1「窮鳥と天才、あるいは安物なのにウザいくらいしっかりしたロープ」(8)


 振り返ると、小柄な男が頭を押さえて立っていた。足元は少しふらついていたが、なぜか支えが必要なようには見えなかった。

「す、すいません」

「ああ、いや。こちらこそ申し訳ない」

 謝ると向こうもそっけなくそう返し、軽く会釈をすると、何事もなかったように再び歩き始めた。 

「……」

 なんとなく、後ろ姿を見た。

 白のワイシャツと妙に古めかしいループタイ、それに清潔そうな薄茶のジャケットを羽織り、手には、何冊か厚い本を持っている。口に手を当てて、くあ、と何度も眠たげに欠伸をしているのが後ろからでもわかった。彼はさくさく歩き続け、やがて角を曲がって見えなくなった。

 ……学生だろう。

 そう思い、再び看板に向き直ると、足元に何か落ちていることに気がついた。

「あ、」

 あわてて拾うと、それは古いダークブラウンの手帳だった。はじめは手帳型のケースに入ったスマートフォンだろうと思ったが、手に取ると案外軽く、中にデバイスが入っている感じはなかった。

 表には特になにもなく、裏返してみると、イニシャルと思われる文字が筆記体で名入れされていた。

「G.H?」

 英語は少し覚えがあるので、筆記体はなんなく読めたが、イニシャルだけではどうにもならない。下手に持ち主を探して歩き回るよりは、さっさと遺失物として届けてしまった方がいいだろう。

 ……にしても。

「今時、こんな古い手帳使う子なんか、そうそういないよねぇ」

 また独り言を言ってしまったが、とにかく軽く埃を払って鞄にしまうと、ちょうど見計らったように始業のチャイムが鳴るのが聞こえた。

 さて、こちらも早いところ動かなければ。頭がまた馬鹿みたいに痛み出す前に。



 

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