先任期 夏
水平線を望んで
後任期に対する導入教育も無事に終わり、世間は5月の大型連休、いわゆるGWを迎える。それは航空自衛隊でもでも同様で、この期間中、多くの部隊では全ての飛行訓練を取り止める「ノーフライト期間」を設け、ほとんどの隊員が年次休暇を取得する。
航学群でも同じようにノーフライト期間があるのだが、残念ながら後任期学生については例外だ。彼等は年次休暇取得可能日数が足りていない為、この期間中はカレンダー通りにしか休むことができない。先任期のいなくなった学生隊舎で大人しくお留守番だ。
「理不尽だ。ほんと理不尽。こんな理不尽が許されていいの?」
ぶつぶつと文句を吐きながら光は鞄に教程を詰めていく。学生隊の基幹隊員は皆休暇で不在となっている為、体育訓練などは行われないが、座学だけは数名残った教官によって実施されることとなっている。
「まぁた愚痴なんかこぼしちゃって」
同部屋の同期、伊織がけらけらと笑う。
最近彼女とよく話すようになった。というより、同期との間にあった溝がなくなったと言うべきか。同じ場所で一ヶ月も共に過ごし、また厳しい訓練も乗り越えたとなれば、もはや単なる知り合いではなくなる。言ってしまえば、たとえ嫌いな人間だとしても仲良くするしかないのだ。仲間の不利益は直接自分にも降りかかるため、自然と互いに助け合うようになる。この妙な連帯感は、友達を選ぶことのできた今までの生活では決して味わうことができず、改めて自衛隊という場所が特殊な環境なのだと実感させられる。
「区隊長たちも先輩たちも休暇入ってていないわけだし、気楽でいいじゃん。楽しもうよ?」
「なんにも楽しくない! 皆が休暇で遊んでいる中、私たちだけ勉強なんて!」
文句を言ったところで仕方がない、とは言えやはり面白くない。しかしこの理不尽も、長く続く航空学生の伝統なのだと言われたら仕方ないと納得できる自分がいて、気付かぬうちに自衛隊に染まってきたのだなと光は思う。そしてそれが嬉しくも悔しくもあり、妙な気分だった。
持ち物を揃え、手早く制服に着替える。今日は朝礼も予定されていないので、時間的にかなり余裕があるのだが、それでも全ての行動が素早くなってしまうのはもはや癖だろう。
「今頃先輩たちは実家かぁ…」
ホームシックになるには早すぎる時期だが、里帰りしている先輩たちが羨ましい。なにせもう一ヶ月もこの基地の中に缶詰状態なのだ。長年使ってきた自分のベッドとは言わずとも、せめてこの隊舎以外の場所で眠りたいところだ。
日和の実家は長野と聞いている。あいにく光は地元の千葉からろくに出たことがなく、長野についても「軽井沢がリゾート地として有名」程度の知識しかない。もとより旅行が好きな性格でもなく、行ってみたいとも思わないが、日和が今までどういう場所で育ったのか、興味本位ではあるが気になるところではあった。
「坂井先輩、今回は地元に戻ってないらしいよ」
「へぇ?」
なぜ伊織がそんなことを知っているのだろうかと、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。しかし考えてみれば彼女は日和の対番なのだから、その程度の世間話はしていてもおかしくない。
「帰省してないならどこに?」
「神奈川とか言ってたっけ。なんでも海自航学の人の実家に遊びに行くとか…」
「海自ぃ?」
海上自衛隊にも航空学生がいることは知っていたし、課程の中で彼等と交流する機会があることも教えてもらっている。だからといって、たったそれだけの交流でそこまで仲良くなるものなのだろうか?
航空学生といえど、空と海。所詮は違う世界で生きる者たちではないのかと、光は少し疑問だった。
「神奈川かぁ。いいなぁ」
詳しいわけではないが、横浜だったり鎌倉だったり、遊ぶ場所には困らないだろう。こんな窮屈な基地に閉じ込められている日々の中で、きっと良い気分転換になるはずだ。
羨ましい。ただただ羨ましい。せめてお土産の一つでも買ってきて貰わないと、この気持ちが治まりそうにない。
「今頃美味しいもの食べたり、買い物とかしてるのかな…」
「文句言ってないで教場行くよー。教授班当直なんだから、授業の準備をしとかないと」
「おっと、そうだった!」
ざっと居室内を見回し、乱れがないかをチェック。同時にロッカーの施錠を確認すると、教程鞄を手に部屋を飛び出した。
外は雲一つない青空。気象隊の予報によると、このGW期間中は全国的に快晴が続くのだそうだ。
「あそこに停泊してるのが第6護衛隊の「きりしま」ね。こんごう型の二番艦で、みんながイージス艦って呼んでるやつ。その隣が「てるづき」。あきづき型の二番艦。奥に見える大きいのが「いずも」だよ。去年就役したばかりの、海自最大の護衛艦」
見事なまでの青空に、波も穏やかな横須賀港。米海軍や海上自衛隊の艦艇が並ぶ中、小さな遊覧船がゆっくりと港内を進んでいく。連休中ということもあってか観光客の数は多く、船内はおろかオープンデッキも満席状態で、一番見晴らしの良い席が取れた日和たちは幸運と言えるだろう。
今回彼女たちが参加しているのは「YOKOSUKA軍港めぐり」という、横須賀港の中を巡って海自や米軍艦艇を見ることができる、国内では唯一のご当地クルーズだ。普段あまり見ることのできない艦が間近で、しかも海側から眺めることができるということで、マニアにも一般の観光客にもかなり人気がある。
「あれは空母ってやつなの?」
「自衛官ならDDH、ヘリ搭載護衛艦と呼んで欲しいなあ。本物の空母はあっちだよ」
奏星が指差す方向は米海軍第七艦隊が使用しているふ頭で、そこには空母「ロナルド・レーガン」が停泊していた。全長333m、排水量十万トン。間違いなくこの港で一番大きい艦だろう。甲板上には第5空母航空団に所属する戦闘機たちが並び、海上自衛隊の艦艇とは一風変わった雰囲気を醸し出している。
「おっきい…なんか島みたいだね」
「お、日和鋭い。艦上構造物のことをアイランドって呼ぶから、あながち間違ってないかもよ」
そんな米海軍の艦艇を眺めつつ、遊覧船は横須賀本港から沖合いに出る。この後は吾妻島をぐるりと周って長浦港へと入り、新井掘割水路を通って横須賀港に戻ってくるというのが本クルーズのルートだ。
「あ、ずっと沖の方に試験艦「あすか」が見えるね! 姿が見えないと思ったら出港してたのかぁ」
「試験艦?」
「新しい装備品とかを試験的に運用する艦のこと。空自で言うと、飛実(飛行開発実験団)にあたるのかな」
「お客さん、詳しいですねぇ」
なんでもかんでも奏星が先に説明してしまうので、クルーズのガイドが苦笑いしている。それに気付いた日和はそれとなく奏星にサインを出すのだが、彼女の方はテンションが上がりきっていてそんなのお構い無しだ。本職で、しかも日和と一緒に旅行中の彼女をクルーズに乗せてしまったところが彼の運のつきだろう。
「ていうかさぁ…」
と、やや低い位置から退屈そうな声。少し眠そうに手刷りにもたれかかり、ぼうっと水平線を眺める同期、月音だ。
「せっかく神奈川まで来たのに、なんで軍港巡り?」
「いいじゃん。日和も見たいって言ってるんだから」
「日和ちゃんはなんにでも興味があるだけだよ。なにも休暇中まで自衛隊に染まらなくてもさぁ…」
ラッパで起き、ラッパで眠るという毎日。自ら望んで入った世界とはいえ、ずっと自衛隊の中にいると気が滅入るというもの。せめて休暇の間くらいは外の世界を満喫したいというのが普通の自衛官の気持ちだ。
「ごめんね。月音の気持ちも分からないわけじゃないんだよ」
日和が優しく頭を撫でて上げると、少しだけ月音は機嫌を直す。
「でもね、一度ちゃんと見ておきたかったんだ。奏星が将来どんな世界で生きていくのか。呉とか江田島には研修で行ったけど、奏星自身がどんな目でこの世界を見ているのか知りたかったし」
「へへ…そんなに気になる?」
「友達としてね」
にやける奏星の頭を軽く小突く。
「ねぇ、もうすぐ一年になるけどさ、そろそろ自分の将来が見えてきた?」
「んー? まぁ、そうかなぁ」
もともと奏星は空自志望の航空学生だ。幼い頃から戦闘機、特にF-15に憧れて自衛官を目指し、惜しくも夢破れて入ったのが海上自衛隊だった。
最初はその未練が捨てきれず、空自の航空学生である日和に嫉妬し、八つ当たりをしたこともあった。ちょうど一年前の小月基地研修、空と海の航空学生による交歓会でのことだ。
「もともと空自で戦闘機に乗りたかったのは本当だし、今でも「もしかしたら」って思うことはあるよ。でもね…」
奏星は月音と同じように手摺に身体を預ける。遠くにいる護衛艦を見てフッと寂しそうに笑い、同時に海風が彼女の髪を撫でていった。
「ずっと海自の中にいるとさ、やっぱり影響を受けちゃうのかな。今では素直に「船もいいな」って思えるよ。将来ああいう護衛艦に乗って仕事をするんだって考えると、ちょっとワクワクする。その上ヘリも操縦できちゃうんだから、一粒で二度美味しいよね」
ヘリパイになりたいだなんて、初めは嘘の言葉だった。望んでいなかった世界で、自分の居場所を守るためだけに、自分に対して吐いた嘘。それも今では胸を張ってヘリパイと船乗りを目指していると言える。
「日和はどう? 夢とか目標、見つかった?」
「うん…私は…」
おもむろに空を見上げると、数羽のカモメがすぐ真上を飛び抜けていった。ちょっと前まではただの鳥としか認識していなかったそれが、今ではなんだか飛行機の姿と重なって見える。
「私、F-15に乗りたい」
ふぅん、と奏星は目を丸くする。それは彼女が幼い頃から憧れていた戦闘機。そして同じ航空学生でありながら、きっともう乗れないであろう機体。
「私の区隊長がイーグルドライバーなんだ。すごく変な人なんだけど、でもいつか一緒に空を飛びたいって思ってる」
「日和ちゃん、最近ずっとそれ言ってるよね」
また拗ねたように頬を膨らませる月音。輸送機志望の彼女としては、日和が自分と同じ道に来てくれないことが寂しいのだろう。
「そんなに戦闘機っていいものなの?」
「「分かってないなぁ!!」」
日和と奏星の声が重なる。
「見た目も良いけど、ムダを削ぎ落として飛ぶことに特化したあの感じ、パイロットと機体が一心同体になって飛び回る感じが堪らなくカッコ良いんだよ。スポーツ選手に似てるかな」
「おお、さすが日和。まさにその通り。航空祭とかで機動飛行とか見ると特にそう感じるよね」
「中でもF-15はいかにも戦闘機っていうフォルムで、私は大好き。もちろんF-2とかもカッコいいんだけどね」
「むぅぅ…」
盛り上がる二人を見て月音はますます不機嫌になる。
「なにさ二人して…大型機だってカッコいいとこあるもん」
「ごめんって! 分かる分かる! 政専(政府専用機)とかAWACS(早期警戒管制機)とかもカッコいいもん! ね、奏星だってそう思うでしょ?」
「いや、正直あんまり…」
「むっかぁぁ! なんなのさ! もう怒った! 二人が将来官用機で移動したいって言っても乗せてあげないんだからね!」
珍しい怒り方だなぁと日和はちょっと笑ってしまう。それが馬鹿にされてると感じたのか、月音は完全に二人から顔を背けてしまった。いつものことだから、多分放っておいてもすぐに機嫌をなおしてくれるのだろうが、さすがに無下に扱いすぎた気がするので、あとでちょっと美味しいものでも奢ってあげることにする。
遊覧船は長浦港へと入り、クルーズも行程の半分を終えた。こちらの港には米軍の艦艇は停泊しておらず、海自と民間の船が混在している。向かって右手に見える建物が自衛艦隊司令部だとガイドが説明するが、すでに日和たちは彼の話を聞いてはいなかった。
「それよりもさ、私は安心したよ」
拗ねる月音をよそに、奏星が日和の肩を叩く。
「なにが?」
「初めて会ったときはさ、ちゃんとした夢とか目標も、自分に自信も持たない子で、可愛い以外に取り柄なんてなかったのにさ」
「言い方!」
まぁそれは冗談として、と奏星は目を細くした。
「今はだいぶ、強くて良い顔になったよ。目力があるって言うのかな。しっかりと将来を見てるんだってのが伝わってくる。いいじゃん、イーグルドライバー。偉そうなこと言うけどさ、頑張りなよ。今の日和なら絶対なれると思うからさ」
「奏星…」
僅かに残る未練と嫉妬。それでも彼女は日和に「頑張れ」と言ってくれる。それは親友に対し、夢を託したという意味でもあるのだろう。
明確な夢を持たなかった日和は、まだ挫折を味わったことがない。だから今の奏星の気持ちが、努力ではもうどうにもならず、夢を諦めることしかできない彼女の気持ちは分からない。誰かに夢を預けるという心も、きっと本当の意味で共感はできない。
「…任せて」
だから、精一杯自分の為に頑張ろう。ようやく心の底から抱くことのできた夢だ。叶えることで彼女の心を救えるのなら、それは日和の使命でもあり運命的なものなのだろう。
「日和ちゃんならなれると思う…だって? あったり前のこと言わないで欲しいな」
相変わらずそっぽを向いたまま、けれど意思のある強い声で月音も応えた。
「日和ちゃんも私も奏星ちゃんも、誰も諦めたり折れたりなんかしないよ。私たちは一人じゃないんだから」
希望機種こそ違えど、同じ空を飛ぶことを夢見る仲間同士。彼女たちは決して孤独ではなく、互いに支えあって進むことができる。その存在のなんと心強いことか。
三人は並んで遠く空を眺める。青く、蒼く、海に溶け込んでしまいそうな雲一つない快晴。手が届く程には近くないが、暗く閉ざされたものでは断じてない。
待ってろ。強く拳を握りながら、日和は小さくそう呟いた。
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