懐柔
東京駅で伊刈と落ち合った安座間は丸の内ブリックスホテルの最上階のラウンジに誘った。昼間ということもあり黒を基調とした調度をそろえたラウンジにはほとんど人気がなかった。二人は東京駅を見下ろすボックス席に座った。ふかふかのソファがかえって落ち着かなかった。
「いつも裁判を傍聴されているんですか」伊刈から切り出した。
「たまたま近くまで来たのでどんなところかと覗いてみたの。刑事事件の法廷の中に立たされときは緊張したけど民事はのんびりなのねえ」たまたまというのは安座間の常套句だ。もちろん嘘だろうと伊刈は感じだ。
「狐澤さんはお見えじゃなかったですね」
「もう関係ないからね」
「関係ないとは」
「勝手なまねばかりするから社長は御園に戻したわ。さっき来てた倅さんのほうだけどね」
「傍聴席にいたヤクザ二人が安座間さんに挨拶していましたね」
「もう来ないように言っておくわ」
「太陽環境とどういうご関係か改めてお聞きしてもいいですか」
「そうねえ、ちょっと一言で言うの難しいんだけどね、調所が目障りなのよ。ボスが調所を関東から追い出せというから」
「調所さんって何者なんですか」
「不動産関係のトラブルを起こして西にいられなくなったって聞いてるけどね」
「何が気に入らないんですか」
「きっと調所の上が気に入らないんでしょう」
「さっき法廷にいた逢坂さんはご存知ですか」
「なんとなくね」安座間は意味ありげに伊刈を見返した。「調所の愛人だって思われてるけど違うと思うわ」
「違うとは」
「一時期、大阪のタレント事務所に所属してたってのはほんとみたいよ。モデルやったりパニオンやったりしてたみたい。関西限定だけど、ちょっとしたCMにも出てたことあるらしいよ。まあ本業はウリでしょうけどね」
伊刈は無言でうなずいた。逢坂小百合の顔写真はモデルエージェンシーのホームページからは削除されていた。しかし、写真マニアの個人ホームページに撮影会で撮られた写真がアップされたままになっていた。
「彼女には相当の大物の客がついてたっていう噂もあるみたいね。調所はその下なんじゃないの」
「なるほどつまり調所さんより彼女が上ですか」
「伊刈さん、この訴訟どうなると思う」
「調所さんが勝つんじゃないですか。いろいろ事情は複雑だけど五十億円払ったことは事実ですから」
「あたしの考えは違う。調所の一人負けね」
「どうしてですか」
「だって調所以外の誰も損していないじゃない」
「訴訟に勝っても勝負に勝てないって意味ですね」
「訴訟なんてなんの解決にもならないわ」
「どっちに勝ってほしいですか」
「太陽環境の許可を取消してくれれば面倒がなかったのに」
「狐澤さんを使って処分場を二重売買したのは安座間さんのボスの指示ですね」
「だけど狐澤がへんな欲を出したから外したってことよ」
「株主は御園さんのままだそうですね」
「あの男案外利口なの。行方をくらましたままなのよ」
「株主が不在なのに代表を変更できるんですか」
「総会の議事録くらいなんとでもなるでしょう」
「ナチュラルクリーンはどんな手を使ったんですか」
「何もしてないわよ。売りに出たから買っただけ。調所はね、産廃は素人よ。何にも知らないでお金だけ出してる。伊刈さんが見つけた花一証券の約款があったでしょう。あれは政治がらみのゴミでね、そうとうヤバかったの。伊刈さんが調べてるのに気付いた逢坂が調所に進言して手を引かせたのよ。逢坂はこっちの政治家ともできてるみたいだわ」
「鷺沼先生は優秀ですね」
「お金が目当てのケチな弁護士だけど使えることは使える。普通の先生はね、勝ち負けより自分の立場が大事よ。裁判官の顔を立てたり、先輩弁護士の顔を立てたりで、本気の喧嘩なんかしないわ。だけど鷺沼はちょっと変わってる。金になると思えば体面なんか関係なしになんでもやるのよ」
「昇山に勝てるんですか」
「勝つ必要ないのよ。負けなければいいの。裁判はギャンブルとおなじよ。先に消耗したほうが負けなのよ」
「つまり引き伸ばしですか」
「鷺沼の作戦はね」
「ちょっとこの訴訟の見方が変わりましたね」
「伊刈さんは逢坂をどうする気なの」
「え?」
「今日会うつもりだったでしょう。正直に言うけど、それを邪魔しにきたのよ。向こうにつかれると困る。あなたと逢坂の関係に気付いたら鷺沼は書面に書くわよ。そこまでやるやつだからね」
「エターナルクリーンでお会いしたことがあります。それだけですよ」
「その程度ならかえって挨拶して帰るでしょう。わざと無視するってことはそれ以上ってことよ。気をつけてね」安座間の観察眼は鋭かった。
「十分注意してお付き合いしますよ」
「どっちみちあたしの味方してくれとは頼めないからね。ヤクザの女だし不法投棄の前科一犯だもんね。逢坂は表向ききれいだからね」安座間は伝票をつかんで立ち上がった。伊刈があわてて取り戻そうとしたがムダだった。
「今日はありがとう。初デートの気分だったわ。またどこかでお茶しましょう」安座間はエレベータを使わずに吹き抜けの階段を一つ下の階へと降りていった。二人の関係を詮索しているギャルソンの社交的な笑顔に見送られて伊刈は逆方向のエレベータホールに向かった。
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