第12話:世界平和とは

 悪い、もう少しだけおれの話は続く。


 幼いころの東也とうやが女装していたのは家のならわしらしい。なんでも戦前の日本では男の子を女装させて育てる風習があったとか。裕福な家庭での話である。


 余談。

 女装で育てられた男の子たちは仮の名前で呼ばれた。虎次郎とらじろうなら虎子とらこという具合だ。

 ちなみに。

 女装した男の子たち同士のきずなというのもあったらしい。彼らは年配になっても仲が良かった、という話も聞く。虎子などと女の子だったころの名前で呼び合うこともあったとかなかったとか。


 余談の余談だが。

 女装していたときの東也は本当にかわいかった。男だとわかってなお、かわいいと思った。


 いま成長した東也は世界平和がどうのこうのと言っている。正直、見てられない。それでもおれが東也のことを心のどこかで気にかけているのは。

 幼いころの東也が脳裏をかすめる。愛らしい笑顔。


 もちろん、この気持ちは恋じゃない。



 おれが東也とうやと出会ってしばらく経ったころ。


 母さんがおかしくなった。

 食べることをやめられなくなる病気だという。食べても食べても満足を知らないという。


 家のなかの空気は一変した。

 母さんを刺激しないよう、地雷原の上を歩くように生活した。


 おれは逃げ出した。

 逃げ出して、東也のところに通った。


 そのころ、モンスターを狩るゲームへの熱は沈静化。みんな、ちがうゲームをしていた。一方、おれは。なんかないかなあ、というのがおれの口癖だった。

 そこで東也が提案した。

「ぼくたちで最強のモンスターを作ってみない?」


 面白そう。

 おれは早速クレヨンでモンスターを描き始めた。


「できた!」

 モンスター・トビマグロ。群れで行動するモンスターだ。

 東也はクスッと笑う。

「でもそれパクリだよね?」

「うぐっ」


 さ、最初はしょうがないだろ。

 めげずに描く。


「できた!」

 モンスター・シイタケオ。胞子によって周囲を惑わす。力も強いぞ。

 へえ。東也はちょっと感心したみたい。

「状態異常で攻めてくるの、面白いね」


「できた!」

 モンスター・ヤキトリオ。背びれの部分で炎を発生させるモンスターだ。首は三本あるぞ。

 うんうん。東也はうなずく。

「いい感じだね」


「できた!」

 モンスター・ドセキリュウ。土石流を起こすモンスターだ。山みたいに大きいぞ。

 うん、と東也は満足げだ。

「これ最強じゃない?」


 おれもそう思った。

 モンスターができ上ると、東也は妙なことを言い出す。


「このモンスターたちに、なにか仕事をお願いするとしたら、どうしたい?」

「仕事? お願いする?」

 うーん。おれは考えてみたが、すぐには答えは出てこない。

 ゆっくり考えたらいいよ。東也は微笑む。


 おれはまだ知らない。

 モンスターによって恐ろしい災害が起きることを。



 おれが東也とうやと遊んでいるあいだも母さんの病状びょうじょうは少しずつ悪くなっていた。

 入院することも多かった。


 母さんが入院していた病院はおれの知ってる病院じゃなかった。


 ウオオオン。

 空調が不気味な音を立てていたのが印象的だった。

 室内はちょうど不快な温度だった。生温なまぬい空気のなか、入院する人々は居心地悪そうに徘徊する。自分の体の置き場所に迷ったように。


 あれは見舞いに行ったときのことだ。

 親父がだれかと話しているのを立ち聞きした。

 話題は、母さんのこと。


「奥方はやはり?」

「ああ」

 親父は苦しげだった。

「カロリーの消費量がでかすぎるんだ。どれだけ食っても追いつかねえ」

「奥様は大きな仕事を?」

「ああ。大きな仕事をやろうとしてる」


 親父の声は苦い。

 対する男は試すように言う。

「では、だれかに大きな仕事をお願いするのは?」


 できねえ。親父は言った。迷っているようだった。


(仕事……お願いする……)

 東也の言葉がよみがえった。

 そうだ、モンスターに。

 おれは東也のもとへ走った。


東子とうこちゃん」

 おれは息を整えながら東也に尋ねる。

「モンスターに仕事をお願いするって、おれの仕事だけ? おれがだれかの仕事をモンスターにお願いするのはアリ?」


 アリだよ。東也はうなずく。

 それから東也はまじないの準備を始めた。寺に代々受け継がれたまじないだという。


 まじないは変わっていた。経典を逆から読み上げながらモンスターを描く。描く際、絵の具として使うのはしょう油だ。しょう油の香りが和紙の上から立ち昇る。


 そうしてモンスターたちは生まれた。

 母さんが抱える大きな仕事を代わりに果たすため。

 おれはのちに知る。

 母さんの大きな仕事、それは世界平和の実現だった。



 平和ってなんだろう?

 改めて考えてみるとよくわからない。


 戦争がないこと? 犯罪がないこと? 事故がないこと?


 範囲はどうだろう?

 世界、世界の平和、とつぶやいてみる。

 やはりぼんやりしている。


「世界」

 考えてみれば不思議な言葉だ。

 この言葉にこの地球のすべてが含まれているらしい。

 よくよく眺めてみる。


 この言葉を眺めているうちにおれの姿は見えてくるだろうか? きみの姿は見えてくるだろうか? みんなの姿は見えてくるだろうか?

 そんなことはない。

 世界という言葉はふんわりした綿菓子わたがしみたいだ。口に含むと甘い。

 世界、世界、世界。

 何度つぶやいても実体は見えてこない。


「世界」

 そう語るたびにおれたちは裏切られてゆく。


 では母さんの考えた世界平和とはなんだったのか。

 母さんの世界はとても小さかった。

 自宅、ご近所、おれが通う学校。そういった狭い世界だけに目を向けていた。

 狭い世界で、嫌いな人間との交流を強いられて摩耗まもうし続ける日々だった。


 だから母さんが考えた世界平和とは。

 嫌いな人間を排除するということにほかならなかった。嫌いな人間が、気持ち悪い人間が、怖い人間がいなくなれば、母さんの世界は平和になる。


 要は、自分にとって害のあるものを排除すればいい。


 モンスターたちはそうした。

 結果、大惨事になった。


 世界平和なんて、人間にはそもそも無理な仕事なのだ。

 もし諦められないなら。

 思う。おれたちは仏にでもすがるしかないのではないか。



「これが事件の顛末てんまつなんだ」


 おれは再鉄さいてつたちへの説明を終えた。

 反応をうかがう。

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