改善工事

 中国視察旅行から帰ってきた太陽環境の御園敏安社長が伊刈に会いたいと電話してきた。事務所に現れたのは七十歳をすぎた小柄な老人だった。下から嘗め回すように見上げる眼光がやけに鋭かった。歳の違いもあるだろうが倅の御園専務より線が何倍もも太く感じた。

 「はめられたんだよ」いきなり御園が思わせぶりに言った。

 「どういうことですか」伊刈は警戒しながら答えた。

 「もちろん昇山にだよ。とんだ食わせものの会社だよ」

 「昇山が太陽環境を買ったということですね」

 「誰からそんなこと聞いたんだ」御園が意外そうに声を震わせた。本音を見せないしたたかな男かと思ったのに意外に感情が顔に出やすい性質もあるようだった。

 「社長の横嶋さんに」逢坂から横嶋は社長ではないと聞いていたが、伊刈は鎌をかけた。

 「はあ、あんた意外となんにもわかっちゃいないんだねえ。横嶋はただの詐欺師だろう。勝手に昇山の名刺を作ってるだけでなんの関係もないんだよ」

 「そうなんですか。それじゃほんとの社長というのは」伊刈はしらばっくれた。

 「逢坂だよ」

 「逢坂小百合ですね」

 「あのアマに会ったことあるのか」

 「守秘義務がありますからどこで会ったとも言えませんが」

 「倅をたらしこみやがって。だけどあのアマはなんの実権もありはしない。尻の軽いただの囲われもんだよ。ほんとの社長は別にいるんだ」

 「誰のことをおっしゃってるんですか」

 「いずれわかるだろう」

 「逢坂さんのボスはサンチョーの調所さんだと」

 「なんだ知ってんじゃねえか。それじゃ調所がヤクザだってことも知ってるよな」

 「それはどうでしょうか」

 「騙されたってのはそのことだよ。ヤクザには処分場を売れねえし資金提供も受けられねえ。そういう法律なんだよな」

 「そうです」

 「だから俺は調所には処分場を売ってねえ。ヤクザと知らねえで金をちょっと借りただけだよ」

 「五十億円がちょっとですか」

 「そうだよ」御園は五十億円借りたことを否定しなかった。

 「お金は返済されたってことですね」

 「そんなことはあんたと関係ないだろう」御園は顔色を変えた。どうやら返済資金がないのだ。それで深穴を掘ったのかもしれないと伊刈は察した。

 「それはそうとよう伊刈さん」御園が声をひそめた。

 「なんですか」

 「なんでわかったんだ」

 「は?」

 「タレコミがあったのは知ってんだ。うちの新藤から聞いたよ。あいつは二重スパイなんだ。調所にも俺にもどっちにもたれこむんだ。だけどよあんた、その前からうちに目をつけただろう。どうしてわかったんだよ。わかるはずがねえんだよ」

 「どうしてですか」

 「まあそれは言えねえけど産対課とは話がついてたんだ」

 「どんな」

 「まあいいじゃねえか。政治ってものがあるんだよ」

 「本課からそんなこと聞いてないですよ」

 「そうだよな、教えられるわけがねえよな」

 御園は伊刈がなんらかの情報源によって太陽環境をあらかじめマークしていたと思っているようだった。

 「あんたが見つけたあの穴は倅が逢坂にたぶらかされてやったんだよ」

 「処分場の無許可変更は設置許可の取消しに該当します。たぶらかされたでは済まないですよ」

 「それは大丈夫だよ」

 「どうしてですか」

 「そっちはあんたが心配しなくてもいいよ。ちゃんと改善工事をするってことで進めてっから」

 「八木原先生(代議士)に頼まれたそうですね」

 「ほうあんた、なんにも知らないふりしてなんでもわかってんだな。だけどよ、そうです、センセにお願いしましたとも言えねえよなあ。とにかく来週から埋めなおしをやるから見に来てくれよな。それからよ、あの逢坂ってアマに騙されんなよ。それともあんたのもくわえ込んだのかい。そんなことはさすがにねえかな」御園は冗談を言いながら立ち上がった。

 翌週から御園社長の宣言どおり太陽環境の改善工事が始まった。場内を二つの工区に分け、一工区の廃棄物をすべて二工区に移動して一工区の深穴を埋め戻し、二工区の廃棄物をすべて一工区に移動して二工区の深穴を埋め戻し、一工区の廃棄物の半分を二工区に戻すという全面改修工事になった。工事費は五億円をくだらなかった。改善しなれば許可が取消しになり、百億円がパーになるのだからやらざるをえなかった。政治的な圧力で許可取消しは免れたものの、さすがに市民に注目されている処分場で本課も甘すぎる指導はできなかった。半年の工期の間は新規の廃棄物の搬入は自粛となり、さらに工事完了後に三か月の業務停止処分を行うと本課は通告した。つまり実質九か月の業務停止である。昇山からの融資を断たれた太陽環境にとって厳しい資金繰りを強いられる非常事態だった。

 改善工事の期間中、伊刈のチームは毎日太陽環境に立ち寄って工事に手抜きがないかを監視した。環境事務所には毎日のように有象無象の産廃ゴロがやってきた。さまざまな似非団体名を名乗り、太陽環境の利権に介入しようとした。ゴロは金になりそうなことなら何でもやる。業者側にも付くし、業者を妨害する側にも付く。両方に付くことだって珍しくない。政治思想を標榜して表向きは筋の通ったことを言っていても、要するに金になればいいのであってポリシーなんかなんにもない。新しい処分場の設置計画があれば呼んでもいないのにどこからともなく集まってきて金になるネタがないかと嗅ぎ回る。地元の自治体の首長が反対を公約したり住民団体や環境団体がが反対運動を展開するのは、かえって願ってもないゴロのネタになる。一方で反対運動側に情報を流して反処分場感情を扇動し、その裏で俺がなんとかして許可を取ってやると業者には仲介役を買って出る。他方では役所に圧力をかけている政治家がいないか探っている。政治家だってゴロには騙される。後援会を装い献金をするふりをして会話をこっそり録音している。つまりマッチポンプである。業者の不正行為を告発しながら裏で口止料を請求し、請求に応じないとみるや業者前や役所前に街宣車を繰り出して不祥事をことさらに騒ぎ立てる。そしてたいていは数百万円程度の解決金であっさりと引き上げる。業者、行政、住民の三者が後へ引かず法廷論争になればなったで右翼と左翼にそれぞれの専門弁護士がしゃしゃり出てくる。

 太陽環境の御園親子はゴロたちの脅迫に屈しなかった。そのせいか「犬咬タイムズ」というタブロイド政治新聞に胡散臭い記事が掲載された。一面に「太陽環境処分場の不正を許すな」という大見出しが踊っていた。それを持って事務所に飛び込んできたのは例の大藪だった。

 「伊刈さんよう、これはどういうことなんだよ」

 「大藪さんの方がお詳しいんじゃないですか」

 「そうでもねえんだよ。確かに許可を取ったときにはよ、いろいろ便宜をはかってやったけどな、あの御園って社長はたいした玉でよ、用がなくなったとみるや見向きもしねえんだよ。あんな不義理なやつは見たことねえな。こういうことになるのもムリはねえな」

 「サンチョーの調所さんをご存知ですか」

 「俺は会ったことねえけど、あればハゲタカだろう。潰れた処分場をいくつも買っては転売してるみてえじゃねえか」

 「やっぱりご存知じゃないですか。昇山の名義上の社長になっている逢坂さんはどうです?」

 「はあん、その女なら伊刈さんのほうが詳しいでしょう」

 「どういうことです」

 「伊刈さん、女には気をつけたほうがいいよ。そういやあもう一人太陽環境を狙っている女がいるけど知ってるかい」

 「誰ですか」

 「ほら広域農道の現場にいい女がいたじゃねえか」大藪はその場にいなかったのに見ていたように言った。

 「安座間さんですか」

 「そうだよ円の安座間だ」

 「どうして彼女が」

 「太陽環境は金がねえんだよ。それで西から借りた金を使い込んで今度は北だわな。このままじゃ御園の体持ってかれるなあ」西とか北とかいうのはヤクザの支配地域のことである。

 「もしかして二重売買ですか」

 「そういうことになるかねえ」

 「安座間さんは不法投棄罪で検挙されて執行猶予中ですから欠格条項に抵触しますよね」

 「そんなものなんとでもなるだろう。調所が逢坂って女を使ってるもの自分じゃ表に出られねえからだろう」

 「それで大藪さんはどっちに付くんですか」

 「俺は今回は高見の見物だよ。伊刈さんに世話になったからちょっと挨拶に来ただけだわ」

 「ほんとですか」

 「それよか黒田の動きには気をつけな。あいつ調所と御園を両天秤にかけてやがる。長生きしねえな」大藪は来訪の真意が曖昧なまま引き上げていった。このままほんとに高見の見物を続けるとは思われなかった。嗅覚を働かせてどっちに付いたほうが得になるか慎重に見極めているところなのだろう。それにしても安座間まで太陽環境問題に介入してきたという情報は耳よりだった。

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