美女の相談

 「伊刈さん、また相談に乗っていただきたいことがあるの」ユキエから伊刈の携帯に電話がかかった。

 「密会はもうだめですよ。名義だけでも許可業者の社長になられたのですから滅多な場所でお会いすることはできません」

 「それなら逆に昇山の社長として、そちらの事務所にお伺いしてご指導願うことはできるのかしら」

 「まあ、事務所なら仕事ですから拒みませんよ」

 「わかったわ。楽しみにしててね」ユキエは意味あり気なことを言って電話を切った。

 「昇山のほんとの社長が来るそうだよ」電話を切った伊刈が長嶋に言った。

 「逢坂っすか」

 「なんだ知ってるのか」かえって伊刈が驚いた顔をした。

 「名前だけっすよ。班長は知ってたんすか」

 「昇山の登記簿までは見てなかったけどな」

 「大阪まで取りに行けないすからね」

 「逢坂に会ったら驚くよ」

 「班長は会ったことあるんすか」

 「うんまあ。嘘はつきたくないからね。だけど長嶋さんも知ってる女だよ。僕一人で対応するつもりだけど楽しみにしててよ」

 「わかりました」

 ユキエがマイクロミニのドレス姿で現れ親しげに伊刈に会釈したとき、彼女に見覚えのある監視班のメンバーは一様にあっけに取られた。面接テーブルについたユキエが長い脚を組み合わせると環境事務所内は不思議な沈黙に包まれた。居合わせた全員が息を殺して二人のやりとりに聞き耳を立てていた。

 「相談というのは他でもないの。太陽環境の営業権紛争のことよ。実は訴訟に発展したの。昇山が太陽環境の搬入差し止めの仮処分申請をしたら太陽環境も昇山を営業妨害で逆提訴してきたの。それだけじゃないわ。レーベルが昇山と太陽環境の双方を債務不履行で訴えたのよ。レーベル以外の業者も同調して共同訴訟を提訴する動きになってる」

 「泥沼ですね」

 「伊刈さんはどう思うかしら」

 「昇山と太陽環境の紛争の発端は処分場の営業権もしくは搬入権の二重譲渡という単純な詐欺事件ですよ。簡単に決着がつくんじゃないですか」

 「詐欺は太陽環境の方よね。仮処分は通るかしら」

 「本案はなんですか。処分場の明け渡しですか、それとも営業権の妨害排除ですか」

 「ホンアンて何かしら」

 「仮処分の後の本訴のことです。審尋は何回か入りましたか」

 「二回入ったわ」

 「裁判官はなんと」

 「営業権の疎明をするようにという指示です。それで契約書を提出しました」

 「なるほど」

 「勝てるかしら」

 「わかりませんね。調所さんに見せてもらった契約書には昇山が営業権を独占するとは書かれてなかったように思いました」

 「それが何か問題なのかしら」

 「独占じゃないと仮処分は通らないかもしれませんね」

 「独占ではないけど搬入権の全量を買ったのよ。うちの先生はそれで勝てるってことなんだけど」

 「弁護士はそう思っても裁判官の心象次第ですからね」

 「また会っていただけるかしら」

 「いつでもどうぞ」

 「ありがとう」ユキエはさっそうと引き上げていった。

 ユキエの後姿を見送って長嶋がまっさきに寄ってきた。

 「班長、あの女はやばいっすよ。調所の女でしょう。それにあの女エターナルクリーンの大伴社長の変死の件で全く嫌疑が晴れたってわけじゃないんすよ」

 「しか、一応昇山の社長だからね、対応しないわけにはいかない」

 「横嶋はなんだったんですかね」

 「勝手に社長を名乗っていただけらしいよ」

 「で、班長どうするんすか」

 「太陽環境で不穏が動きが続いてるみたいだから様子を見に行ってみるか」

 「いいすけど、どうして調所にしても狐澤にしてもみんな班長のとこに来るんすかね。最終処分場の指導は本課の担当なんすよね」

 「本課の連中がびびってるからじゃないか」

 「それはあるかもしれないすね。班長は怖いものがないから」

 「怖いものはあるよ」

 「なんすか」

 「まあそのうち。とにかく現場に行ってみよう」伊刈が立ち上がるのを見てチーム全員が従った。

 太陽環境に近付くと搬入口の前の路肩に建てられた監視小屋がまず目についた。立ち寄ってみると小柄な初老のゴロが二人詰めていた。二人は松江と赤城と名乗った。赤ら顔でみすぼらしい身なりの二人が意味もなくニコニコと微笑みかけてくるのを見ると、なぜかしら伊刈は南宋の梁楷が描いた寒山拾得図を思い出した。

 「おまえらここで何やってんだ」見知った顔だったのか長嶋が凄みを利かせて言った。

 「ダンプのナンバーを記録してんですよ」松江が答えた。

 「誰に頼まれたんだ」

 「調所さんですよ」

 「なるほど。日当もらってんのか」

 「ほんとはね、俺らは御園が処分場をこさえるのを手伝ったんだけどね、やつが裏切ったもんだから調所についたんだよ」

 「どういうことだ」

 「詳しくおせえっから茶でも飲んでいきなよ」

 長嶋がどうするか指示を仰ぐように伊刈を振り返った。

 「お茶はいいけど話は聞かせてもらいたいな」伊刈が答えた。

 監視チームのメンバー四人は狭苦しい監視小屋の中に入った。ちゃぶ台が置かれているだけの三畳ほどの広さの監視小屋だった。蹴飛ばせば穴が開くようなベニヤ壁の中古プレハブで、石油ストーブ一つだけでは寒そうだった。

 「俺は御園とは古い仲なんだよ」松江が話し始めた。「やつに頼まれて地主の同意書をもらって歩く下働きをやったんだ。それだけじゃない、御園が金がないって言うから代金立替で倅の会社で工事もやってやったんだ。やつは処分場が許可になったら倅に現場の管理を任せるって約束したんだ。ところがオープンしたらどうだ。いくら借りたのかしんないけど調所にすっかり任せちまってなんの見返りもありゃしない。ところが調所も騙された。それでやっと利用されたとわかったよ。御園は昔はいいやつだったんだけどよ、今じゃ金の亡者になっちまったな。俺たちはなくなく御園と縁を切って調所と組むことにしたんだ」

 「調所の金で監視小屋を建てたのか」

 「ああそうだ。搬入するダンプをビデオで撮影しておいて、どこの会社が入れてるか調べるんだ」

 「搬入してる会社を脅かすつもりか」

 「それは調所次第だよ。俺たちは撮影だけだ」

 「御園はよく文句を言わないな」

 「やつは俺には手を出せないよ。俺には借りがあるし、やつの倅のこととかなんでも知ってっからな」

 「倅って専務のことか」

 「まあいいじゃねえか。とにかく俺を裏切ったらただじゃおかねえよ」

 「処分場の中はどんなだ」

 「だいぶ埋めたみたいだな。調所は訴訟を起こしたんだろう。そんなの御園は屁でもねえよ。長引かせて埋め逃げする算段だろう。こすっからい野郎だよ」

 「一日何台入れてるんだ」

 「二十台から多いときには三十台だね。これ見てみな」松江がナンバーを記したノートを見せた。

 「それくらいじゃ、まだすぐには終わらないな」

 「そのうち百台とかになるんじゃねえの。まあ中を見てきなよ。あんたたちなら中まで入れるんだろう。帰りにまた寄りなよ」松江は悪びれる様子もなく伊刈たちを処分場へと送り出した。

 松江と赤城の建てた監視小屋を離れてて太陽環境の搬入口に入ろうとしたところで、伊刈たちはチンピラに足止めされた。相手が誰だろうと見境がないようだった。

 「なんだおまえら」

 「市の環境事務所だよ。見ればわかるだろう」伊刈が言った。

 「契約してるダンプ以外は誰も通すなって言われてんだよ。わりいけど帰ってくんな」

 「ダンプと役所を一緒にするなよ。中を見せてもらいます」伊刈は男を無視してゲートを通過しようとした。男が伊刈にカラダを寄せようとした。すかさず長嶋が男との間に入った。

 「ばかやろう、ちょっとこい」長嶋がすごみを利かせて男を睨んだ。

 「なんだよ、てめえオデコかよ」さすがに長嶋の威圧にひるんで男は立ち止まった。

 「手を出したら引っ張るぞ。社長か専務にさっさと連絡しろ」

 「新藤さんに聞いてみっからちょっと待ってろ」チンピラは携帯を耳に当てた。すぐに現場監督の新藤が飛んできた。

 「ばかかお前ら。伊刈さん相手につっぱってどうすんだ。早くどけろ」新藤に一括されて、チンピラは道を開けた。

 「あれは狐澤んとこのもんか」長嶋が新藤に問いかけた。

 「そうすね」

 「ずいぶん厳しいことになってるみたいだな」

 「一食触発って感じですかねえ」

 「おまえ調所の仲間だったんじゃないのか」

 「滅相もないすよ。俺はここの監督すよ。まあたまにネタは流してますがね」

 「あい変わらず二股か」

 「ここの連中はみいんな金で寝返りますよ。専務だって社長だって同じじゃないすか」

 「なるほど」

 「現場見せてもらいますよ」伊刈が搬入路の坂道を下りだしながら言った。

 「どうぞどうぞ」

 「昇山が契約した業者を排除したってのはほんとうなんだね」

 「そうすよ」

 「よくけが人が出なかったな」長嶋が言った。

 「みんなサラリーマンの運ちゃんだから体張りませんよ」

 坂道を降りるに従って処分場の変化に気付いた。しばらく見ないうちに太陽環境の埋め立てはかなり進捗し、明らかに残存容量が少なくなっているのがわかった。

 「あの白っぽいゴミはなんですか」伊刈が聞いた。

 「建設系じゃないっすか」

 「点検しますよ」

 「どうぞ」

 遠目から白く見えたゴミは石膏ボードを潰したものだった。ボードがついたまま重機で踏み潰したものだった。

 「これを埋めたから黒い川ができたのに性懲りもなくまた入れたのか」伊刈が呆れて進藤を見た。

 「入れるか入れないかは専務が決めますから」

 「専務は健在なんですね」

 「狐澤は名前だけの社長っすよ。管理責任者になれるのは専務だけだから社長は代えられても専務は首にできないよね」

 「なるほど。それで石膏ボードはどこの荷なんだ」

 「言っていいんすかね」

 「言わなくても調べればわかるけど」

 「そりゃそおっすよね。坂一建設じゃないっすかね」

 「最終処分場持ってる坂一か」

 「ええ」

 「なんで自分とこの処分場に入れないで余所に持ってくるんだ」

 「自分とこが終わっちゃ困るからでしょう。自分とこに入れたことにしてこっちへ安く流せば儲かるでしょう」

 「こっちのほうが安いってことだな」

 「まあそおっすね。相場の半値くらいで受けてるみたいだからね」

 「訴訟が終るまでに食い逃げってことだな」

 「それは言いっこなし」

 「事務所で坂一建設の書類もらってくよ。撤去指導することになると思うから、それまで埋めずに分けといて」

 「へい」

 「やけに素直だな」

 「調所の親父がね、伊刈さんが来たらなんでも言うことを聞けってから」

 「やっぱり二重スパイじゃないか」

 「そんな人聞きの。もう何か月も給料もらってないんすからバイトしないと食えないでしょう」

 伊刈は事務所でマニフェストを点検して坂一建設が搬入した石膏ボードくずがダンプ十五台だということを確認した。

 坂一建設はあっさりと撤去指導に従った。新藤が石膏ボードを埋めた場所を掘削すると、真っ白な石膏が出てきた。

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