無宗教と女神
家に帰宅すると、着物を着た見知らぬ女がいた。普段から防犯には気を使っているし、玄関の鍵は勿論、窓やベランダだってちゃんと閉めていたはず。一体どこから入ってきたのか。
「誰だお前。どうやって家に入った」
「見てわかりませんか?私は女神です」
「頭おかしいのかお前。警察に通報するぞ」
「言ったでしょう。私は女神。私の姿は貴方にしか見えませんし、警察を呼んだって無駄です。捕まえるどころか、私に触れることすらできません」
どうやら本当に頭がおかしいようだ。見ず知らずの女にいきなり威圧的な態度を取るのもどうかと思ったが、こういうのには強気に対処しないとだめだ。自分の世界観に陶酔してやがる。
「自分で出ていく気がないなら、本当に警察に連れてってもらうぞ」
「やはり言葉だけでは信じないようですね。そんなに呼びたいならどうぞお好きに」
「こっちです。留守中に不法侵入されたみたいで、意味のわからないことを言ってずっと出ていこうとしないんです」
数十分後に到着した警察を居間に誘導し、例の女を補導するように促した。居間に行くと、例の女はいつの間にか勝手に茶を淹れ、一人で優雅に飲んでいた。さっきから図々しい態度でいると思ったらここまでとは。人の家に勝手に上がっといて何をしているんだこいつは。まあいい、すぐにこの警官に連れていってもらおう。
「はい。それで、その女性とはどこに?」
「え?いや、すぐそこにいるじゃないですか!白と赤着物を着た女が!」
「いえ…そのような方は見当たりませんが…」
部屋の電気はつけているし、今時こんな格好でいる奴が目につかないはずがない。見当たらないもなにも、奴は目の前にいるのだ。警官の視力が悪いとかいう問題ではない。
「もしかして貴方、彼女と喧嘩でもしてるんですか?こういう事で警察を呼ばれるのは困るんですよ。暴力事件に発展したとかならまだしも、勝手に家に入ってきたぐらいで通報しないでください」
「そんなことしてませんよ!自分に彼女なんていないし、そもそも玄関に女物の靴はなかったでしょう!」
「じゃあ最初から家にいたんじゃないですか?」
「だから違うって…」
「とにかく、身内の問題なら自分たちで解決を。霊的な問題なら霊媒師にでもお願いしてください。警察も暇じゃないんです」
少し怒った様子の警官は、俺が引き留める間もなく出ていってしまった。なんとも腑に落ちないが、これ以上警察に頼んでも迷惑だと言われて終いには俺のほうが逮捕されそうだ。
女の方を見ると、また「言ったでしょ」とでも言いたげな表情でこちらを見ている。どうやら、こいつが俺にしか見えないのは本当のようだ。せっかく警察を呼んだのに、俺が恥をかいただけだった。
「で、結局お前何者なんだよ」
「何度も言っているでしょう。私は神です」
冗談じゃない。俺は神なんか信じていない。何の宗教にも入っていないし、初詣なんかももう当分行っていない。子供の頃は身内につられて何となく毎年行っていたが、今となっては無駄な時間だったと思う。参拝して何を祈っても叶うわけがないし、おみくじを引いてもその後の運命が左右されることもなかった。あんなの、その辺の適当な占いでよく見る「○○座の人は良いことがあるでしょう。ラッキーカラーは…」みたいな暗示と同じだ。なのに何故一月一日になると揃いも揃ってあの寒い中神社に集まるのか。特に、やたら豪華な振袖を来て出向く奴なんかは、風習だからというのを口実に、馴れ合いをしに集まってるとしか思えない。自分の運命をおみくじや神頼みなんかに任せるもんか、自分の未来も運命も、自分で変えるものだ。
で、そんな男の家に突然上がり込んできて私が神です?いや、例え本当に神だとしてもおかしいだろ。何なんださっきから。私は神ですの一点張りで。
「…貴方は自分の価値観を信じて行動にするタイプですね」
「…は?」
何だ今の…。俺の心の中を読んでたみたいな発言。気味が悪いな…。
「それで、私のことを女神だと信じてくださったんですか?」
呆れたような口調で茶を啜りながら聞いてくる。
「いや?まだ全然。俺の中では勝手に家に上がり込んできて彼女面する悪質な不審者だけど?」
「どうすればもう少し格上げしてくれるのでしょうか」
そう言ったところでちょっと思ったのが、新手の押しかけ女房。さっきの警官も実はグルだったとか…
「それはないですよ。あの方はただの迷惑通報に駆け付けてくれた律儀な警官です」
「…さっきから気になってたけど、お前俺の心の中読めてるのか?」
「えぇ。そりゃあ神ですから」
何度も言われると本当にそういう何かな気がしてくる。まあ、完全に不審者であることには変わりないが、改めてこいつの見た目を観察してみることにした。
…何だろう。可愛いというよりは美しいよりで…でも最近の美しさじゃない。昔の美人といった感じの気品があり。化粧はしていないように見えたが、とても整った顔立ちだった。服は着物。と言っても、あまり見たことないタイプだな。和装であることは確かなのだが、よく見る浴衣や振袖とも違いう…。信じたくはないが、昔歴史の教科書で見た日本神話の神が、絵の中でこんな格好を着ていた気がする。まさか…いや…。
「まだ疑ってるんですか?本当に神を信じてない方なんですね」
「勝手に人の家に上がり込んでくる神なんているか!」
「では、どうすれば私が女神だと信じてくれるのでしょうか」
「どうすればって…神にしかできないような特殊な力とか…?」
「なるほど」
そう言うと自称女神は、部屋を見渡し始めた。そして、棚の上に置いてあった観賞用のサボテンを手に取った。
「このサボテン。枯れかかっていますね…。ちゃんと水はあげているんですか?」
「いや…、サボテンだから大丈夫だろうと思って、最近はあんまりあげてなかった
な…」
女は、慈悲深い眼差しをサボテンに向け、手を翳した。すると、女の手が微かに光出し、その光にあてられたサボテンが見る見る内に元気になり、色も鮮やかな緑に戻った。そしておまけに小さな花まで咲いたではないか。
「植物も小さな命です。今度からはちゃんとお水をあげるのを忘れないようにしてくださいね」
そう言ってサボテンを棚に戻す女の姿はとても神々しく、後光が見えてくるようだった。だが、まだだ。そんな片手間にできるようなのはマジックの可能性だってある。
「他にもやりましょうか?」
そう言うと女は、水道の水をコップに汲み、俺に持たせた。念のためちょっと飲んでみる。勿論、普通の水だった。次に女は、俺の持っているコップに顔を近づけ、コップの水に向かって、フーと吐息を吐いた。最初何をしたのかわからなかったが、次第に持っているコップからさっきとは違う匂いが漂い始め、中を覗くと、なんと炭酸のように泡立っている。しかも、この匂いは酒だ。
「飲んでも大丈夫ですよ」
突然酒に変わった水を怪しみつつ、少し飲んでみると、やはり酒だった。しかも、ただの酒じゃない。いつだったか、友人の誕生日パーティーで飲んだなそこそこ高い日本酒と同じ味がする。その美味さについつい全部飲んでしまった。
それにしても、さっきのサボテンとは違い、俺の手元で奇跡を起こしたんだ。これはさすがにハッタリとは考えにくい。しかし、ふと思ったのが、神とはこの程度のものなのだろうか。こんな小手先のマジックみたいなものなら別に神じゃなくてもできる気がしてきた。酔った勢いか、もっといろいろやらせてみたくなった。
「なあ、こういう手品みたいのじゃなくてさ。もっと神にしかできないような奇跡を見せてくれよ」
自分で自分のことを神だと豪語するぐらいなら、どこまでいけるのか限界を試してやろう。そう思っていると、突然携帯に電話がかかってきた。友人からだ。
「突然かけて悪い。この前テレビでやってた高級レストランあっただろ?あれの招待券が当たったんだけどさ、一緒に行く予定だった女房が熱出しちゃって。使わないのももったいないから誰かと行ってこいって言われたんだけど、今度一緒にどうだ?」
電話をしながら女のほうを見ると、薄っすらと笑みを浮かべてこちらを見ていた。まさかこれもこの女の仕業なのだろうか。偶然とはいえタイミングが良すぎる。彼には他にも仲の良い友人はたくさんいるはず。友人の女房が熱を出しただけならともかく、代わりに誘う人として真っ先に俺が選ばれるのも含めれば相当な確率だ。こんなのは手品とかいう次元の話しじゃない。明らかにこの女は特別な力を持っている。それが確信に変わった。
「お前…本当に女神なのか?」
「やっと信じてくれましたか」
だとしたら何故突然俺の家なんかに…いや、そんなことはどうでもいい。何故かは知らないが目の前には何でもしてくれる全知全能の女神さんがいるんだ。こいつと一緒にいれば俺の人生は薔薇色に…うっ…突然の胸の痛みに倒れこむ。今までに味わったことのない痛みに、立っていることもままならない。胸が苦しい。息ができない。そのまま床に倒れ、踠いていると、はっとあの女神の顔が浮かんだ。そうだ。俺には女神がついている。彼女に助けてもらおう。そう思って顔を上げると、ゴミでも見るかのような冷たい眼差しで俺を見下す女神がいた。その光景を最後に、俺は意識を失った。
あれから、どれぐらいの時間が経ったのだろう。目を覚ました俺は、謎の案内人につられて、自分が死んだことを告げられた。今は魂だけの存在。所謂幽霊というやつだそうだ。
案内人につられて歩いていくと、不思議と温かい光で照らされた真っ白な道に出た。この道を歩いていき、未練を断ち切った者が成仏できるという。案内された通りに一本道を歩いていくと、俺が子供の頃の写真や、楽しかった頃の写真が、額縁にはまっていた。歩いていくにつれて、写真の中の世界も時を辿っていく。懐かしい思い出に浸りながら歩いていくうちに、あっという間に道の最後に近づいていた。周囲の光が急に強くなったように感じ、前を向くと、あの女神がいた。そして、一気に死ぬ前の記憶が蘇る。だんだんと腹が立ってきた。
「おい!お前女神なんだろ!何であの時俺を助けてくれなかったんだ!」
「貴方の家にお邪魔した時、貴方はもうすぐ死ぬ運命にあったのです。人の死ぬ運命を無理矢理変えることはできない決まりになっています」
唖然とする俺を前に、女神は依然として冷静な態度で続ける。
「貴方は私たち神のことを信じない人間でしたね。ですから、死ぬ前にせめて私たちの存在を伝えてあげようと、私が参ったということです」
「そんな…そんなこと死ぬ前にやるぐらいなら、もっと前に余命を伝えるぐらいしてくれよ!」
「伝えていましたよ。初詣のおみくじは大凶でしたし、占いの運勢は例年より悪かったはずです。あ、貴方はそういうの信じない方でしたっけ」
女神らしからぬ態度で嘲笑する女神に、俺は何の文句を言い返せなかった。
今宵も不眠症は筆を執る 夢乃藤花 @Asuka_s99
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