夢の狭間


 冷たい。氷を触った時のような冷たさを肌に感じ、目を覚ました。ぼやける視界を覚ますため、目をこすると、自分が寝ていたのが雪の上だということに気付いた。通りで冷たかったわけだ。少し寒気もする。だが、最近雪が降っていた記憶がない。


 それより、何故自分はこんなところで寝ていたのだろう。雪が降っていたとかの記憶どころか、ここ最近の記憶が曖昧だ。自分の名前は、上田真司…。生まれた場所は…家は…親は…通っている学校は…。そういう基本的なことは普通に覚えているのに、自分が何故ここにいるかだけは、どうしても思い出せなかった。

立ち上がって周りを見渡そうとしたが、立ち眩みがして一度転びかけた。何かに強く頭をぶつけて、倒れていた気がする。頭がクラクラした。仕方なく、それが治まるまで身をかがめて周囲を確認することにした。

 周囲を見渡すと、雪が降っているわけでもないのに寒く、遠くに行くにつれて景色は真っ暗になっていた。だが、自分の周りだけはしっかり確認できる。時折、赤や緑、黄色といった、クリスマスに合いそうな色の光が、闇の中に浮いていた。

 ずっとここにいても、何が起こっているのかわからない。もう一度立ってみると、今度は立ち眩みもなく、普通に歩くことが出来た。

 闇の中を歩きだそうとすると、今度は立ち眩みではなく、地震がきた時のように足元が揺れ始め、バランスを保てなくなった俺は地面に倒れこんだ。咄嗟に目を瞑る。



 キーンコーンカーンコーン。

 聞き覚えのある音が聞こえた。そうだ、これは学校のチャイムだ。でも、自分が知っているチャイムとは少し音程が違う気がした。不思議に思いながらも、恐る恐る目を開ける。


 そこは、自分がいつも通っている高校だった。しかし、いつものような騒がしい雰囲気も、明るい雰囲気もない。全てが霧がかったような、ふわっとした印象を受けた。周りには、いつも見る同級生が楽し気に会話している。何故か所々に、小学校や中学校以来会っていないはずの同級生も混じっていたが、特に違和感もなく、気にならなかった。

全てが風景の一部として、成り立っていたのだ。


 時計を見ると、今はもう下校時間。帰宅しようと校門へ向かっていると、いつもの学校とは道や作りが異なる気がした。でも、何故か自分は帰り道を知っている。

 廊下を歩いていると、後ろから同級生の叫び声が聞こえ、振り返ると、元気を持て余して追いかけっこでもしていたのか、こちらに向かって逃げてくる同級生に衝突した。


 その衝撃で、はっと目を覚ました。今度は、見慣れない場所ではない。自分がいつも寝ているベッドの上だった。

 なんだ。全部夢だったのか。通りでおかしいことばかりだと思った。夢の中では気にならなかったことを、今思い出してみてようやく変な点ばかりだったと気づくことが出来る。

時計を見ると6時過ぎ。いつも通りの起床時間だ。今日は平日、朝の支度をして、学校に行かなければいけない。

 リビングで朝食を取り、歯磨きや着替えなど、いつもの支度をしている時、時計を見て言葉を失った。登校時間の8時40分に合わせて、いつもは7時半頃に家を出ているのだが、その家を出る時間どころか、登校時間である8時40分を明らかにオーバーしている。別に二度寝したり朝のしたくをのろのろしていたわけでもない。いつもと同じように朝の支度をしたはずなのに、今は9時半。最早遅刻とかいうレベルじゃない。学校では既に授業が始まっている頃だろう。あぁ…今まで積み重ねてきた無遅刻無欠席記録が…。いや、それより、何故時間を過ぎても俺がのんびりと家にいることに対して何も言わなかったのだろうか。

そのことに怒りを覚えながら、急いで最後の支度を済ませ、家から飛び出す。もう今から走っても朝のホームルームところか、授業にさえ間に合わないことはわかっている。恐らく、授業の途中で、教室に入って怒られる形になるだろう。なので、授業が終わるタイミングを狙って登校することにした。だいたい、走っても間に合わないのにこんな時間帯に街中を一人走り抜けていくなんて、恥ずかしくて俺にはできない。

駅まで行く途中、青信号の横断歩道を渡っていると、突然目の前に大きな影が現れ、耳を劈くようなクラクションの音が鳴る。まるで、世界がスローモーションになったかのようだった。俺の真横には大きなトラックが迫ってくる。一瞬で、自分が死ぬことを悟る。トラックに衝突する直前、足に痛みを感じ、再び目を覚ました。


 あれ?俺はさっきトラックに弾かれたはずじゃ…。まさか、あそこまでが夢で、ここからが本当の現実なのか?もう、現実と夢の区別がつかなくなってきた。ただ、今は確かに、足に痛みを感じている。恐らく、起きる直前に寝ぼけて足を壁に勢いよくぶつけてしまったのだろう。つまり、痛みを感じるということは、これが本当の現実に違いない。さっきまでの、目が覚めて朝の支度をして遅刻…という流れは、正夢的な夢だったんだろう。いや、さすがに遅刻や交通事故までは正夢であってほしくないが。

あ、遅刻と思い出し、咄嗟に枕元の時計を見る。

うん、大丈夫だ。いつも通りの起床時間、このまま時間に気を付けて、普通に朝の支度をすれば、学校にも間に合うし、いつも通りの日常に戻れるはずだ。



 「おい、今真司の足に荷物当たってなかったか?」


「え?あぁ、そうみたい。ごめんね、真司」


「いろいろと疲れやショックで気が参ってるのはわかるけど、しっかりしてくれよ」


 ある病院の一室、腕には点滴をされ、全身包帯でぐるぐる巻き。顔には、人工呼吸器をつけられている。見るからに痛々しい姿をした少年に、二人の夫婦が見舞いに来ていた。

 そこに、少年の手術を担当したと思われる医者が入ってきた。それを見た夫婦は、必死で医者を問いただす。


「先生!真司はもう大丈夫なんですか!?」


「意識はいつ戻るんですか!?」


興奮する二人を落ち着かせるように、医者が言う。


「まあまあ、落ち着いて聞いてください。交通事故にあって運ばれてきた時は、それはもう酷い状態でしたが、今は手術と、医療処置によって何とか一命を取り留めました」


「じゃあ、息子はまた普通の生活にも戻れるんですね!」


多少明るさを取り戻した父親に対し、申し訳なさそうな顔で医者が口を開いた。


「残念ですが、真司君はトラックと衝突した時に、脳へのダメージが特に酷かったようで、病院にきてから未だ一度も目を覚ましていません。最悪の場合、このまま植物状態になってしまう可能性も…。」


「そんな…」



 少年の意識は、その身に閉じ込められたままだった。いつか彼が、終わらない夢の中で助けを求めたとしても、その声は誰にも届くことはない。



 「あれ?さっきまで空を飛んでたような…あ、あれはさすがに夢か。え?でもここは草原だし、まだ夢の中?でも、さっき目が覚めて学校に向かったんじゃ…。…誰か、誰か教えてくれ…どれが夢?どこまでが夢なんだ!」



 彼は今も、夢の狭間を彷徨っている。彼が本当に目を覚ます日は、来るのだろうか。


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