街宣活動

 うさんくさい右翼系のタブロイド新聞を長嶋が所轄から入手してきた。そこには「ヤクザに乗っ取られた処分場」という扇動的な見出しが躍っていた。抗争に蜜の匂いをかぎつけた有象無象の右翼が太陽環境と昇山の双方の陣営にネゴシエーターとして名乗りを上げたようだった。

 「街宣車が市庁舎前に出動すると本署に届出があったそうっす」長嶋が報告した。

 「時間は」

 「今日の一時から二時ってことっす」

 「なるほど。じゃ、行ってみるよ」

 伊刈は昼休みになると昼食をとらずに一人で市庁舎に向かった。街宣活動の予告があった庁舎前のロータリーには機動隊が出動していた。集結した街宣車は大型バスが一台、ワゴン車が一台だけだった。それでも市庁前通りを徐行しながら気勢を上げていた。予告された時刻になると、街宣車のスピーカーから流れる軍歌が止んで街宣活動が始まった。

 「ヤクザが経営する優良な処分場があることをご存知ですか。ヤクザが処分場を経営できるなら不法投棄の心配はありません。だって不法投棄をやられたらヤクザの処分場が儲からなくなります。市庁のみなさん、もうパトロールの必要はありません。あとはヤクザの処分場にお任せください。ヤクザが不法投棄を撲滅してくれます」そんなほめ殺しのアジテーションが延々と続いた。街宣活動を見守るロータリーのギャラリーには産対課の職員の姿も混じっていた。

 街宣車から戦闘服を着た隊員が降りた。そのうちの二人は太陽環境前のプレハブ小屋でダンプのナンバーを控えていた松江と赤城だった。二人は借りてきたようなだぶだぶの戦闘服を着てビラを配りだした。「みんなの郷土を守りましょう」と恥ずかし気もなく書かれた手刷りの安っぽいビラだった。

 「ご苦労様でございます」松江が伊刈に気づいて大声で挨拶した。

 「調所に頼まれたのか」伊刈が尋ねた。

 「裏切られましたよ」松江は首を振った。「こうなりゃあ処分場を潰すしかありませんよ」

 それ以上の立ち話は目立ちすぎるので伊刈はその場を離れようとした。

 「伊刈さん」声をかけられて振り向くとサングラスをかけ地味なコートで変装した逢坂小百合だった。「ちょっといいかしら」

 「ここではまずいですね」

 「それじゃポートタワーで待ってるわ」

 「しょうがないですね」伊刈はわずかに頷いて逢坂からも離れた。

 新漁港のポートタワーに併設された魚魚ッセ(ギョギョッセ)は観光の目玉としてバブル経済時代の終わりに建設された海産物即売所だった。シーズンオフの冬場はエレベータの電気代も出ないほど閑散としていた。賑わっているのはグルメ番組に出たことがある丼屋だけだった。それも人気に便乗して値段を上げてから地元の客には見限られていた。手持無沙汰に魚屋の店頭に並んだマグロの柵を眺めていると逢坂からショートメールが入った。

 タワーのエレベーターを降りるとガラス張りの展望室にあるセルフサービスの喫茶コーナーで出涸らしのように薄いコーヒーを飲んでいると逢坂を見つけた。小顔な横顔が大玉のディオールのサングラスで一層引き立っていた。

 「太陽環境とレーベルが和解したの。ほかの業者との和解も今週中には成立するわ」

 「つまりみんな太陽環境に寝返ったってことですね」

 「そういうことね」

 「和解の条件は」

 「昇山との契約単価と太陽環境の設定料金との差額を支払えば昇山との契約量の搬入を認めるってことよ」

 「なるほど考えましたね。それならレーベルに損はないわけだし、太陽環境だってもともと権利がないんだから価格はいくらだっていいわけだ」

 「それだけじゃないの。昇山に対する損害賠償請求権を太陽環境に譲渡するというのよ」

 「調所さんを孤立させるつもりですね。太陽環境が昇山に対して債権を持ったとなると訴訟の結果もわからなくなりましたね」

 訴訟はますます混迷し、安座間の戦略が着々と進んでいるように思われた。

 「鷺沼先生にはやられたわ」

 「レーベルに関して昇山に打つ手はなかったんじゃないですか。契約金を返還する気はなかったんでしょう」

 「それはそうと宝月先生は解任するかもしれない」

 「それで事態を挽回できますか。かえって裁判官の心象を悪くしますよ。宝月先生もそれなりのお立場がある先生ですから」

 「訴訟って面倒なのね」

 「裁判所と弁護士の関係ってお寺と葬儀屋みたいなものですよ。相身互いって言うかな」

 「伊刈さんておもしろいのね」

 「裁判じゃ何も解決しないからミンボー(民事介入暴力)が手っ取り早い解決策として人気があるんでしょう」伊刈は安座間の受け売りを口にしていた。

 「そうかも」

 観光客の団体が展望室に現れたのを見て逢坂は立ち上がり、海とは反対側の鄙びた町並みを見下ろすテラスの手すりに身をもたせた。伊刈も逢坂に寄り添うように立った。

 「レーベルの大蓮社長が調所を詐欺で告発したわ。それで調所もレーベルを不法投棄で逆告発したの」逢坂が窓外に広がる犬咬の丘陵地帯を眺めながら言った。

 「泥仕合の二回戦ですか。初めから大蓮さんを騙すつもりで契約したのじゃなければ調所さんは詐欺罪にはなりませんよ。五十億円で権利を実際買っているんだから大丈夫でしょう」

 「レーベルの不法投棄はどう?」

 「県や市からの告発ならともかく調所さんの告発では動かないでしょうね」

 「そういうものなの」

 「告発してもヤクザか政治家がらみじゃないと捜査はしませんね。どっちも同じことですけど」

 「伊刈さんはなんでもお見通しなのね」

 「警察がヤクザ同士の争いに介入するとすれば両成敗になります」

 「つまり調所と大蓮を両方とも上げるってことね」

 「それなら恨みっこなしでしょう。どっちかだけだと警察がどっちかの組織に肩入れしたってことになるじゃないですか」

 「なるよくほどわかったわ」

 「調所さんがほんとうに稜友会系のヤクザの顧問だったなら、むしろ違った展開になったかもしれませんね」

 「太陽環境は大耀会に乗っ取られて食い物にされてるだけなのよ。御園にはなんの利益もないのよ」

 「そういえば御園さんの行方はどうなりましたか」

 「まだ雲隠れのようね」

 「生きていないんじゃないですか」

 「その可能性もあるわね」

 「相談というのは」

 「調所が太陽環境を実力で奪還しようとするかもしれない」

 「それでは勝てる訴訟が勝てなくなる」

 「なんとか止められないかしら」

 「ヤクザの抗争を仲裁しろっていうんですか」

 「やっぱりムリかしら」

 「調所さんを止めることはムリです。争いを最小限度にする方法はありますね」

 「どうするの」

 「太陽環境側にあらかじめ情報を流して処分場を明渡させるんです。つまり無血開城ですね」

 「お願いできるの?」逢坂はテラスに置かれた伊刈の手の甲に触れた。二人の肌が直接触れたのはこれが最初だった。

 「僕にですか」伊刈は手をそのままにして逢坂を見た。

 「だってほかにお願いできる人がいないわ。警察が介入するような事態になったら訴訟どころではなくなるし、調所はほんとに終わりだわ」

 「やれるだけやってみますよ。襲撃の決行日がわかったら連絡してください」

 「いいわ」逢坂はゆっくりと手すりから手を離した。伊刈は一人でエレベーターホールに向かった。逢坂はサングラスを外して伊刈の背中を頼もしそうに見送った。

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