後輩 着隊
空を飛びたい。生まれ変わるなら鳥になりたい。そんなちょっとイタい台詞を最初に口にしたのは何時だっただろうか。たぶん、物心ついた時には空を飛びたいと考えていたと思う。そしてそれを叶えるには飛行機に乗るしか、パイロットになるしかないと、小さい頃から夢は決まっていた。
最後にその台詞を言った日は覚えている。つい先週だ。大学を辞めると知って止めにきた友達に、どうしてもやりたい事があると言って、その子供みたいな台詞をぶつけたのだ。
今、ようやくその夢のスタートラインに立つことができた。航空自衛隊の航空学生。恐らく国内最速で航空機に乗ることができる、パイロット養成コース。一度は3次試験まで残ったものの受からず、渋々大学へ進学したが、今年は最終合格まで勝ち取ることができた。高卒の連中とは一年遅れで入隊することになるが、関係ない。自分には実力があるのだか、一年程度の差はすぐに埋められる。それだけの覚悟と自信があった。
「ここが航空学生教育群…」
大きなスーツケースをがらがらと引きながら、庁舎の前までやってくる。入り口には「祝入隊!72期航空学生」と書かれた看板が掲げられており、見上げれば航学の文字が見える群旗が風になびいていた。
大きく一回深呼吸。最初の印象が大切だ。元気に、そして舐められないように。少女は強く拳を握り締め、着隊の受付をしている玄関に大股で乗り込んだ。
「今日からお世話になります、
今日はいよいよ新入隊員が着隊する日。日和たちは各区隊の教場で、自分の対番が到着するのを今か今かと待っていた。
庁舎一階にある受付から、無線で呼び出しを受ける同期たち。もう半分近くの人数がいなくなったが、まだ日和は呼ばれていない。焦っても仕方ないとは分かっているが、それでもなかなか気持ちは落ち着かなかった。
「逃げたのかもね?」
珍しく意地悪いことを言ってからかってくる冬奈。彼女曰く、自衛隊という厳しい世界に入ることが恐くなり、直前になって逃げ出す人は珍しくないらしい。
「そういう冬奈の対番だってまだ着隊してないでしょ」
「大物なのよ」
なにそれ、と笑う日和。すこしだけ緊張が解れる。
「思えばここに来てから一年かぁ。早いもんだね。自衛隊に入るって…最初は怖かったけど」
「怖かった? 坂井学生が?」
「私をなんだと思ってるの。冬奈だって、自衛隊に入るって決めた時は少しくらい怖かったでしょ」
「私は繊細だし。坂井学生は精神が図太いから、怖いものなんてないと思ってたわ」
「ひっどいなぁ」
同じ区隊になってから、冗談も言い合える仲になった。初めて出会った時の、鋼のように固い性格も、今ではだいぶ丸くなったものだなと日和は思う。たぶんそれは、ここの生活にも慣れて、心に余裕が生まれてきたからなのだろう。
もう一年を、彼女をパートナーとして過ごすこととなる。月音とはまた一味違った、良い関係を築けそうな気がして、これからが楽しみだった。
『沢村学生、一階まで』
と、春から同じ区隊となった沢村が呼び出しを受けた。
「あんまり無愛想にしてちゃ駄目だよ。入隊者が恐がっちゃうからさ」
「うるせぇな。なんで俺が新兵なんかに気を使わなきゃいけないんだ」
「貴方も最近までは新兵だったくせに、なに言ってんだか。初めて持つ後輩なんだから、しっかり可愛がってあげなさい」
「…俺は元野球部だぞ。後輩の扱いには、お前らより慣れてる」
確かにその通りだ。野球部といえば体育会系の代表格。航学と最もよく似た世界だ。きっと彼も厳しい上下関係の中で高校生活を送ってきたに違いない。先輩としての振る舞い方も、当然身に付いているはずだ。
けれど冬奈が心配しているのはどうやらそこではなかったらしい。
「けど、女の子の扱いには慣れてないんじゃないかしら?」
沢村の対番はまさかの女性学生だった。今年の航空学生は女性の数が過去最多で、71期の6人に対して、10人もの女性が入隊してくる予定となっている。だからこうして沢村のように、女性の対番をもつ男性学生が出てくるわけだ。
「男のようにはいかないわよ。乙女心はガラスのように繊細なの」
「…お前を見てると、とてもそうは思えないけどな」
「あはは! 冬奈の場合、同じガラスでも防弾ガラスだからね!」
キッと睨まれ、慌てて日和は口元を隠す。ここは冬奈に味方すべきだったかもしれない。そんな二人のやり取りが面白かったのか、沢村はわずかに笑みをこぼした。
「それじゃ、お先に。後でWAF隊舎まで連れて行くから、そこからの面倒は頼んだぞ」
「ああそっか。いくら対番でも、一緒に暮らすわけにはいかないもんね。名前、なんて言ったっけ?」
沢村はおもむろにポケットから名簿を取り出す。呆れたことに、自分の後輩となる者の名前も覚えていなかったらしい。他人に興味を持とうとしないその性格は相変わらずだ。
「
同時に、早く受付までくるよう催促する声が無線機から流れた。
受付が終わってから少しの間待たされることとなったが、やがて一人の学生が上の階から降りてきた。仏頂面で、全く愛想のない男性学生。けれど顔立ちが悪いわけではなく、むしろイケメンの部類に入る。体格はいかにもスポーツマンといった感じで、やはり航学課程でかなり鍛えられているのだろう。目も合わせようとしてくれない辺りは気にくわなかったが、全体的には光にとって好印象だった。
「管野だな? これから俺と一緒に区隊長へ着隊申告をして、その後隊舎まで案内してやる」
淡々と話が進められる。どうやら彼が自分の面倒を見てくれる担当、対番というやつらしかった。向こうも仕事としてやっているのだろうが、こっちは遠路はるばるこんな田舎の基地までやって来たというのに、こうも事務的に対応されるとやはり面白くない。
「じゃあ行くぞ。取り敢えず学生隊に入るから、荷物はその辺に置いとけ」
「ちょっとちょっと! 自己紹介もなし?」
ろくな説明もなしに先に行こうとするので慌てて呼び止めると、やはり彼は面倒くさそうに振り返った。勢いでタメ語になってしまったが、失礼はお互い様だろう。なにより、これ以上舐められるのは光としても認められなかった。
「君、もしかして高卒入隊?」
「…そうだけど」
「そう! じゃあ私と同い年ってことだね!」
だとしたら遠慮することはないはずだ。確かに相手は先輩かもしれないが、たった一年だ。大した差ではない。
「名前は?」
「…沢村」
「名前を訊いてるの。そっちは名字でしょ」
「礼治」
「礼治君かあ、カッコいいじゃん。じゃ、これから宜しくね!」
光が手を差し伸べると、彼はやや戸惑いながらもそれを握り返してきた。もはや完全に主導権はこちらのものだ。強引なやり方ではあったが、むしろ彼には効果的だったのかもしれない。
「ねぇ、私と礼治君は対番ってやつなんでしょ? それって、具体的にどういう間柄なの?」
「お前の指導を」
「お前、じゃない。名前で呼んでよ」
「…光の指導を、主に俺が責任を持って行うってだけだ。そこに強い縛りがあるわけじゃない。仲の良い対番もいれば、そうでもない対番もいる」
「それだけ? もっとこう、四六時中一緒にいるとか、そういう感じかと思ったのに」
「教育や訓練は別々で行われるわけだし、特に俺達は男女で住む場所も違うんだ。関わることは少ないと思うぞ。仲良くするなら俺なんかじゃなく、お前…光と同じ部屋の先輩とか、同期とかにしとけ」
相変わらず彼は話すときに目を合わせてくれない。仲良くなるつもりはないというサインなのだろう。だが、こちらは寄り添ってあげようとしているのに、それを拒絶されるのはなんだか面白くない。
「そんなに邪険に扱わなくてもいいじゃん。パイロットを目指す者同士、志は同じはずでしょ?」
「…お前、他人の家に上がってもくつろげるタイプか?」
また「お前」と呼ぶものだから、光はムッと眉間にしわを寄せる。
「俺は無理だ。よく知りもしない奴に、自分の隙を晒したくないからな。だから俺は、お前になにを訊かれても答えるつもりはないし、お前のことについて訊くつもりもない。俺は先輩で、お前は後輩。それだけの関係だ。分かったら黙って俺の言うことを聞いとけ」
「だ、か、ら! 対番なんでしょ? 私たちは仲良くしなきゃいけないし、お互いのことを知らなきゃいけない。違う?」
どうやら正論だったらしく、なにも言い返してこない。これ以上話していてもドツボにはまるだけだと、彼は小さく舌打ちして学生隊へ向けて歩き出した。置いていかれてはたまらないので、光も慌てて彼の後を追いかけた。
「…似てるな」
「え?」
「俺の同期に、お前とよく似た性格の奴がいる。人の領域にずかずか入り込んできて、まるで遠慮がなくて…そういう奴は決まって、目を離した隙に厄介事を持って来るんだ。だから放って置けなくなる」
普通に聞いていれば迷惑極まりない人物だが。それを語る彼の口調はまんざらでもなさそうで、光はその人のことが気になった。もしかしたら自分と馬が合うかもしれない。
「ふぅん、面白そうな人だね。同じ区隊なの?」
「光と同じ部屋だぞ」
「へっ?」
光が反応する暇もなく、礼治の「入ります」の声が大きく響いた。
「ここが居室だよ。そっちのベッドを使っていいから。トイレとか洗面所とか、細かいところは後で案内してあげるね」
「おお~! 思ってたより広いんスね! 自衛隊だから二段ベットとか、そんな感じの部屋かと思ってたッスよ!」
日和の対番となったその少女は、まるで子猫みたいに部屋の中をクルクル歩き回る。
「あたし、今日からホントに楽しみなんスよ! そりゃ辛いことキツイこともも沢山あるんでしょうけど、そういうのも含めて! 知らない世界に飛び込むって、ほんとワクワクしますよね!」
「うん。その気持ちは、まぁ、ちょっと分かるかな」
日和の場合はワクワクというよりも不安のほうが大きくて、伊織とは別の意味で毎日ドキドキしていたことを思い出す。これから何が行われるかも分からないのに、怖くないのだろうか。それに気付かないのは大物なのか鈍感なだけか、とにかく自分とは違うタイプの子が対番になったものだなと日和は感じていた。
「坂井学生、入るわよ」
と、そこへ冬奈が彼女の対番を連れてやって来る。
「こっちが坂井学生。私と同じ、3区隊の先輩になるわ」
「あ、ああ、
こちらは伊織と違ってかなりオドオドした子だ。やや猫背気味に肩を縮こまらせて、明らかに不安そうな顔をしている。これはこれで心配になるタイプだ。
「おっと! その声は我が友みさきちではないか!」
どこかで聞いたことのあるような台詞を口にしながら伊織が美咲に飛び付く。
「うわわ! まさか伊織が受かってるとは…」
「このあたしが試験に落ちるわけないだろう! みさきちこそ、よくぞ最後まで残ってくれた!」
「みさきちはやめてよぉ…」
日和たちをそっちのけで親しげに話す二人。あれだけ緊張で強張っていた美咲の顔も、僅かながら余裕を取り戻す。
「二人は知り合いなの?」
「ッス! 3次試験で一緒だったんス。その頃から仲良くて…」
「いや、伊織は目を離すとなにをしでかすか分からないから、私がそのストッパーになってただけで」
「軍師的なポジションだ! さながらあたしは敵陣を突き進む猛将ってことで!」
「良いほうに解釈しないでよぉ…」
伊織に無理やり抱き寄せられ、美咲は迷惑そうにため息を吐く。しかし心底嫌そうにしているかというとそうではなく、むしろ知っている顔に会えたことで安心しているようだった。
あまりに個性的で、両極端な性格の二人。一時はどうなることかと日和も不安だったが、この二人が既に完成されたコンビであったことは幸運だったと言えるだろう。
「私の対番と坂井学生の対番、あとは沢村学生の対番がやって来れば6区隊のWAFは全員着隊ね」
「先に着隊してるはずなんだけどなぁ。沢村の奴、なにやってるんだろ」
「あのー、坂井さん?」
日和たちが話しているところへ春香がひょっこりと顔を出す。
「沢村さんに頼まれて、6区隊の方を連れて来たんですが」
どうやら沢村は偶々居合わせた春香に自分の役割を引き継いだらしい。考えてみれば彼はこちらの女性隊舎に入ることはできないわけで、こちらから迎えに行ってあげれば良かったなと日和は反省する。
「ありがとう春香。使わせちゃったね」
「いえいえ、構いませんよ。ただ、それよりも、ですね…?」
なにやら春香は困ったような顔をしながら新入隊員を部屋に呼ぶ。なにか問題でもあったのだろうか。
「初めまして、
春香が連れて来たその少女は明るくはきはきとした態度で、まるで自分に相当な自信があるかのように堂々としていた。伊織や美咲とは違い、ずっと前から航学にいたかと思わせるような存在感。日和だけでなく、冬奈にとってもそれは「嫌な予感」だった。
「えと、こちらが同じ部屋になる坂井さんです」
「聞いたわ! 私と同い年なんだよね? これから宜しく!」
握手を求めて彼女は手を伸ばしてくる。友達になろう、と言ってるように。子供みたいに。これから先輩となる日和に対して、である。
「春香…あのさ」
「わわわ、私は自分の区隊に戻りますね! ごめんなさい坂井さん! あと、頑張って下さい!」
気まずそうに、申し訳なさそうに春香は部屋を飛び出していく。あまり巻き込まれたくないと思ったのだろう。悔しいが、賢明だ。
「これは、とんだ大物がやって来たわね…」
頭を抱えるようにしてため息をもらす冬奈。そんな先輩を前にしても、光は相変わらず伸ばした手を下げようとはしなかった。
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