火中の栗

 伊刈は太陽環境の処分場設置許可を出した当時の状況を知る県庁の小糸と落ち合って真相をただすことにした。県庁ロビーで待っていると小糸が一人でやってきた。

 「こいつは市の喜多さん。新卒なんだけどうちのチームではもう大黒柱。帳簿検査じゃ右に出る者がないエキスパートなんだ」

 「喜多です。よろしくお願いします」

 「こちらこそよろしく。伊刈さんレーベルの件はほんとに」

 「それ言いっこなし。それより太陽環境のこと教えてくれよ」

 「それなんですがここではちょっと。場所を変えられませんか」小糸は周囲の目を気にしていた。市に出向中の伊刈は部外者だった。

 「いいよ」

 三人は県庁を出て市内の喫茶店に移動した。豆を自家焙煎し、コーヒーカップも自前の窯で焼いている老舗の珈琲店で二階は陶芸ギャラリーになっていた。ランチタイムには客の半分が県庁の女性職員になるので伊刈は滅多に来なかった。益子焼のカップに注いだ濃い目の熟成コーヒーを飲みながら密談が始まった。

 「とにかくこれ読んでみてください。だいたいの経過はわかると思います」

 「わかった」伊刈はマチ付き封筒を受け取ると中身の資料をざっとテーブルに広げた。書類を汚さないようにコーヒーカップはさっさと片付けてしまった。

 「すごい資料だな。太陽環境の前身のアーバンフロンティアが指導要綱による事前協議書を提出したのは十年以上前なんだ」

 「不勉強ですいません。事前協議ってなんですか」喜多が素朴な質問をした。

 伊刈は面倒臭がらずに喜多に説明を始めた。「法律の許可は縦割りでね、他の法令に違反があっても許可になってしまう仕組みだ。国はそれでかまわないけど県はそれじゃ困るんで関係法令の総合調整を事前協議でやるんだ。たとえばね、産廃の最終処分場だと都市計画法、建築基準法、森林法、農地法、道路法、河川法、自然公園法、数え上げたらきりがないけど、たぶん三十以上の課が所管するいろんな法律やら条例やら要綱やらがある。事業者だって三十の課と個別交渉してたんじゃいつ終わるかわからないから事前協議で一括調整してもらったほうがいいだろう。ところが国はね、法律の根拠のない事前協議は違法だって言ってる。一つの法律だけ見てれば済むんなら楽なもんだよ」

 「同じ制度は市にもありますか」

 「あると思うけどね」

 「勉強になります」

 「アーバンフロンティアの事前協議は当時の犬咬市長が反対を表明したために県の事前協議期限の二年が経過して廃案になりそうになったんです。その時右翼の大藪が介入してきました」小糸がちょっとはらはらした声で言った。

 「大和環境の代理人になった大藪ですか」喜多が伊刈を見た。

 「うん」伊刈が頷いた。

 「こんなとこにも介入してたんですね」

 「大藪が産廃ゴロとして名を上げたのはアーバンフロンティアの事前協議を通したからなんですよ」小糸が補足した。

 「だめになった事前協議をどうやって通したんだ」伊刈が身を乗り出した。

 「環境課に乗り込んできて、市長の意見書さえ出れば内容はどうでもいいのかと迫ったんです。課内は騒然とした感じでした。期限までに意見書が出れば内容は問わないと課長が約束したんで大藪は引き上げたんです。期限はあと三日でした」

 「それでどうなったの」

 「大藪は仲間の右翼を動員して市に乗り込んで座り込んだんです。それで見事に意見書を取ってしまったんです。市長の任期がなかったことが幸いしたんですね」

 「内容は」

 「県に一任するという内容でした」

 「オーマイゴッド」

 「玉虫色ってやつですね」喜多が言った。

 「県に一任なら意見なしとと同じです。でも住民には賛成していないと言い訳が立ちますから」

 「前市長は住民を裏切ったんですね」喜多が言った。

 「そもそも県に許可の責任があるのに市長の意見書に責任転嫁するのがおかしいんじゃないか」

 「僕もそう思いますね。市長に責任はないです。許可するかしないかは県の判断です」小糸も伊刈に賛成した。

 「事前協議がそんなに大事なんですか」喜多が聞いた。

 「事前協議が通れば本申請は許可になったも同然だ。そのための事前協議だからね。ところが県は本申請の審査を保留したんだろう」

 「犬咬市議会が住民投票議案を可決したからですよ。投票結果は反対票が八十パーセント超でした」

 「学生でしたけどなんとなくその投票は覚えてます」

 「結局県は本申請を不許可とし、これに対してアーバンフロンティアは大臣に行政不服審査請求を行った」伊刈が資料を読み上げた。

 「緊迫してきましたね」経過を知らない喜多だけが興奮していた。

 「大臣は県の不許可処分は不適当と裁決した。ところが県は大臣の裁決を無視して許可しなかった」

 「すごいですね」

 「大臣の判断が出ている以上、事業者が行政訴訟を起こせば県が負けることは必至の情勢だろう。その時犬咬市が中核市に昇格して産廃の権限が移ることになったってわけだ。県は権限委譲の前にアーバンフロンティアの許可を電撃で行った。その後社名が太陽環境に変わり住民の反対を押し切って着工した。そこで反対派住民が工事差止の仮処分を申請したってわけだ。仮処分の審尋の間は裁判所の指示で工事が事実上差し止められた。だけど結局仮処分申請は棄却された。許可があるんだから当然だ」

 「電撃許可が問題なんですね」

 「そこを聞きたかったんだ」

 「正確な理由は僕もわかりません」

 「反対派は県の幹部に実弾(賄賂)がまかれたって騒いでんだろう」

 「単なる憶測ですよ。僕の知るかぎりそんなことはないと思います」

 「県議が動いたってことは確かだろう」

 「でも代議士も介入してますからね」

 「そりゃそうだろうな」

 「たぶん僕なんか知りようがないいろんな裏があって、県に権限がある間は事業者も最後の一線は越えないでいますが、不許可のままで市に許可権限を移譲してしまったらこれまでの県とのいろんな裏取引が表に出てしまうと恐れたんじゃないでしょうか」

 「なるほどそれはあるな」

 「中途半端な状態で市に移譲されるのは市も困るという申し入れがあたってことはないでしょうか」喜多が鋭い指摘をした。

 「前市長は中核市になったら引退して新人だけの選挙をやると表明していたし、市側の事情ってことはないんじゃないですか」

 「とにかく真相は藪の中ってことか。まあしょうがないな」

 「すいません僕がわかるのはこの程度なもので」

 「十分参考になったよ。この書類は門外不出だろう。返しておくよ」伊刈は書類をまとめて茶封筒にしまった。

 「ところで昇山って会社知ってますか」小糸が爆弾発言をした。

 「知っているよ。レーベルの代わりに不法投棄の撤去に協力したことがある」

 「不法投棄じゃなくて」

 「おかしな会社だけど不法投棄はやってない。欧米流のハゲタカとは違う日本的乗っ取り屋だな」

 「大阪の金融業者と聞きましたがご存じなんですね」

 「いくら貸したんだ」

 「アーバンフロンティアからメインバンクが引き上げてしまったんで、それ以来慢性的な資金不足でいろんなところから金を借りたんです。許可申請をするときには残高証明か融資証明の添付が必要になります。それを出したのが昇山です。五十億円の融資証明をぽんと出せるんですからノンバンクとしては大きいんじゃないですか」

 「金を貸して営業窓口を乗っ取ったんだ」

 「なんだか心配ですね」小糸は煮え切らない様子で伊刈を見返した。

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