序「ある少女の、ある日の日記」4



「なんだ、こんな朝早くに」


 電話の呼び出し音が鳴った途端、父がわざとらしく眉をしかめ、こめかみの辺りを押さえて見せた。そして、ジロリと母の方を睨みつけた。まるで、この電話が鳴ったのは、母のせいだ、とでも言いたげな表情だった。呆れるというよりはもはや、恐ろしいような気分になった。そんな馬鹿なことがあるわけない。超能力者じゃあるまいし。

「そんな怖い顔をしないでよ。……なんなのかしらね」

 母も母で、電話の主と父との両方に対しておぞましげな表情を浮かべ、電話に出る。私はその頃にはご飯をほとんど片付けていた。私がいつも軽めにしか取らないことは、母も了承している。もちろんその時も例に違わず、「色気付いて」とにやけた目で見られた。心外も甚だしい。もちろん腹が減るので、学校に行くまでの間にこっそり食べている。

 全く思い返しているとどいつもこいつも馬鹿なんだろうかと思えてくる。

 こんな食卓で食欲が出るほうがどうかしている。

「はい? ……はあ。あの、ちょっと……ごめんなさいね? 聞こえなくて」

 ごめん、だなんて微塵も思っていないのに、なぜごめんなさいという言葉が出てくるのだろう。全く理解できないけれど、もういちいち反応していたら切りがないほど、こんなことはいつものことなのだ。それに、愚痴ばかりでは、こちらの性格も悪くなってしまう。まあ、元々がそんなにいい性格でもないのだけれど。

「あの、……え?」

 電話口でまごついている母を見て、父が席を立った。

「どうした?」

 優しげな声だった。そう、うちの父は、母が困っているときはなぜか優しい声を出す。

「電話の音が小さいのよ」

「そんなわけないだろ。誰も弄ってないのに」

「酔っ払った時にでも弄ったんじゃないの? あなた、いつも具合悪そうに薬ばっかり飲んでるじゃない」

「それはお前のせいだ、家事も掃除もまともにできないくせに」

「あっそう」

 もうこの二人には問題を解決しようなんて気はないのだ。このままの関係をズルズルと続けたい。その気持ちしかないのだ。会話も何も、全てが茶番。子供を産んだのも、まあひょっとしなくても、親にせがまれたから仕方なく、というやつなのだろう。

「で、誰からなんだ? それも聞こえなかったのか?」

「携帯電話会社って言ってた……」

「携帯電話? そんなところから電話来るか?」

「知らないわよ」

「詐欺じゃないのか」

「詐欺? やだ……」

「……」

「……」

 嫌な沈黙が降りたのがわかった。

 私はそこでようやく、ああ、ここで動いたら、まずい、とは思ったが、他に誰がいるわけでもない。結局、父と母がこちらを見て、「××」と一言、私の名前を呼んだ。








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