第14話:ボーイミーツガール

 カラカラカラ。

 おれたちを乗せた自転車が軽快な音を立てる。


 日中の暑さはすっかり去っていた。いまは夜風が気持ちいい。

 民家という民家の灯りは絶えている。静かな夜だ。

 おれは一之瀬いちのせさんを後ろに乗せてゆるい坂道を下ってゆく。

 耳をすませば牛の寝息でも聞こえてきそう。


 時間があくびする。

 恨んだり怒ったりする世界が遠ざかってゆく。


 生徒会室での話し合いはあんまり思い出したくない。

 一之瀬さんはどうだろう? 後ろに座った一之瀬さんはおれの肩に軽く手を置いたまま無言だ。


 いまは地上の話はしたくない。

 ほら、とおれは夜空を見上げた。

「今夜は星空がやかましいよ!」


 ここで満天の星空という表現を使ってみる。(ちょっと恥ずかしい)

 天の川。別名ミルキーウェイ。

 おれたちの前に大きな道が示される。


 いま、空が近い。

 もう少し近付けば空の匂いをたしかめられるかな?


 一之瀬さんは感情の読めない声で言う。

「星空はなんて言っていますか?」

「そうだな、うーん。自分に正直ですか? かな?」

「星が問う。問スターですね」

「台無し! 台無しだよ、一之瀬さん!」


 夜道におれの笑い声だけが響く。

 一之瀬さんはさらに問う。今度は責める気配を込めて。


「では、わたしからも問いましょう。なぜ、わたしをかばったのか、と」


 かばう。

 そう、おれはさっきの説明で一之瀬さんをかばった。おれと東也とうやがモンスターを生み出したと言った。

 実際はあとひとりいた。

 そのひとりとは一之瀬さんだった。


 からりと晴れた夏のある日、おれはひとりの女の子と出会った。


 それが一之瀬さん。

 おれと一之瀬さんが特に何事もなく別れたというのはウソだ。


「わたしはあなたのお母さんを助けるために来ました」

 幼い一之瀬さんはそう言った。

 あのとき、おれはためらっていた。東也の提案に乗っていいのか。決断できなかった。


 一之瀬さんは代わってくれると言った。

 代わりにモンスターを生み出してくれると言った。


 だからおれは全部投げた。母さんを救うためモンスターを生み出す。それすらも一之瀬さんに任せてしまった。

 それがあの事件の顛末てんまつだった。

 結果、授業参観の日、モンスターが学校を襲撃した。ドセキリュウの土石流どせきりゅうで大勢の人が流されていった。


 許されないことだ。


 母さんは自分にとって害ある者を排除しようとした。モンスターがそれを実行した。

 一之瀬さんはそのモンスターを生み出した。

 じゃあ、おれは?


 おれの罪は、自分の手を汚さなかったこと。

 一之瀬さんに任せてしまったこと。


 いま、一之瀬さんはあのときの言葉をくり返す。

「かつてわたしはあなたのお母さんを助けるために来ました。その仕事が悲惨な結果を招いたなら、それはわたしの罪なのです。わたしの罪を奪うことは、わたしの仕事を奪うことです」


 そして今度はおれの親父を助けるために来たという。

 一之瀬さんはおれがピンチのとき、察したように現れる。


 一之瀬さんはさらに言う。

「わたしは仕事をします。仕事をすることがわたしの価値です」


 なんて返事をしたらいいだろう?


「えっとさ。元々はおれが招いた責任だし?」

「は?」

 ギュウウ。おれの肩に置かれた一之瀬さんの手が強く握ってきた。痛い。

 あ、これは失言だった。


「ごめん、言い直させて」

「ダメです」

「明日、いや、もう今日か。今日の夜、カレーにするから」

「まあ、それなら」

 一回だけですよ? 一之瀬さんはチャンスをくれた。


 良し。

 おれは気を引き締めた。今度こそ。

 一度、夏の星々に目をやってから告げる。

「おれ、子どものころ、願い事を書いて川に流したことがあったんだ」

「それで?」

「このあたりじゃ、そういう行事があるんだ。みんな、願い事を書いて川に流す。おれの願い事は『みんなを笑顔にしたい』。そう思って川に流した。ガキっぽい願いだろ?」

「わたしはそう思いませんが」

「ありがと」

 でさ。おれは続ける。

「一之瀬さんと出会ったとき、おれは思ったんだ。やっぱりおれはみんなを笑顔にしたい。料理で。それを自分の仕事にしたいんだって」


 あまりにも子供っぽい夢。

 でも。

 一之瀬さんは笑わなかった。


 あくまで真剣に一之瀬さんは問い続ける。

「その話がわたしをかばったこととどんな関係が?」

「だって、あのとき一之瀬さんは笑ってなかった」

「それがどうしました?」

「裁くって言葉はあんまり好きな言葉じゃないけど。もし事件の関係者を裁くってなるなら、たぶん一之瀬さんを有罪にしておしまいなんだろう。それでみんな笑顔でいられるんだろう」

「それが仕事の結果だというなら仕方ないことです」


 でも。おれは言う。

「一之瀬さんは笑ってない。笑えない。みんなが笑ってても、一之瀬さんが笑ってないなら、意味がない。おれには意味がない。そういうことなんだ。きわめて個人的な理由だけど」

「きわめて個人的ですね」


 そして改めて尋ねてくる。

「偽善では?」

「だよなあ」


 本当のことなので素直に認める。

 そう、偽善。偽善なのかもしれない。

(だけど、偽善だっていいじゃん)

 正直に。

 素直に。

 なにも気負うことなく行われた偽善を恥じる必要はない。って、カッコつけすぎか。


 一之瀬さんはあきれた声を出す。

「認めるんですか」

「事実だもの」

 しょうがないね。おれは苦笑いする。


 そのとき、背後から笑い声が聞こえた。

 くすくすくす。一之瀬さんの声だ。

鮭川さけがわさんは面白い人ですね」


(笑った? 一之瀬さんが笑った?)

 初めて聞く一之瀬さんの笑い声におれは動揺した。首をひねって一之瀬さんの顔を見ようとする。

 と、そこで自転車がバランスを崩す。

「おおっと」

 大きく蛇行しつつもなんとか転倒せずに済んだ。あっぶねえ。


「鮭川さん、前に注意してください、前」

 注意された。

 そう言いながら一之瀬さんの手はおれの肩の上で楽しげだった。


 一方、おれはそれどころじゃない。

「い、一之瀬さん、笑ったの?」

「さあ、どうでしょうか」

 一之瀬さんはやはりクール。

 なのだけど、おれのほうはクールじゃいられなかった。


 笑った! 笑ってくれた!

 おれのテンションは爆上がり。

「うおおー」

 自転車のペダルを勢いよくこぐ。意味不明の全力疾走。


 このまま一之瀬さんを乗せてどこまでも走っていたい。

 そう思った夜だった。

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