雨宿り


 梅雨。夏を前にやってくる鬱陶しい季節。雨は嫌いではないが、じめじめした空気に混ざって微妙な蒸し暑さが増していくこの感じがどうも好きになれない。電車やバスは遅延が増えるし、空気が淀んだ感じがして、皆の心まで淀んでくる。


 今日も連日続く大雨で私の気分は沈んでいた。傘が壊れてしまい不足の事態に備えてレインコートを羽織ってもみたものの、服はもうびしょびしょ。もう日も落ちてあたりは暗い。最近この辺りでは連続殺人事件が起きているということもあり、安全のことも考えて、近くに住んでいる友人の恵美の家に雨宿りさせてもらうことにした。恵美は前の会社の同僚で、よく一緒に新商品のアイデアを出し合ったりしたものだ。



 そこそこなマンションの一室。インターフォンを鳴らすと、友人ではなく、見慣れない男性だった。


「あの…どちら様ですか?」


「傘が壊れてしまって…もう外も暗いし、例の事件のこともあるので、近くの友人に家に雨宿りさせてもらおうとして来たのですが…」


男性は、少し、眉を顰め、何かを考えるようにしてから言った。


「…ああ!ってことは、恵美のお友達かな」


「はい」


「何だあいつ、くるなら言ってくれればいいのに…。とにかく、事情はわかった。いいよ、中に入って」


玄関に上がり、廊下を進みながら見知らぬ男性に問う。


「あの、もしかして、恵美の彼氏さんですか?」


「そう。丁度俺も雨宿りに来てたんだ」


ちょっと振り返ってそう言う男は、確かに綺麗な顔立ちであり、身だしなみにも気を使っているようだ。恵美の奴、いつのまにこんな良い男作ったんだか…


「じゃあ、恵美は今どこに?」


「俺が急に来たもんだから、夕飯が一人分しか用意してなかったみたいでね。近くのスーパーだかコンビニに買い出しに行ったよ。もしかしたら、君の分も買いに行ったのかな」


そこそこ良い暮らしをしているんだとわかるリビングに案内されると、男は顔に似合った爽やかな口調で言った。


「とりあえず、外も寒かったろうし、何か温かい飲み物淹れるよ。あ、コートはそこにかけといていいから。あとはそこの椅子に座って待ってて」


彼の言った事に従って、濡れている紺色のレインコートを脱ぎ、傍のコートスタンドにかけていると…。


「あ、もし濡れてるようだったら、タオル使う?」


「えっ…あ、はい。ありがとうございます」


初対面の女にここまで優しく気遣いしてくれるなんて。この男、顔だけじゃなく性格までイケメンなのか。恵美の奴、こんなに良い男、一体どこで見つけてきたのやら。


「恵美とはいつから付き合っているんですか?」


唐突に頭に浮かんだ疑問を聞いてみた。


「まだ1年もたってないよ。確か、今年の春頃からだったかな」


「へぇ…」


「えーと、それで…あ、そうそう飲み物…」


そう言って彼は思い出したかのように冷蔵庫を開けたが、中を確認してすぐに閉めた。次に、キッチンの棚などを開けて何かを探しているようだったが、特に何も取りださずに、少し考えてから私に。


「ごめん。ミルクもコーヒーもないみたいだったから、ただのお茶でも…いいかな?」


「…はい。わざわざありがとうございます」


この家で同棲しているのに、冷蔵庫の中もキッチンにあるものの位置も把握してないなんて、普段そういうのは恵美に任せっきりなんだろうか。いや、でも自分から飲み物を出すと提案したんだし、物をきらしていたことに今気づいただけだろう。



 『女性を狙った連続殺人犯は現在も逃亡中であり、雨の日に被害者が出ることから、雨天だけを狙った犯行だと推測されています。最後に目撃情報があったのは、○○区の…付近だということです。今日は連日続く大雨ということもあり、犯人が犯行に及ぶ可能性が高いと思われます。近くにお住まいの方は、くれぐれもお気を付けください』


彼がお茶を作っている間、家に来た時からつけっぱなしになっていたテレビを見ていた。テレビでは、最近この辺りに出没するという連続殺人犯のことがひっきりなしに話題にされていた。梅雨に入ってからずっと報道されているが、被害者は増えるばかりで、未だに捕まっていない。


『目撃情報によると、犯人と思われる男性は身長170cm前後で、ベージュのレインコートをバッグに入れて持ち歩いており、犯行時にそれを着用していると思われます。常にフードを深く被っているので、正確な容姿の情報まではまだ寄せられていません。…被害者は毎回鋭利な何かで何度も刺された状態で死んでいることから、犯人の凶器はナイフだと推測されています』


「…例の連続殺人犯、今この辺りに来てるみたいですね…」


半ば独り言のようなものだが、お茶を淹れる彼の方を向いて言う。


「ああ、そうみたいだね。今日も大雨だし、日はもう落ちてる。あ、そういえば、君は大丈夫だったのかい?」


「えっ?えぇ。…有難うございます。わざわざ心配してくれて」


「だとしたら、買い出しに行ったあいつの方も心配だな…」


「…まだ、帰ってこないんですか?」


「そうだね…そんなに遠くまで行ってないとは思うんだけどな…どうしたんだろう…」


さっきからこの男、自分の彼女のことなのに無関心過ぎだ。



 お茶を飲み終わり、彼が食器を片づけに行ったところで、私は、恵美に電話をかけてみた。

 しかし、中々応答がない。電話をかけるのを止めようかとした時、微かに着信音が鳴っているのが聞こえた。もう一度耳を澄ますと、確かにこの家の中…恐らく、恵美の部屋と思われる場所から着信音が聞こえてくる。恵美は買い出しに行っているはずなのに?着信音に気付いた彼は、急に食器を洗っていた手を止めた。耳を澄ませているのか、少しの間沈黙が続く。


「…ん。あいつ、携帯置いてったのかな…」


さっきまでとは打って変わって真剣な顔付きになった彼は、着信音が聞こえた部屋へと入っていった。そして部屋に入る直前に私の方を振り向いて。


「あ、僕が確認してくるから、君はそこで待っててよ。勝手に中見せちゃうのも悪いし」


私は友人だと言っているのに部屋を見る権利もないのか?それとも、単純に恵美が他人に部屋を見られたくないだけか。


 ピンポーン

彼が部屋に入ったのと同時に、チャイムが鳴った。恐らく、中からの着信音と、ドアを閉める音が重なって、彼には殆ど聞こえていないだろう。


「ちょっと正志―!いるんでしょー!?今両手塞がって鍵出すの面倒だから、そっちから開けてくれなーい?」


 いいタイミングで帰ってきたね。恵美。私は彼が部屋に入っていった隙に、リビングにあった本棚やソファを移動させ、部屋の扉を塞いだ。これで彼はもう中から出てこられない。


ガチャッ


「もー、少しぐらい気使ってくれてもいいじゃない…ってあれ?」


怒り気味の恵美が、食材を入れた袋を持って帰ってきた。


「久しぶり。私のこと、覚えてる?」


「えっ…何で…何であんたがここにいるのよ!?亜紀!」


よくもそんなすまし顔でこんな良い生活をできたもんだ。私との事なんてなかったみたいに。あんな良い彼氏まで作りやがって…


 恵美と私は、昔ファッション関連の会社での同僚だった。とても仲が良く、よくアイデアを出して、それを実際に服にしてと、二人のコンビネーションでどんどん新商品を出していった。しかしある日、私が出したはずのアイデアを、恵美は自分のアイデアだと言って公表した。しかもそれは、恵美のアイデアとして採用された。アイデアを出した手柄も、名誉の地位も、全て恵美に奪われたのだ。私はその後デザイナーといての仕事から隅に追いやられ、ついにはクビにされた。私の人生は、この女のせいで台無しにされたのだ。


 さて、そろそろ乾いた頃だろう。混乱と恐怖でその場に固まってしまった恵美を置いて、コートスタンドにかけていた紺色のレインコートを取り、羽織る。


『ニュース速報です。先ほどまで報道されていた連続殺人犯のさらなる目撃情報が寄せられています。男性だと思われていた犯人は、高身長な女性であり、犯行直後は紺色のレインコートを着用していたとのことです』


 つけっぱなしになっていたテレビから、余計な言葉が漏れ出した。だが、まだ考え不足だ。犯行前後でレインコートの種類を変えているんじゃない。このレインコートは、雨に濡れて温度が下がると、ベージュから紺色に変化する。そして、乾くと再びベージュ色に変化する。これは、私が考案して、恵美に横取りされたアイデアだ。最後のターゲットは、私が一番殺したかった相手。恵美、あんただよ。これは、復讐だ。



 ポケットからナイフを取り出し、ニュースの内容に震えて立ちすくむ恵美に近づく。


「良い商品だね。でも、考案したのは私。どう?上手く使いこなせてるでしょ?」

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