2「千客万来、百鬼夜行」(6)


「わっ、」


 僕はとっさに後ずさり、見てはいけないものを見てしまった気がして思わず辺りを見回した。誰もいない。

「……」

 金髪男は黙ったままだったので、とにかく声を掛けてみることにした。もしかしたら何かの実験かもしれない。いずれにせよこのままで埒があかない。

「あの、君、大丈夫?」

「……大丈夫に見えますか、今の俺」

 金髪男の声はハッキリとしていて聞き取りやすい、俗に言う「良い声」だったが、語る内容は鬱々として重い。

「その、それは……君のその格好は、何かのゲームか、授業で出された課題の実験かなにかか?」

「違いますよ。だとしても、こんな自分の身体を縄で括る宿題って何なんですか。いかれた奴しかいないんですか、大学って」

「そ、そうだよな……それもそうだ」

 じゃあ、と僕が言うと、金髪男は振り返り、ギロリと音が出そうな目でこちらを睨んだ。が、僕はそれに構わずに続けた。

「じゃあ君は、誰かに悪戯で縛られて放置されたってことか?」

「ええ」

「でもどうだろう……憂さ晴らしに人を傷つけたい奴が、わざわざロープなんて持ってくるのかな。そんな面倒臭いことをするかな」

「するでしょ」

「いや、しないね」

 僕はスマートフォンを取り出し、ライトを彼に向けた。夕闇の中で、彼の金髪が柔らかにライトを反射する。

「君は……どうしてそんなことになっているのかは知らないが、自分で持ってきたロープで縛られたんだ。そうだろう?」



 僕は続けた。

「君の手には、ここ二、三日で、頻繁に縄を扱った跡がついている。誰かを縛るバイトでもしたのか? それとも、憎い同級生を絞め殺すイメージトレーニングでもしたのか。それは僕の知ったことじゃないが、とにかく君がなぜキャンパスに縄を持ってきたのかを言ってくれるまでは、僕は君を助けないし、その代わり警察に通報することもしない」

 僕の言っている意味はわかるか? と聞くと、ため息交じりに男は頷き、吐き捨てるように言った。

「あなたにはきっとわからないでしょうね。どこにも居場所のない人間の気持ちなんて」

「どういう、」

「死のうと思ってロープを買ったことが一度でもありますか?」

 そう言って自嘲気味に笑った。

「俺はね。一応、どんな不幸に遭ったって前向いて頑張ってきたつもりですよ? でも、あんまりですよ、こんなのって……。俺は人を訪ねるためにここに来た。それで探し回っていたら、たちの悪い大学生の集団に絡まれて、リュック取られて、そこから縄を出されて、からかわれたと思ったら、面白半分に縛られて放置って。その人達お祭り騒ぎみたいにはっちゃけてて、怖かったし。それでようやく誰かが気づいてくれたかと思えば、そんなアホな大学生と一緒にされて怒られて。望んでこんな寒いとこで縄で縛られるバカがいるわけないのに……アホくさすぎてやってられませんよ」

「君は、学生じゃないのか?」

「金髪だから?」

 間髪入れずに返ってきたその言葉に、ついぎくりとなる。

「金髪だから、髪を染めて遊び回る不真面目な学生に見えたから、俺のことをはなから悪人と決めつけた? そういうことですか?」

「そんなことは、言ってない」

「そうですか」

 心底どうでもいい、といった風な口振りで、男は語り出した。

「俺は……いわゆるクォーターなんですけどね。日本人だけど、イギリス人の血が四分の一入ってて。つまり、父方の祖母がイギリス人で、父が日本とイギリスのハーフなんです」

「じゃあ、その髪の毛は」

「地毛ですよ。綺麗でしょう? 昔から、一度も染めたりしたことないんです。そのせいで、学校じゃいつも疎まれてましたよ」

 力なく笑ったその顔は、どこかあどけない子供のようにも見えた。

「ねえ、もうわかってくれたんじゃありません? 助けてくれませんか?」

「……染めたらいいじゃないか」

「え?」

 僕は思わず言っていた。

「染めたらいい。君がルーツを大事にしているのは薄々察しがつく。でも、そのせいで自分が傷つけられたり、損をしたりするのなら、染めたらいい。髪の色くらいで、心の中の誇りは傷ついたりしないんじゃないか」

「なんですか、いきなり」

 金髪男は困ったように、あはは、と笑った。縄で縛られていることなど忘れているような、軽やかな笑い方だった。そして、ぽろっと口が滑ったように、こう言った。

「だって、殴るんですよ」

「殴る?」

「ええ。父親が、祖母を殴ってて。……って、あれ……? え……俺、小さい頃に親が離婚してて、あまり小さい頃のこと覚えてないのに、あれ……今、俺なんて言いました……?」

 突然別の話題をされ、途惑ったが、一応答えた。

「『父親が祖母を殴っていた』って言ってたが」

「そん、な、いや、まさか……」

 彼はなにやらひとりでぶつぶつと呟き始めた。

「でも、祖母は、小さい頃階段から落ちて死んだって……でも、もしそうだとしたら、離婚の原因ってまさか……」

「お、おい、大丈夫か?」

 男は急に真剣な目になってこちらを見つめてきた。

「……あの、俺実は、心因性の頭痛があって。なんでも原因不明の難病とかで、いきなり痛み出したりするんです。……なので頼みますから、この縄、解いてくれませんか。あ、でもこれ、安物なのにウザいくらい頑丈なロープなので、道具がないとキツいかもしれないんですけど」

「ま、待ってくれ。勝手に話を進められても困る……まず一応聞いておかなくてはいけないことがある。君は何ていう名前なんだ?それに、誰かを探してここに来たと言っていたが、誰を探していたのかな」

 男はあっけらかんと答えた。

「ああ、それは数学の先生ですよ。この前テレビに出てた、日理連理、っていう教授を探してて。でも、俺別にその人と面識もアポもないから、会えてたとしても話をしてくれたかどうか、わからないんですけどね」



 


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