第89話:そしてこれからも

 ギンコと母親は抱き合ったまましばらく喋りあっていた。

 会話内容はよく聞こえなかったが、母親の方が何度も謝っていた気がする。

 ギンコは捨てられたと言っていたが、やはり勘違いだったみたいだな。


 そんな光景を見ていると二人とも近寄ってきた。


「あの人が私を連れてきてくれたの!」

「まぁ……」


 母親はほんとに美人さんだった。

 ギンコも成長したらあんな感じになるんだろうか。


「私の子を連れてきてくれてありがとうございます……! もう二度と会えないかと思ってました……。本当になんとお礼をいったらいいのか……」

「えっと、ギンコの母親なんですよね?」

「ギンコ……? ギンコとは一体……?」


 あ、そっか。

 ギンコという名前は俺が付けたんだった。

 本当の名前知らないままだったんだ。


「実はその子の名前が分からなかったから俺が仮に付けたんですよ」

「まぁ。そうだったんですか!」

「そういう訳なんで、その子の本当の名前教えてくれませんかね?」

「……いえ。この子にはまだ名前が無いんです」

「へっ?」


 名前が無いだと?

 どういうことだ?


「名前が無いって……何か理由でも?」

「はい。私たちの掟では10歳になってから試練を受け、その試練を乗り越えた証として、初めて名前が与えられるんです」

「なんと……」


 そういうことだったのか。

 ギンコと初めて会った時にも名前が無いって言ってたが……こういうことだったのね。

 なんとも厳しい一族だこと。


「それじゃあこれからは何て呼べば……」

「貴方が名付けてくれた名前で構いませんよ」

「え!? いいんですか?」

「はい。貴方はこの子を救ってくれた恩人ですから。それくらいの権利はあると思いますよ」

「なぁギンコ。ほ、本当にいいのか?」

「私はこの名前で気に入ってますよ? それにお母さんもこう言ってますから」

「そうか……」


 というわけで、名前はこのままでいくことになった。


「えっと、ギンコのお母さん?」

「ああ、すいません。名乗るのが遅れました。私はセリシャと言います」

「俺はヤシロです。それで聞きたいんですけど……」

「はい?」

「ギンコは……これからどうするんです?」

「え……?」


 そうだ。

 これが本題だ。


「事情はよく分からないけど、これからは一緒に暮らせるんですよね?」

「…………!」

「…………」


 今回の旅の目的はギンコを故郷に返すこと。

 つまり目的は達成されたわけだ。


「ギンコもそれが望みだったんだろ?」

「わ、私は……その……」

「これで特に問題なけりゃ俺は帰るつもりだけど」

「そ、そんな……帰っちゃうんですか!?」

「だって俺は里の住人じゃないし。いつまでも居るわけにはいかないでしょ」

「で、でも……」


 ギンコとしても母親と一緒に居たいだろうし。これでいいんだ。

 寂しくなるがここでお別れだ。


「私はまだ……ご主人様に何もお礼できてません……」

「いいって。気にすんなよ。お礼なら既に貰ってるさ」

「え……?」


 いっぱいモフモフを堪能したしな。

 あの耳と尻尾の感触はマジで素晴らしかった。

 それだけでも満足だ。

 今後はあのモフモフが無くなると思うと名残惜しいが……まぁ仕方ない。

 また別に触れる機会があるさ。


「それじゃあそろそろ行くよ。またな。ギンコ。幸せにな」

「ま、待ってください!」

「ん? どうした? まだ何かあるのか?」

「あの、そういうわけじゃないんですけど……」

「? 気になることでもあるのか?」

「えっと……その……私は……このまま……じゃなくて……これからも……でもそれだと……」

「?」


 オロオロとしているギンコを見て何かを察したのか、セリシャはしゃがんでギンコと見つめあった。


「ねぇ。ヤシロさんと一緒に居て楽しかった?」

「うん……。知らない物とかもあったし、見たことのない食べ物も食べさせてくれた。毎日が新しいことばかりですごく楽しかったよ! それでねそれでね――」

「そう。そんなに楽しかったのね」


 色々あったなぁ。

 ギンコには何度か助けられたもんだ。

 今になってはいい思い出だ。


「……ヤシロさん。お願いがあります」

「? 何か?」

「この子を……ギンコを、もうしばらく貴方の側においてやれないでしょうか?」

「んなっ……」


 意外だ。

 てっきり元の暮らしに戻りたいと考えてると思ったが……


「り、理由を聞いても?」

「このままだと里に入ることは許されないと思います。そうですよね?」

「いかにも」


 答えたのは族長だった。


「やっぱり駄目なの……?」

「無論じゃ。試練を乗り越えられぬ者に里に入る資格無し。これは変えられぬ掟じゃ」

「で、でもさ……こうして生きて帰ってこられたんだから少しぐらい優遇しても……」

「認めぬ。一つでも例外を作ってしまっては危険じゃからのう。そこから崩壊に繋がりかねん」

「そんな……」


 結局、初めから叶わぬ願いだったというわけか。


「こ、こればかりは九尾様に命令されたとしても変えるわけにはいかん!」

『安心せい。そこまで関与する気は無い』

「無礼な言動をお詫びします。ですが、これは我ら一族にとって必要な掟なんです」

『分かっておる。だから今まで干渉するつもりは無かったのじゃ。お主らもそうであったようにな。これからも普段通りに暮らすがよい』

「ありがたき幸せ……!」


 そんなやりとりがあった後、俺はギンコを見つめた。

 ギンコは意外というか、ショックを受けたようには見えなかった。


「こういうことですから、この子は里に入れないんです。私もここから離れるわけにもいかず、一緒になるのは難しいんです」

「なるほど……」

「それに、もっと外の場所を見せてやりたいんです。あんなにも楽しそうに話す姿を見たのは初めてでしたから。ここに居てはああいう経験は出来ないでしょうし」

「お母さん……」

「それに……」

「?」

「いえ、何でもありません」


 ずっと森の中で暮らしている一族だもんな。

 ここ以外の場所に行く機会が無いんだろうな。


「この子もそろそろ子離れの時期なので、丁度いい機会だと思います」

「で、でも、セリシャさんは大丈夫なんですか?」

「元より、試練に送り出す時に覚悟を決めていました。こうして再び会えたことが奇跡に近いのですよ」


 ああそうか。試練ってのは命がけの内容だもんな。

 二度と会えなくなる可能性もあったわけで。

 母親としては胸が張り裂けそうな思いだったはずだ。


「それに今は私よりも、貴方に懐いているようですし」

「へ?」


 ギンコは少し顔を赤くしながら見つめていた。


「こんな俺でも……いいのか?」

「………………――です」

「え?」

「ご主人様じゃないと……嫌です……」


 ちょっと意外だった。

 まさかこんなにも馴染んでくれたなんて。


「それじゃあギンコ……一緒にくるか?」

「…………はい!」


 そう答えたギンコは今まで見たことのような満面の笑みだった。


「ありがとうございます。この子を……どうかよろしくお願いします」

「はい。任せてください」


 こうして、ギンコは再び俺と一緒についてくることになった。


「お母さん。またここに来てもいい?」

「ええ。いつでもいらっしゃい。ずっとここで待ってるわ」

「じゃあ、もっと大きくなったらまた来るから! 絶対また来るから!」

「楽しみにしてるわ」


 二人はまた抱き会った後、惜しむように離れた。


「となると……いい加減それが邪魔だな」

「何がですか?」

「その首輪だよ」


 ギンコについている奴隷の首輪のことだ。

 何度か外そうとしたが全く外れなかったんだよな。

 でもそろそろ外してあげたいところ。


「まだ外れないのか?」

「はい。無理みたいです」

「んーむ。どうしたもんか……」

「私はこのままでも平気ですよ?」

「でもなぁ……」


 何かいい手はないもんか。

 もう一回、奴隷屋に行ってみるか?

 それしか思いつかん。


『どうした? その首輪を外したいのか?』


 のっそりと九尾が顔を覗かせてきた。


「あ、はい。でも全然外れないんです。まるで魔法の力で施錠しているみたいな感じで……」

『ふむ。それくらいならなんとかできそうじゃ』

「え、マジで?」

『娘よ。妾にちこう寄れ』

「は、はい……」


 ギンコが近づくと、九尾の鼻がギンコの頭に触れた。

 すると……


「うおっ!?」


 首輪についていたビー玉みたいな石が砕け散ったのだ。


『これで大丈夫なはずじゃ』

「外せるか?」

「や、やってみます」


 ギンコが首輪に手をかけると、スルリと外れていった。


「すげぇ……本当に外れた」


 苦労して外そうとしても駄目だったのに、意図も簡単に外れてしまった。


「あ、ありがとうございます!」

『これくらい造作もないわ。妾にかかればこんもんじゃ』


 少しドヤ顔をする九尾。


「ま、まぁこれで気が楽になっただろ?」

「はい。本当にありがとございます!」

「んじゃ。そろそろ帰るか」

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