泣き言
逢坂小百合と調所が揃って事務所に伊刈を訪ねてきた。別の場所で会いたいと言われたのだが事務所以外では会えないと断ったのだ。控えめな無地のワンピースを着ていても逢坂は十分に目立った。逢坂が密会していることを安座間に感づかれたので用心したつもりだったが会うのは得策ではなかった。
「伊刈はん、どないしたもんやろな」強気の調所がいきなり大阪弁で助言を求めた。
「訴訟のことですか」
「そうやがな」
「次も準備期日でしたね」
「裁判長はんがな、昇山が金を払ったのは事実なんやから金を返すか処分場を明け渡すかどちらかはせなあかんのやから和解ができないかと言うてくれはりましてな、そらもう立派な裁判長でんがな。ところが鷺沼先生がなどうにもなりまへんのや」
「鷺沼先生はなんと」
「ヤクザとは和解できへん。わてが昇山の株を手放すのが和解の条件や、こう言いますのんや」
「どうするんです」
「今更言うてもしょうもないことですけどな、わてはヤクザやあらしまへん。ずいぶん長いこと兵庫県警に抗議してるんやけど、どないしてもブラックリストから消してもらえまへんのや」
「どうしてリストに」
「話せば長いことでんがな。フロントと知らずに金を貸してしもうた不動産屋のババアがいてましてな。これがとんでもない強欲ババアで金を返さない上にわてがヤクザやて訴え出たんですわ。ところがでんな、なんのことはおまへん、そのババアがヤクザの女でんがな。それでな、あるお方に仲裁を頼んだのが間違いの始まりでな。知らんうちに顧問いうことにされてしもうたんや。わての預かり知らんことやといくら訴えてももうあきまへん」
「いったんリストに載せたら警察はおいそれと間違いを認めませんよ。それにブラックリストは文字どおり表にできないリストで、そもそもそんなリストはないはずですからね」
「実は一つだけ消す方法がある言うてな。破門状があれば消せるて言うんですわ。だけどそもそも組と関係あらしまへんのに破門状が出るわけないわなあ」
「和解しないで判決をもらったらどうですか」
「宝月先生がな、和解したほうが早い言いますのでな、しゃあないから昇山の株は逢坂に譲りますわ」
「どういう和解案になるんですか」
「返す金はないやろから処分場を昇山に譲るいうのがまあ大筋ですわな。これまで太陽環境が勝手に埋めてしもうた分の損害の請求は放棄するいうのと、残りの容量の五パーセントを御園の権利として残すいうのが向こうの条件やな」
「それはかなりの損失ではないですか」
「まあそれくらいはしょうがないやろな」
「私はそんな甘くないと思ってるわ」逢坂が口を挟んだ。「和解なんてきっとできないわよ」
「どうしてですか」
「鷺沼は巧妙なのよ。何かにつけてこの訴訟が稜友会と大耀会の抗争だと裁判所に印象付けているの」
「それにどんな意味があるんですか」
「ヤクザのどちらにも勝たせたくないという裁判官の心理にうまく乗じてるのよ。和解に応ずると見せかけては難題をつきつけて思わせぶりな態度で訴訟を引き伸ばしてくるに違いないわ」
「その間に搬入を続けて食い逃げする作戦ですね」伊刈は逢坂の読みに同意した。
「鷺沼はね、東部環境事務所の伊刈は稜友会の回し者だと準備書面に書いてるのよ」
「ほんとですか」
「これを見てちょうだい」ユキエは準備書面を広げた。
確かに逢坂の言ったとおり準備書面に「市職員の伊刈は稜友会の回し者であることが明らかである」と書かれていた。さらに読み進めると、太陽環境と同名の社名で黒田が隣地に法人登記していることが書かれていた。これは調所が黒田に命じてやらせている営業妨害行為だと指摘していた。逢坂小百合が売春婦だと決めつけるくだりもあった。虚実おりまぜた鷺沼の書面は勝ちに行っているというより訴訟が泥仕合になることを狙っているようだった。確かにこの書面を見た裁判官はどちらにも勝たせたくない、つまり判決を書きたくないという心象を持つかもしれなかった。伊刈と逢坂の関係に尾ヒレを付けて書くのも時間の問題だと思われた。
裁判が長引くことは五十億円出してしまっている調所に不利だ。調所の一人負けになるという安座間の予想どおりだった。
「この書面にどう反論したらいいかしらね」
「僕についてのくだりならほっておいてください。それより昇山の弁護士はどんな作戦なんですか」
「宝月先生は正攻法なのよ。仮処分の即時抗告もムダだってやってくれなかったし」
「あの仮処分は抗告すれば逆転の可能性もありましたね」
「私もそう思うわ」
訴訟は太陽環境ペースで進んでいるようだった。
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