第88話:ギンコの過去
私には名前がありません。
お母さんにはセリシャという名前があるのに、なんで私には名前が無いんだろう。
そんな疑問を抱いたのはある日のことでした。
そこでお母さんにこの事について聞いてみることにしました。
「お母さん。なんで私には名前が無いの?」
「………………それはね、大人になってから決めるのよ」
「そうなのー?」
「大丈夫よ。そのうち立派な名前をつけてあげるから」
「む~……」
理由は分からないけど、今はまだ名前がないまま。
どうやらこれが私たち〝フォルグ族〟の決まり事らしい。
誇り高く、誰よりも強靭で、強い種族。なんていわれたけどよく分からないや。
私はフォルグの里という場所で生まれました。
ここではフォルグ族だけが暮らす場所で、森の中だから他の種族との交流もあまりない。
森には魔物が居て、危ないから外に行くなと言われています。
でも私たちは強い種族だから、そんな場所でも暮らしていけるらしい。
これからもこの場所でずっと暮らしていくんだろう。
そう思っていました。
私はお母さんが大好きです。
いつも優しくしてくれるし、料理は上手だし、いいにおいもします。
寝るときに抱きつくとすごく安心します。
だからいつもそうしていました。
自分だけで何かをやり遂げるといつも褒めてくれます。
この前は一人で料理を作ったことがあります。
それをお母さんに教えるとすごく喜んでくれました。
それ以来、ビックリさせようとして色々なことをしました。
何かをする度に喜ぶお母さんを見ると、私も嬉しくなります。
ずっとずっとそんな日が続くと思っていました。
ある日のこと。
お母さんの元気が無いことに気が付きました。
どこか上の空というか、ボーッっとしていることが多いというか……
日が経つにつれてそういう場面が増えていった。
さすがにおかしいと思って直接聞いてみました。
けれども返ってきたのは「何でもない」という言葉でした。
どう見ても様子がおかしいのにどうして何も言ってくれないんだろう?
もしかして疲れているのかな?
そう思い、この日はいつも以上にお手伝いをがんばることにしました。
それから何日か経ちましたが、お母さんは元気が無くなる一方でした。
何度考えても原因が分かりません。
他の人に聞いてみたこともあるけど、何も話してくれませんでした。
これ以上、お母さんの元気が無い姿は見たくないよぅ……
どうしたらいいんだろう……?
私にも出来ることは無いのかな……?
………………
……そうだ。
もっともっと役に立てるようにがんばろう。
今まで以上にお手伝いをして支えてあげないと。
それからは色々なことをしました。
一人で料理を作ったり、掃除をしたり、薪を割ったり……
文字も覚えて驚かせた時もありました。
その時は一瞬だけ喜んでくれました。
けどすぐに元に戻ってしまいました。
やっぱり原因を突き止めないとどうしようも無いみたい……
もう私には出来ることはないのかな……?
いくら考えても分からず、ただ見ているだけ……
そんな悶々とした日々が続いていき――
運命の日がやってきた。
ある日のこと。
目覚めると体が揺れていることに気づきました。
何かがおかしいと思って目を開けてみるも、真っ暗のままでした。
目を開けているはずなのに暗く、どこを見渡しても何も見えない。
それにさっきから体が揺れていて変な感じ。
ここはどこだろう?
体を動かしてみようとした時、手足が動かないことに気づきました。
これは……もしかして……手も足も縛られている……?
どれだけ動こうとも自由に動けません。
もっと力を入れて振りほどこうとすると、男の人の声が聞こえてきました。
「大人しくてろ!」
「……!」
この時にようやく自分の置かれた状況が分かってきました。
まさか……私は……知らない人にさらわれている……?
さっきから体が揺れているのは私が運ばれているせいだと判断しました。
目が見えないのは、どうやら目隠しをされているみたいです。
手足を縛っているのは逃げられないようにするためでしょう。
そうこうしている内に動きが止まり、地面に降ろされました。
すると目隠しを外されました。
目の前にはあまりみない男の人が立っていました。
体もすごく大きく、私の倍ぐらいの身長です。
私と同族なのは確かだけど、あまりにも唐突なことなので恐怖を感じました。
「あ、あの……な、なんでこんなことするんですか?」
「いいか! お前も10を数える年になった。だが我らフォルグ族に弱き者はいらぬ。もし生き延びたいのなら強さを証明してみせろ! 出来ぬというのなら今後、里に入ることを禁ずる!」
「えっ? い、一体なんの――」
「黙って聞け!!」
「……ッ!?」
それからはよく覚えてません。
恐怖と混乱で頭に言葉が入ってこないのです。
男の人は「シレン」とか「オキテ」とか言っていた気がするけど、理解できませんでした。
一通り話し終えると縛っていた手足を解き、男の人はすぐに立ち去ってしまいました。
あっという間に遠くに行ってしまったので呼び止める暇もありません。
周囲を見渡すと知らない場所でした。
元より里から出たことのないので、外の場所は全部知らないのは当たり前だけど……
ここはどこなんだろう?
何でこんな場所に連れてきたんだろう?
私はどうなるんだろう……?
……今はそれどころじゃない。
「戻ろう」
少し冷静になり、その場から立ち上がることにしました。
「きっとお母さんなら何か知っているはず……」
そう。今は家に戻ることが最優先。
だから早くここから離れよう。
すぐに動こうとして周囲を眺め……
「帰り道……どこ……?」
見知らぬ場所にいきなり連れてこられたせいで、帰り道が分からないのです。
ここは森の中。
どこを見ても似たような景色で道がさっぱり分かりません。
どうしよう……
どうやって帰ればいいんだろう……?
何か手掛かりとかないのかな……?
………………
あっ! そうだ!
さっきの人が向かった方向に行けばいいんだ!
あの人も必ず里に向かっていくはずです。
だから後を付いていけば帰れるはず!
そう思い、さっきの人が行った方向に歩きだしました。
しばらく歩ていると、周囲の様子がおかしいことに気が付きました。
誰かに見られているような……
不審に思いながらも歩ていると――
「グルルルルル……」
「……ひっ」
茂みから出てきたのは魔物でした。
さっきから私を見ていたのは魔物だったんでしょう。
しかしどう見ても好意的には見えません。
明らかに私を襲おうと威嚇しています。
私は生きた魔物を見るのはほぼ初めてでした。
なぜなら里から出ることが許されなかったからです。
安全なずっと里に居たので見る機会が無かったのです。
なので、どう対処すればいいのか知識がありませんでした。
私には戦う術もなく、どうしようもありません。
怖くなって一目散に逃げ出しました。
幸いにも私の逃げ足のほうが早かったみたいで、お陰で逃げ切れました。
けれども状況はさらに悪化していきます。
「あれ……? どっちから来たんだっけ……?」
必死になって逃げていたせいで、帰りの方向が分からなくなってしまいました。
完全に迷子の状態です。
目を凝らして周囲を確認してみても、土地勘のない私には分かるはずがありませんでした。
それでも動かなきゃと思い、ひたすら歩き続けることにしました。
それからは辛い日々が続きました。
結局、ずっと歩き続けても里に辿り着けませんでした。
辺りも暗くなってきたのでこれ以上進むわけにもいかず、仕方なく野宿することに。
森の中ではいつ魔物に襲われるか分からないため、常に警戒しながら動かなければなりません。
しかし当然、寝るときは無防備になってしまいます。
なので少しでも安全な場所を見つけないと、命に関わります。
うかつに寝ることも出来ません。
でも簡単にはいきませんでした。
どこに居ようが、魔物が襲い掛かってきそうで安心できません。
やっと安全そうな場所を見つけても簡単に眠れることはありませんでした。
暗闇の中、魔物に見つからないように祈るだけ。
どこから魔物が近づいてくるのか分からない恐怖の中で落ち着けるわけがなく、震えながら目をつぶります。
けど夢の中でも魔物に追いかけまわされ、その度に目が覚めてしまいます。
そんな状態が何度も続き、まともな睡眠が取れずに朝になります。
日が昇っても眠くてそのまま寝てしまいたかったけど、動かないわけにはいきません。
睡眠不足のまま里に向かうことになります。
そんな日が何日も続きました。
寝ていてもすぐに悪夢で目が覚めてしまうので、どれだけ日が経ったのか考える余裕がありませんでした。
今日は何日目だっけ?
もう3日も経ったっけ?
それともまだ1日も経ってないっけ?
昨日はどれだけ歩いたっけ?
なんでこんな辛いんだっけ……?
私は何をしているんだっけ……?
あっそうだ。
早く家に戻らないと。
お母さんに怒られちゃう。
……………
………………………
……………………………………
この時に初めてこうなった理由を察しました。
そっか……きっと私は捨てられたんだ……
思えばお母さんの様子が変だったのはここ最近のこと。
きっと私がこういう状況になるのを知っていたに違いない。
だから最近元気が無かったんだ。
でもどうして教えてくれなかったの?
なんで私を捨てたの?
私が何かしたの?
弱いから?
それとも役に立たないから?
………………
きっと……きっと何か原因があるはず。
あの優しかったがお母さんがこんなこと思いつくはずがない。
本音は捨てたくなかったはず。
そうに違いない。
そう思うことにしました。
例え違っていたとしても今はそう思い込むことにします。
でないと……
私は……死にたくなってしまうから――
あれから何日経ったでしょうか。
もはや体力も気力も限界で、まともに考える余裕すらありませんでした。
ひたすら森の中を進み、里へ向かいました。
途中で水たまりを見つけては飲み、食べられる植物を見つけては食べて飢えをしのぎました。
どっちの方向が正しいのか分かるはずもなく、それでも足だけは動かし続けていました。
そんな日々が続き、歩き続けていた時でした。
「……!」
遠くのほうが明るくなっていたのを発見しました。
もしかしたらただの幻覚かもしれないけど、今はそんなことを気にする余裕もありません。
気力を振り絞り、急いで向かうとそこは――
「そ、そんな……」
今まで見たことないようなとても広い場所だったのです。
周囲の木々も少なく、遠くまで見渡せます。
そう。
なんと森を抜けてしまったみたいです。
里に向かうどころか、全く違う方向に来てしまったのです。
でもある意味では幸運でした。
森の中よりは魔物に遭遇する危険がなく安全だと思ったからです。
今から森に戻ろうにも既にそんな体力はありません。
なので、近くで休むことにしました。
どこかいい場所がないかと探していると、遠くに人が居るのを発見。
あの人なら安全な場所を知っているかも。
もしかしたら助けてくれるのかも。
そう思ってその人に近づいて話しかけました。
しかし、ここで私の運が尽きました。
その人はどうやら獣人が嫌いだったらしく、近づいただけで罵られた上に蹴られてしまいました。
けどその人はジロジロを見るといきなり態度が変わり、私を連れ去ろうとしてきたのです。
あろうことか、私を奴隷商に売り払うつもりだと言ってきました。
あまりにも酷い扱いに怒りで暴れました。
けど既に体力の限界。
すぐに力尽きて意識を失いました。
目覚めると私には首輪が付けられ、馬車で運んでいる最中だったみたいです。
逃げようにもそんな体力も無く、またすぐに意識を失いました。
次に目覚めると薄暗い場所で鎖に繋がれていました。
ここは奴隷屋敷の中で、もう私は売り払われた後だったみたいです。
薄暗い場所で檻の中に閉じ込められ、逃げることも出来ません。
そもそもそんな力も残ってませんでした。
なんでこんなことになっちゃったんだろう……
これからどうなるんだろう……
奴隷になるぐらいなら森の中で死んだほうがマシだったかもしれない……
もはや生きる気力もなく、絶望していました。
暗闇の中で考える元気も無くなり、ひたすら待つだけの日々。
そんなある日――
運命の人と出会いました。
「よし決めた! 今日から君はギンコだ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます