空上げカレー

「うーん、美味しい! 毎週食堂で出てているものとはいえ、やっぱりカレーだけはいくら食べても飽きないよね!」


 旅番組かなにかのリポーターかと思えるようなリアクションで舌を唸らせる奏星。一口目はゆっくりとよく味わって。それを終えるともうスプーンが止まることはなく、何度も「美味しい」と言いながらカレーを頬張る。その無邪気な様子がまるで子供みたいで、もしかしてこの料理には食べる人を幼くさせるような効果があるのではないかと日和は思う。


 ここは横須賀のとあるカレー専門レストラン。軍港巡りツアーで海自の護衛艦や米海軍の艦艇を心行くまで見学した日和たちは、ちょうど昼飯時ということもあり、奏星のオススメでこの店を訪れていた。


 一説によると、カレーライスが日本の各家庭に普及したルーツは旧日本海軍にあるといわれている。横須賀は海軍とともに歩んできた軍港都市であり、数年前に「ここをカレー発信の地として地域の活性化をはかってみては?」という声が地元の市役所等から挙がった。これを受けて海上自衛隊等による共同調査が開始され、 日本で食されるカレーのルーツである海軍カレーを新たに「よこすか海軍カレー」と名付け、 横須賀が「カレーの街」であることを宣言したのだという。


 そしてこの店は「旗艦店」と呼ばれる、より本物に近い海軍カレーを食べることのできるレストランだ。戦艦三笠の士官室をイメージした店内に、当時食事中に軍楽隊が演奏していたと言われるポルカやワルツのBGMが流れ、雰囲気はバッチリ。主役であるカレーも、旧日本海軍のレシピにあった、当時のカレーシチューを再現したという一品だ。


 具材は小さく賽の目で切られ、極少量に抑えられた小麦粉と野菜やフルーツでトロミを付けた、シチューの風味を残す原点に近いカレー。小麦粉が少ない分口当たりはとても滑らかで、ちょっとした辛みの中に上品な甘みが感じられる。今まで日和が口にしてきたものとは一風変わったカレーだが、確かにこれは奏星が「美味しい」と連呼するのも納得の出来だった。


「私は具がゴロゴロしたやつのが好きなんだけどなぁ」


 少し悪態を吐きつつも、スプーンを動かす手は止まらない月音。多少好みと違っても、その美味しいだけは認めざるを得ないようだ。


「なんで海軍カレーだと具材が小さくなるの?」


「おっと、日和もカレーの奥深さに興味を持ち始めたみたいだね」


 よくぞ訊いてくれたと言わんばかりに身を乗り出す奏星。果たして彼女はこんなキャラだっただろうかと疑いたくなるくらいの上機嫌である。


「そもそもカレーってのは煮込む料理なんだけど、水や燃料を節約しないといけない艦の上だと、あまり長い時間煮込み続けるってわけにはいかないんだよね。そこで、具材に早く火を通す為に具材を小さくする必要があったってわけ」


「成る程、それは確かに「海軍の」カレーだね」


 加えてカレーは調理が手軽で、肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事であり、さらに調味料を醤油と砂糖に変えると、そのまま「肉じゃが」にもなる。そのため補給の面でも都合がよく、それも軍隊食として普及した理由である。


 現在も海上自衛隊、また陸自や空自の殆どの部隊では、毎週金曜日にカレーを食べる習慣ができている。これは同じ曜日に同じメニューを食べることで、長い海上勤務中に曜日感覚をなくさないようにするため…と言われてはいるが、本当のところは翌週に持ち越せない残り物の食材を休み前の最後のメニューで使い切るためであり、大抵の食材を混ぜて入れても味が破綻しないからカレーなのである。


 ただし、金曜日にカレーライスを出すようになったのは週休二日制の導入以後で、それ以前は土曜日だった。土曜日は午前中だけの半日勤務であったので、給養員も午後には業務を終えての上陸・外出等に対応するため、土曜日の昼食には調理の準備や後片付けの時間が短縮できるメニューとしてカレーが選ばれていたようだ。


「海自の歴史にカレー、そしてカレーの歴史に海自あり。もはや伝統食ってやつね。空自にはないでしょ、そういうの」


 ドヤ顔をしてくる奏星に、日和と月音は少しだけムッと表情を曇らせる。彼女に悪気はないのだろうし、空自の歴史が浅いことも事実だが、そこを突かれるとやはり面白くはない。


 とは言えここでなにか言い返せるようなものなんて空自には…


「あるよ」


「えっ?」


 思いもしないところからの反撃。この大して意味のない、空自vs海自という小さな戦いに新しい流れを与える一手。それを打ったのは月音だった。


「日和ちゃん、知らないの? 今年度から「空自空上げ五ヵ年計画」っていうプロジェクトが動き始めたこと」


「そらあげ?」


「そう。唐揚からあげじゃなく、空上からあげ。まあ読み方はどっちでもいいらしいけど。要は「海自がカレー推しなら、空自は唐揚げを推してPRしていくぞ!」っていう計画なんだよ」


 フフンと得意げに胸を張る月音。彼女は一体どこからそんな情報を仕入れてくるんだろうかと日和は感心する。


 航「空」自衛隊全体でより「上」を目指すということで「空上げ」。隊員の士気高揚と国民に親しまれることを狙ったこの計画だが、まだ動き始めたばかりともあってその認知度は低く、関係者とその周辺の者しか存在を知らないというのが現状だ。


 だが今後はそれぞれの基地、分屯地が地元食材を使ったオリジナルレシピを考案し、調理競技会を開催する予定もあるらしく、広報活動にかなり力を入れていることは確かなようだ。そのうち防府北基地の食堂でも、一風変わった唐揚げが提供されることだろう。


 ちなみにこうした空自の取り組みに対して海自は「お手並み拝見だが、海自カレーの地位は揺るがない」と語り、陸自は「しばらく静観し、対応を検討する」と答えている。歴史も運用思想も異なる三幕は仲が悪い…というのは昔から絶えることのない噂だが、今回の場合は互いに切磋琢磨できる良いライバル関係という構図になりそうだ。


「そのうち金曜日のメニューはカレーから唐揚げにとって変わるかもしれないね。自衛隊と言えば唐揚げ! とか言われるようになったりして」


「いやいや…わざわざとって変わる必要はないじゃん。それになんで金曜日なの?」


「フライ(揚げる)デーだから!」


 しょうもない駄洒落にガクッと崩れる日和と奏星。しかしそんなことを本気で考えていそうなのが自衛隊というところだ。


 だがよくよく考えてみれば、こんなことに真剣になれるのも今が平和であるという証拠。一見不毛な戦いにも見える「空自vs海自」という構図。争う相手が身内にしかいないというのは、実は幸せなことなのかもしれない。


「そうそう、空vs海と言えばさぁ」


 ペロリとカレーを平らげ、奏星は牛乳を飲んで一息つく。特に意識していなくとも食べるペースが早くなるのは航空学生の悲しい性だろうか。


「来月には研修で防府そっちにお邪魔するわけなんだけど」


「聞いてるよ。うちの子(72期)たちも小月そっちに行くから、色々と宜しくね」


 毎年この季節になると、空自と海自の両航空学生の交流を目的とした研修が組まれる。空自の後任期たちは小月基地へ、それと入れ替わるように海自の先任期たちは防府北基地へとやって来て、それぞれ同期として親睦を深め合うというわけだ。特に日和たち先任期にはお互いのファンシードリルを展示し合うというドリル交換会も予定されており、学生たちにとっては大切な行事の一つとしてカウントされている。


 そして忘れてはならないのが、親睦を深め合う時には勝負をするのが航学流だということ。後任期たちはバレーの試合を、そして先任期たちはサッカーの試合を行い、どちらがより強いのか決着をつけるというわけだ。負けることは死を意味すると普段から教育されている学生たちに、楽しめたならそれでいいなんて甘い考えは許されない。


「日和たちはもう練習とかしてるの?」


「休暇明けから始まる予定だよ。特に空自こっちは去年のバレーで負けてるわけだから、連敗するわけにはいかないって気合い入れてる」


「その割には遅いね? 私たちはもう自主的に練習を始めてるよ。これは今年も海自が勝っちゃうかなぁ」


「「なにをぅ!?」」


 揃って声を返す空自組。そんな彼女たちが可笑しくて奏星はケラケラと笑った。そして同時にそれが羨ましくもあり、僅かに寂しそうな顔を見せる。


「ねぇ、空自と海自が交流できる研修なんてこれで最後のわけだけどさ…」


「うん?」


「私、もう二人とは会えなくなるんじゃないかって気がしてさ…」


 珍しく弱気なことを言う奏星を前に、日和たちは目を丸くして顔を見合わせた。


 確かに、同じ自衛隊と言えど空自と海自は別の組織。勤務地は異なるし、任務を共にする機会も少ない。特に日和たちは航空部隊で勤務するのに対して、奏星の場合は護衛艦での勤務が主となるわけだから、もしかしたら休暇すら被らなくなる可能性だってある。日和たちとは疎遠になることが目に見えてるわけで、彼女が不安に思うのも無理はない。


「けどそれは私と月音にも言えることだよ。例えば私が戦闘機で、月音が輸送機のコースに進んだとしたら、総隊と支援集団とで別々の場所で働くことになる。地元の友達とかもそうだけど、いつまでも一緒にっていうわけにはいかない」


 更に言えば同じ機種であっても勤務地が異なる可能性は大いにある。日和が希望するF-15にしても、千歳に小松、新田原に那覇と四つの基地に展開しているのだ。約50人の同期がいる航空学生だが、大小合わせて73箇所の基地を構える航空自衛隊では、彼等が同じ場所で働く可能性は思っている以上にずっと低いのだ。


「けど、それを繋げる輪が「同期」なんだと思うよ。あるいは「航学」かな。離れた場所にいても心は繋がってる…とか言うとクサいけど。でも私はどんなに遠くに、どれだけ長く離れたとしても、私は奏星のことを忘れることはない。それは断言できるよ」


「奏星ちゃんの場合、キャラが濃いから忘れたくても忘れられないよ。本当は日和ちゃんの記憶から消え去って欲しいけど…」


「今なんて言った?!」


 怒る奏星に対していたずらっぽく笑う月音。もちろん本気で言っているわけではない…はずだ。


「ま、心配するだけ無駄ってことだよ。空も海も繋がってるわけだからさ、どうせ何処かでばったりと出会うって」


「そんなもんかな…」


 あと何度、こうして三人で食事を共にすることが出来るだろうか。今が幸せなだけあって、それがいつの間にか失われていくのではないかと奏星は不安になっていた。もちろん、日和たちが自分のことを忘れてしまうような薄情な人たちだとは思っていないが、物理的距離は心の距離。今のような親しい関係が果たしていつまで続くだろう? 奏星には来月に予定されている交換会が、日和たちと触れ合う最後の機会な気がしてならなかった。


 日和は言わば「あり得たかもしれないもう一人の自分」だ。かつて奏星が夢見た道を、その想いも背負って進んでくれている。だからこそ、いつまでも彼女を近くで見ていたいと思い、彼女にとってもずっと親友でありたいと願っている。


 その為に、今の自分には一体なにができるのだろうか…


「取り敢えず、今を楽しむ他ないんじゃないかな」


 日和の答えに、奏星はうつむきがちだった顔を上げる。


「その人との思い出があれば、時間が経っても縁は切れないものだからさ、記憶に残る時間にしようよ。この休暇も、今度の研修も」


「記憶に残る、か。そっか…そうだよね」


 どうなるか分からない未来ばかり見ていると、ついつい今を忘れてしまいがちになる。今が幸せであるからこそ未来を想うのに、これでは本末転倒というもの。らしくない沈みかたをしてしまったなと、奏星は自分を戒めた。


「よし。そういうことなら、来月のサッカーは完膚なきまでに潰すつもりで挑むからね? 覚悟しといたほうがいいよ」


「あれ…なんかやる気にさせた?」


「これは日和ちゃん、余計な火を点けちゃったかもしれないねー」


 さっきまでの寂しそうな顔もどこへやら。闘志を燃やして鼻息を荒くする彼女を見て、元気をあげすぎたと日和は苦笑いした。この高いやる気のまま試合に臨まれたら、きっと空自側は苦戦を強いられるだろう。友人としてはそのほうが嬉しいのだが、勝負のことを考えると失敗だったかもしれない。


 しかしそれも思い出の一つ。いつかどこかで出会った時、話の種にでもなることだろう。


「望むところだよ。防府はこっちのホームなわけだから、今後は絶対に負けないから」


 言い返す日和に隣の月音も深く頷き、最後の一口に取っておいたトッピングのカツを頬張る。取り敢えずの験担ぎ。あと必要なのは実力と、ほんの少しの時の運。相手にとって不足はない。



 そんなGW休暇から数週間。時が経つのは早いもので、あっという間にその時はやって来た。


 研修の為に出ていく後輩たちと入れ換えで、これまた研修という名目で防府を訪れる67期海自航空学生たち。わずか二日間という短い時間ではあるが、学生たちは遠く志を同じとする仲間との、約一年ぶりの再会を喜んだ。


 昼は互いの持つ伝統であるファンシードリルを展示し合い、夜はお菓子やジュースを持ち寄ってプチ宴会が開かれ、楽しい時間は惜しまれながらも止まることなく過ぎていく。だが彼等は仲間であると共に好敵手。この行事の最後を締めくくるのは、この一年で鍛えてきた実力をぶつけ合う決戦の舞台であった。


 夏も目の前に迫り、日に日に強くなっていく日差しを浴びながらピッチに立つ学生たち。昨日までは笑顔を見せていた区隊長たちも、この時ばかりは真剣な眼差しで彼等を見守る。


「さあ来い! 海自は空自のサッカーにも唐揚げにも負けないんだから!」


 奏星の一声の後、キックオフの笛が鳴った。各航学の代表に選ばれた選手たちが一斉に走りだし、ベンチからの応援にもより一層熱が増す。


 が、そんな中で引っ掛かることが一つ。


「唐揚げって…なんの話ですかね?」


 戦いの行方を見守りながら春香が呟くように投げた疑問に、隣に立つ冬奈も首を傾げた。


「案外、私たちを惑わす心理作戦かもね」


「唐揚げがですかぁ?」


 未だに空自の中ですら浸透しきっていない「空上げ」。海自のカレーに対抗するつもりで作られたそれが、まさかこんな形で空自航学たちの耳に届くとは、一体誰が想像できたであろうか。


 この奏星の一言がきっかけで空自勢の集中力を欠き、試合に大きな影響を及ぼしたという話は…たぶん無い。

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