敵の敵は味方

 「とんでもないことになりましたよ」保全班の大室が伊刈の机に寄ってきた。

 「どうしました?」

 「伊刈さんが完璧だと認めたエコユートピアなんです。場外の観測井で塩化物イオンを検出したそうです」

 「それどういうことになるんですか?」

 「今朝の新聞ご覧になってませんか」

 「新聞?」

 「これですよ」大室が地方紙の一面トップ記事を示した。


《最終処分場で高濃度塩化物イオンを検出 市が改善勧告》

 犬咬市産業廃棄物対策課は十二月一日エコユートピア管理型処分場からの保有水の漏洩について犬咬第一小学校体育館で説明会を開き、集まった住民百三十余名に経過を説明し一時間に渡り質疑を受けた。

 【市の説明要旨】扇面ヶ浦に設置されているエコユートピアの管理型最終処分場は不透水性の地層を利用して設置されている。処分場の下流側に設置されている観測井において塩化物が検出されるなど処分場内保有水の漏洩を示すデータが測定されていることから市は事業者に調査及び対策の実施を求めてきた。事業者は調査を実施するとともに浸出水の回収、処理などの応急対策を講じてきた。現時点では原因が究明されておらず、塩化物の濃度も下がらず、浸出水の影響範囲が拡大する恐れがあると判断されたことから、市は十二月一日処分場内の改善を勧告した。勧告内容は次のとおり。

 1.埋立地からの保有水等の浸出の原因を究明すること。

 2.埋立地からの保有水等の浸出を防止するための応急及び恒久の対策を講ずること。

 3.改善が確認されるまでの間、保有水等が浸出している埋立地での廃棄物の埋立処分を自粛停止するなど、環境保全に万全を期すこと。

 住民代表の荻野目氏は説明不十分として徹底解明と処分場の閉鎖及び全面撤去を含む改善工事の実施を求めている。


 「よくわからないんだけど塩化物ってそんなに問題なのかな」新聞から目を離して伊刈が言った。

 「実はですね、塩化物イオンには排出基準はないんです。要するに食塩ですから汚染物質じゃないです。でも場外で検出されたってことは処分場の底が抜けてる可能性があるってことです。つまり漏洩です」大室がわかりやすく説明した。

 「それはまずいかもな」

 「まずいですね。やっぱり完璧な処分場なんてないものないんですね」

 「底が抜けてるとすれば早めに措置しないと他の汚染物質もいずれ検出されるかもしれないってことだね。やっぱり環境は最期には化学屋の出番てことか。たかが食塩くらいでそんな重大事件になるんだからな」

 「ほんとは大したことなかったんですよ。ところがですね、ちょっとしたハプニングがありましてね」大室が声をひそめた。

 「どうした」

 「竜野社長がですね、塩化物なんて規制物質でもなんでもないのに改善措置なんて必要ない、搬入自粛もする気がないと鎗田次長の前で開き直っちゃったみたいなんですよ」

 「あの社長らしいな。いつも本省のキャリアばかり相手にしてるから市の部長や課長ごときは小バカにするみたいなところがあるからね」

 「それやっちゃったみたいですよ。社長が帰った後で次長がかんかんになって改善命令を出せって指示したそうなんです」

 「命令はムリだろう」

 「そりゃあそうですよ。排出基準違反じゃないですから。ただですね塩化物イオンの検出データが市民に漏れてしまいまして、右翼も動き出してきてかなり話が大きくなってきたんで、本課としては改善勧告書で事実上の搬入停止を指導することにしたんだそうです。それだけならいいんですが、新聞にもあったとおり市民集会に課長が出席して勧告書の内容を公開したんで今朝の一面記事ですよ。地方紙とはいえ一面ですから」

 「強気の竜野社長もこれじゃ弱ってるだろうな」

 「それはどうでしょうか」

 「バックデータとかあるの」

 「ありますよ。ちょっと専門的ですがご覧になりますか」

 大室は技術系職員に配られた記者会見資料を示した。そこには観測用井戸の塩化物イオン濃度が一年前の一リットル当たり千五百ミリグラムから今年になって千九百ミリグラムに上昇していること、電気伝導率が六百十(ms/m)から七百四十八(ms/m)に上昇していること、地下水等検査項目(二十二項目)に有害物質環境基準を超えるものはなかったことなどが書かれていた。漏洩の原因については観測井戸の保有水は処分場下の地層のクラックを通して漏れたものと考えられると書かれ、許可時点では岩盤の透水性について国の基準より二桁小さい数値で申請されており許可に問題はなかったが、その後の廃棄物の荷重による沈下でクラックが生じたと推定されると説明されていた。さらに申請中の処分場の増設については漏洩原因の究明と処分場外漏洩対策が完了するまで審査を見合わせると書かれていた。

 午後になるとエコユートピアについて伊刈の意見を聞きたいとメディアから何件か電話がかかった。しかし担当ではないので答えられないとすべて断った。そんな中、右翼の大藪からも電話があった。

 「伊刈さん、新聞記事は見たよな」

 「ええ見ましたよ」

 「俺はよ、住民説明会にも出たんだ。本課の課長の話はよ、でたらめなんだろう」

 「どういうことですか」

 「だってよ昨年から分かってたことなのにどうしてもっと早く公表しなかったんだよ」

 「そう言われましても」

 「塩化物イオンてなあ、なんなんだよ」

 「食塩だそうです」

 「あん、そうなのか」

 「ええ。井戸水一リットルに一・九グラムの食塩が検出されたってことです」

 「それって濃いのか」

 「海水よりはずっと薄いと思いますけど」

 「ふうん」

 「会場ではどんな話が出たんですか」

 「ああ住民からはね、生物調査や稲作の影響調査をしてもらいたいとか、有害物の環境基準の生データを出せとか、崖から赤い水が出てるのは関係ないのかとか、ダンプの振動で迷惑してたとかいろいろ出たな」

 「赤い水ですか」

 「ああ確かに出てるらしいな」

 「それは聞いてなかたったですね」

 「社長のことは知ってんだろう」

 「お会いしたことはありますよ」

 「生意気な社長だろう。俺たちみてえなチンピラとはよ、住む世界が違うみてえな偉そうな態度でよ」

 「まあそう思われるのはムリもないかもしれませんね」

 「だろう。今後のことはいい薬だよな。徹底的にやってくれよ。弱いとこばっかいじめないでさ」

 「本課に言っておきますよ」

 「頼むぜ伊刈さんよ」

 「大藪さんはこれから何か動かれるんですか」

 「そうよなあ、ネタがあれば動くんだけどよ、そうか塩化物イオンてのは食塩のことなのか」

 「そうらしいです」

 「まいったなあ。それじゃ毒を流してるとも書けないなあ」

 「毒ではないですね」

 「や、参考になったよ。悪かったな。また電話するわ」

 その後大藪からエコユートピアの件で電話がかかることは二度となかった。

 「やっぱり完璧な処分場はありえなかったですね」電話が終るのを待って喜多も大室と同じことを言った。

 「科学的に管理しているから処分場は安全だっていう竜野社長の持論は神話だったってことだな」

 「エコユートピアは潰れるんじゃないかって言う人もいますね」

 「喜多さんは決算書見たよね」

 「はい見ました」

 「純資産はいくらあった」

 「確か三百億円はありましたね」

 「それだけあればそっくり掘り返して新しい処分場を作れるよ。あの社長のことだから百億円くらいの改善工事なら意地になってやるんじゃないか」

 「そうかもしれないですね」

 「科学的管理万能論は破綻したけど、もしも今度の問題を解決したら本物の竜野神話になるんじゃないか」

 「班長は竜野社長が嫌いでしたよね。エールを送るんですか」

 「確かにカチンときたよなあ。大企業だけが相手ですから当社には営業は必要ないんですなんてよく言うよな。営業が必要ないならあんな都心の一等地の高層ビルに本社構える必要ないだろう。これからはリサイクルの時代なんだから大企業がいつまでも最終処分場の顧客ではいないよ。そうなったら今はバカにしている中小企業にきっと頭を下げるようになる。とにかく今度のことでちょっと好きになった」

 「溜飲を下げたってことですか」

 「だって鎗田次長に喧嘩売ったんだろう」

 「あっ敵の敵は味方ってことですか」

 「そういうことでもないけどね」伊刈は愉快そうに笑うと新聞記事を机にしまった。

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