廃業証券
ナチュラルクリーンに花一証券の廃書類を持ち込んだ可能性がある取引先一覧の作成を指示したもののあてにならなかった。伊刈は花一証券の精算人となっている法律事務所を自分で調べた。
センチュリー・ローファームは弁護士四十人をかかえる中堅の弁護士法人だった。花一証券を担当した坪倉弁護士は顧客情報の開示を拒んだ。伊刈は法律事務所にも査察が入ると脅かして花一証券が明け渡した旧東京本社屋の片付けを請け負った会社を聞き出した。急転直下に決まった自主廃業のためかなりドタバタしたようで書類は部門ごとにまちまちに廃棄されていた。社債約款を廃棄したのはエクイティブ部門だった。廃棄の担当者が誰かはすぐにわからなかった。ようやく突きとめた担当は退職していて連絡がつかなかった。機密書類の大半は物流業者のアーバンエクスプレスに委託されて製紙会社で溶解処理されたことになっていた。アーバンエクスプレスに連絡して問いただすと、未分別のミックスペーパーだったために処分先として予定していた合同製紙から受け取りを拒否され、ダンボールの中身が機密書類だとは知らずに複数の産廃業者に分割されて委託処理されたということだった。
伊刈はアーバンエクスプレスが廃書類の処分を委託した産廃業者のリストを入手してナチュラルクリーンに作らせた搬入業者リストと照合した。ナチュラルクリーンで確認した荷姿は未破砕の直行便だったので二つのリストに共通の業者があるのではないかと予想したのだ。その結果二社が浮かび上がった。伊刈は二社に対して花一証券の社債約款の調査だとは告げずに立入検査を通告した。
そのうちの一社の千田興業はもともと市内に小さな積替保管施設を有するだけの収集運搬業者だった。ところが最近大規模な投資を行って複合選別プラントに衣替えしたばかりだった。検査の通告をすると意外なことに社長の千田は検査に来られるのがむしろうれしいという感じだった。たいへんな借金をして建設した理想の新工場を自慢したかったのである。
「ご苦労様です。事務所で一服されますか」」ぴっかぴかの工場の正面入口に立った千田社長は満面の笑みで検査チームを出迎えた。
「工場を先に拝見しましょう」
「わかりました。ですがまずこのパンフレットを見ていただきたいのです。当社は徹底的な機械選別を行う総合リサイクルセンターなんです」
「そのようですね」伊刈は適当に相槌を打った。
「破砕処理の許可をいただきましたが、これは前処理のようなものでして、その後にトロンメル、風力選別、磁力選別、電磁選別などを多段階に組み合わせております。建設系廃棄物に関しては99パーセントリサイクルを目指しております」
「1パーセントはなんですか」
「最後にどうしても砂が残ります。砂も有効利用しております。ですが売れませんので」
「なるほど」
オープンして間もないピカピカの施設にはとりたてて難点もなかった。検査は千田社長の自慢話で終わってしまった。
「念のため書類を拝見したいのですが」
「どうぞ」千田は伊刈の検査目的を知らなかった。伊刈は花一証券が廃業時に廃棄した社債約款を千田興業が受託したかどうかにしか関心がなかった。
「新工場の建設のために借入金が増えたみたいですね」伊刈は検査目的を隠して適当な指摘をした。
「これからの産廃業界はリサイクルの時代、規模の時代ですよ。これくらいの投資をしなければ取り残されます。この工場で満足せず、次のステップも考えています」
「次はどうするんですか」
「田舎では仕事の量に限界があります。次は都内に新工場がほしいと思っています」
「どうして都内ですか」
「御厨原都知事が廃棄物の都内処理を進める方針を打ち出しています。これから都内に拠点を持たない業者は都内での営業が不利になります。地価は法外に高いです。ですが営業効率と運送コストのメリットはそれ以上です。コンペに残れれば利子補給等の優遇措置も受けられます」
「中央防波堤のスーパーエコタウンのことですね」
「そうです」
「そこも建廃系の施設ですか」
「うちはそれが専門です」
「建設系は景気変動に弱いですよ」
「それはわかってます。うちはほかの品目には経験がないですし長い目で見たらやはり産廃は建設系が一番ですよ」
「食品系はやらないんですね」
「うちはやりません。確かに食品は不景気には強いと聞きます。人口減少といっても食べる量がいきなり半分になったりはしないでしょうし、牛肉が豚肉になってもゴミの量には影響しないでしょうからね。だけど食品のリサイクルは怪しいですよ。しっかりした販路がないですからね」
「なるほど。ところで最近オフィスゴミを受けていませんか」
「ミックスだったら受けましたね」
「ミックスペーパーですか」
「ミックスプラですよ」
「どうされましたか」
「収集運搬だけ受けたんです。開封してはいけないと言うので、そのままナチュラルクリーンに出しました」
「その関係書類を拝見していいですか」
「ああ、構わないですけど」
千田社長が探し出してきた書類を見ると、廃棄物の品目は廃プラ、輩出元は花一証券ではなく物流会社のアーバンエクスプレスとなっていた。
「これを運搬してきた車は何トンですか?」
「四トンですね」
「運搬重量は三千二百キログラムとなっています。これは物流会社で計量したんですね」
「そうだと思います」
「重くないですか」
「は?」
「廃プラだとしたらちょっと重いと思いませんか」
「なるほどそうですね。プラにしては重いかもしれませんね」
「何か混ざっていたと思いませんか」
「さあ開封しておりませんのでね。でも異物があればナチュラルクリーンから返品したと思いますよ。しっかりした運送会社ですから」
「それもそうですね」伊刈はそれ以上追求しなかった。千田興業がナチュラルクリーンに運搬した廃プラに社債約款が混入していた可能性は高かった。しかし確証はなかった。
花一証券の社債約款を流出させたかもしれないもう一つの会社の有田工業は埼玉県にあった。伊刈はためらわずに検査に出向いた。関越道のインターを降りると周囲に広々としたネギ畑が周囲に広がっていた。処分場を立地する土地はいくらでもありそうなのに有田工業はわざわざ街中の住宅地の路地裏に立地していた。来客用の駐車場が見当たらないので、長嶋は業務用のパッカー車の隙間になんとかXトレールを押し込んだ。もともとは小さな焼却場だったところへ順次施設を増設してきたらしく、幅員四メートルほどの道路を挟んだ二筆の敷地に所狭しと焼却炉が二基、破砕機が二基設置されていた。小さな積替保管場が産廃で満杯になっているのが路上からも見えた。事務所は創業当初から使っている古びた平屋のプレハブだった。すべりの悪い扉を開けると、産廃業者の事務所ではどこも同じでマニフェストを提出する小さなカウンターがあった。その奥に揃いの制服を着た五、六人の女子事務員の背中が見えた。
「お電話を差し上げた犬咬市の環境事務所の者です」伊刈が名乗ると年かさの女子事務員が立ち上がって奥の社長室に案内してくれた。
「社長は工場におります。すぐに呼んで参ります。こちらでお待ちください」人のよさそうな事務員はペコリと頭を下げて退室した。社長室は六畳ほどの大きさしかなく、デスクと応接用のソファーを置いたら歩く隙間もないくらいだ。壁にはロータリークラブなど地元のボランティア活動の様子を写した写真やミニコミ紙の記事が所狭しと飾られていた。どれも古いもので最近は更新していないようだ。環境系の業界紙のスクラップも無造作に貼られていた。記事の内容を見ると所沢のダイオキシン問題のものだった。別の若い事務員が運んできたお茶を飲む間もなく有田社長がやってきた。小太りで年の割に血色がいい。これまでの苦労が額の皺に出ていた。
「やあご苦労様です」歓迎すべからざる客に有田は精一杯の愛想を振りまいた。
「廃棄物指導要綱に基づく届出の確認に参りました」
「うちは犬咬のどこに出してたかな」有田は開口一番に検査目的に疑問を呈した。
「最終処分場といくつかお付き合いされているようですよ。事前協議を出されてるでしょう」いつも正攻法で行く伊刈には珍しく用件をぼかした。要綱による最終処分の事前協議は確かに出していた。しかし本課の担当だった。
「そうでしたそうでした」有田も曖昧な相槌を打った。廃棄物指導要綱の検査と言われてもまだピンとこなかった。
「最初に工場内をご案内願えますか」
「いいですとも。見てのとおりの狭い工場ですから一目で見て終わりますよ」
お茶もそこそこに検査チームは入ったばかりの事務所を出た。すぐ隣が焼却場だった。新旧二つの炉はどちらも小さいもので、周囲にドラム缶やペール缶(プラスチック容器)が無造作に置かれていた。中を確認すると医療系だった。
「うちはね、医療系がメインなんですよ。炉が小さいから、建設系なんかじゃ燃やしきれないからね」有田が自ら説明した。
「病院はどれくらい回ってるんですか」
「小さい病院を毎日五百か所くらいは回りますよ。大きい病院の仕事はなかなか取れなくてね。だから割りに合いませんよ。歯医者なんか一か所十キロも出ないからね」
「ここらへんにそんなに病院ありますか」
「診療所ならいくらでもありますよ。でもね、やっぱり地元じゃ足らないから県内はもちろんだけど都内までも行きますね。それでやっと食っていけるレベルですよ」
「炉は今も稼動中ですか」
「そりゃあ遊ばしてはおけませんからね」
伊刈が有田と立ち話をしている間にも遠鐘が焼却炉の温度記録をチェックした。燃焼温度は規制値の八百度以上に保たれていて問題はないようだった。
「道路の反対側は積替保管施設ですね。見たところ入口がふさがっているみたいですが」
「ほんとはそこが入口だったんだけど積みすぎちゃって扉が開かないから裏に回ってください」有田は搬入口の変更にも届出が要ることを知らない様子だった。
人がやっと通れる通路を抜けると新たに作った搬入口に出た。
「満杯ですね」
「すいません処理が間に合わなくてね」
「あれが破砕機ですか。あれじゃ動かないでしょう」破砕機は木くずに完全に埋もれていた。
「動くことは動くんだけど動かす暇がなくてね。どっちみち小さくて使い勝手が悪いんですよ」
「景気はいいようじゃないですか」伊刈は皮肉を込めて言った。
「埼玉で大きなとこが潰れたでしょう。そのおかげですよ」
「最近許可を返上したところですか」
「そうそうそれよ。それでこっちの方まで荷が流れてくるんですよ。もうこれ以上は受けきれないので断ってるんですけどね。嬉しいような悲しいような。でもどうせ一時的な需要だからね。経営的には大したことないですよ。ヤードがこんなにいっぱいになっちゃえば、うちみたいに小さいところはダンプも入れなくなっちゃうし、むしろ迷惑なようなものですよ」
有田と共に社長室に戻り書類検査を始めた。場内の状況からはオーバーフロー受注が疑われた。帳簿検査の数字の上からはオーバーフロー分の横流しが日常化しているというほどではないようだった。
「紙くずはどうしてますか」伊刈はやっと廃書類にかかわる質問をした。
「そうねえ、まとまって出れば売ってるけどね」
「どこにですか」
「うんまあ決まった古紙問屋があってね」
「最近売ったときの書類はありますか」
「ありますよ」
「お願いできますか」
「いいですよ」有田が事務所に書類を取りに言った。
「ここじゃなさそうだ」社長が不在になった社長室で伊刈はチームのメンバーに埼玉まで来たのはムダ足だったかもしれないという意味で首を横に振った。
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