなくなった。事実は狐澤こそヤクザだったのに、調所の安易な実力行使は彼こそがその世界の者だという裁判官の心象を決定的にしてしまった。
調所は仮処分を無視して処分場の不法占拠を続けながら捨て身の戦法に出た。
「自分がヤクザなら、ヤクザから資金を得ている処分場は欠格条項に抵触するから許可を取消すべきである」
そんな内容の書面を市長宛に送付したのだ。みすみす処分場を狐澤に取られるなら潰したほうがいいと考えたのだ。しかし産対課もまたヤクザ同士の抗争に介入する意思はなかった。乗っ取り王の異名を持つ調所は八方ふさがりの状況の中でいよいよ消耗していった。
そこへ寝耳に水のニュースが飛び込んできた。
「太陽環境の御園社長がホテルで急死だそうです。一緒だった女が救急車を呼んだんすけど死んでたんで所轄が検死してます」長嶋の報告に伊刈は耳を疑った。
「まさかエターナルクリーンの大伴社長の時と同じ女じゃないだろうね」
「逢坂じゃありませんが班長もご存じの女っす。今も事情聴取中っすよ」
「誰」
「円の安座間っすよ」
「なるほど、そういうことか」伊刈は力が抜けたように顔ににじんだ汗をぬぐった。
「一応事件性がないか調べてますが病死ってことのようっすね」
「いまいちあの女の狙いがわからないな」
「御園が死ねば好都合なんじゃないすか。太陽環境の株を渡さずにがんばってたみたいすから」
「御園と一緒にいたのは別人で安座間は身代わりになっただけって線は」
「あるかもしれないすけど立証は困難すね」
結局、安座間は何も嫌疑を受けずに釈放された。その日のうちに安座間から伊刈に内緒で会いたいと言ってきた。伊刈は逢坂とも会ったことがある幕張のホテルで会うことにした。
「御園が死んだのは予想外だったけど相談していただけよ」安座間は開口一番に腹上死事件の弁明をした。
「それが言いたかったんですか」
「そうね、そんなのどうでもいいことね。聞きたいのは訴訟の勝ち目はどっちにあるかってことよ。前にも聞いたと思うけど今の情勢での伊刈さんの意見を聞かせてよ」
「昇山が五十億円払ったという事実は消えませんよ。だけどかなり太陽環境にも分が出てきましたね。最初の和解案では太陽環境の権利が五パーセントということでしたけど今ならもう二十パーセントくらいにはなったんじゃないですか」
「訴訟は昇山が勝つにしても勝負はますます太陽環境が有利ってことね」
「鷺沼先生が有能なんですね」
「ほんとにお金だけの男なのよ。ダンプが一台入るごとに鷺沼に特別報酬を出す約束になってるの」
「それがほんとうなら弁護士法違反ですね。表にできない報酬だから脱税してるかもしれないし」
「鷺沼先生がいなかったらこういう展開にはならなかったわね。昇山の宝月先生はまじめすぎるわ。訴訟はあとどれくらいで終わると思う?」
「裁判官の人事異動の前に終わるかもしれませんね。そろそろ判決を書けとたぶん上からプレッシャーがかかるころですよ。裁判官にも当たり外れがあります。この間は審尋も開かずに太陽環境の仮処分が認められたでしょう。あれは太陽環境にとっては当たりですよ。決断力のある判事だと思いますよ。つまり判決を書ける裁判長ってことです」
「ほんとに伊刈さんのお話は勉強になるわねえ」
「亡くなられた御園さんが持ってた太陽環境の株はどうなるんですか」
「倅さんが相続するでしょうね。御園社長は代議士とも親しくて政治力があったみたいだけど倅さんではどうにもならないだろうね」
「もしかして御園親子の裏をご存知ないんですか」
「どういうこと?」
「ほんとの親子ではなく御園社長が室山代議士の奥さんと不倫して儲けた子だという噂がありますよ。その奥さんが御園親子に肩入れしていた。なにせわが子を託しているわけですからね」
「それなら相続権がないじゃないの。それって法的にどうなるの」
「戸籍上の嫡出子なら相続権がありますよ。ほかの権利者が異議を出せばわからなくなりますが」
「こわい話ねえ。私、知らなかった」
「安座間さん、ほんとに御園社長は目の前で亡くなられたんですか。死んだときに居たのは別の女性だったんじゃないですか」
「伊刈さんてほんとにびっくりすること言うのね。警察だってそんなこと疑ってなかったわよ」
「僕も疑ってるわけじゃないですが」
「そんなミステリーみたいな話あるわけないでしょう。来週また裁判があるわ。今度は法廷だから傍聴に来てくれないからしら」
「何かあるんですか」
「昇山の社長の本人尋問よ。逢坂小百合と鷺沼先生の一騎打ちが見られるわ。楽しみでしょう」
「それは見物だ。必ず行きます」
「お食事に誘いたいけどダメなのよね」
「ええ残念ですが」
「そんなところだけお堅いのねえ」安座間は意味ありげにウィンクすると立ち上がった。
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