関幸人

 多くの学生が次々と外出していく中、日和は作業服に着替え、木銃片手に朝礼場へと向かっていた。先日約束した通り、これからせきとマンツーマンでドリルの練習を行う予定だ。


 日和たち71期が最初にドリルを披露するのは70期の卒業式、つまりまだ半年近くも先の話で、今はまだそこまで慌てて練習する時期ではない。現にこうして休日を使ってまで練習する学生は日和たちくらいで、朝礼場には他に誰もいなかった。


「えらく練習熱心なのね」


 日和の対番であるともえは、驚いた顔をしてそう言っていた。焦っているのかと心配されたが、別にそういうわけではない。確かに冬奈や夏希はドリル要員に選ばれる可能性が高いかもしれないが、そこに大きな差はないはずだと日和は感じていた。焦っているのはむしろ関のほうで、どうやらなにがなんでも日和をドリルのレギュラー入りさせたいようだった。


 彼がどうしてそこまでドリルに熱心なのか、それとも熱心なのは日和のほうになのか、それは分からない。



 日和ちゃんのことが好きなんじゃないかなって…



 先日月音に言われた言葉が頭から離れない。忘れようとしているのだが、どうしても気になってしまう。関が自分に好意を持っているのだとしたら、ここまで練習に付き合ってくれるのにもなんとなく合点がいく。


 それがもし本当だったとして、自分はどう関と接していけばいいのだろうか。今まで通りでいいのだろうか。


「おはよう、坂井。休みなのにわざわざ悪いね」


 少しして、ふらりと関がやって来た。人のよさそうな笑顔に、自衛官らしくない細くてすらりとした身体。物腰柔らかい話し方で、他の先輩のような高圧的な印象は受けない。外の世界だったら、こういった人が女性に人気だったりするんだろうか。


「とんでもないです。宜しくお願いします」


「うん。短期集中で、午前中で終わらせてしまおう」


 スイッチが切り替わったように関の目が真剣になる。そういえば彼は、練習の時はいつもこのような目をしていたなと日和は背を伸ばした。下心なんてなさそうな、ドリルの練習だけに集中しようという、そういう目。彼が熱心になっているのは「日和」ではなく「日和にドリルを教えること」なのだというのが伝わってくる。


 一体この人は何を考えているのだろう。なにが目的で自分に優しくしてくれるのだろう。


 色々と聞きたいことはあるが、余計なことを考えていると手元がぶれる。教える側が真剣な以上、こっちもそれの応えないと失礼だろうと、日和は木銃を握る手に力を込めた。





「1、2、3、4、5…ほら、またタイミングが遅れた。その部分だけもう一回やってみようか」


「はい!」


「銃を回す動作が遅いんだ。落としてもいいから、もっと思いきって回してごらん」


 ひたすら木銃をくるくると回す日和。だがこれがなかなか上手く決まらない。腕の振りや銃の角度等、姿勢に関してはかなり向上してきたものの、銃操作だけがどうも日和は苦手なようだった。中でも左手を軸に銃を一回転させる「捧げ銃」に関しては、今のところ一度も成功していない。かといって銃操作ばかりに気を取られると、今度は別の部分が疎かになってしまう。


「坂井は全体的に思い切りが足りないなぁ。木銃なんだから、どれだけ失敗しても大丈夫なんだよ?」


「それは、分かってはいるんですけど…」


 技が失敗した時の、カランと木が地面を叩く音がトラウマになりつつある。これが実銃だったら、きっともっと大きな音がするのだろう。


 銃を地面に落とす。それがどれだけ恐ろしいことなのか、ここ半年で嫌というほど教えられてきた。小銃はあくまで「武器」であり「教材」ではない。人を殺す為に存在するものであり、だからこそ手足のように自由に扱えなければならない。それを落とすということは、自分の管理下から武器が離れるということを意味する。当然、許されることではない。


 落としたらどうしよう、という考えが邪魔して思い切りが足りなくなる。結果、慎重に銃を扱ってしまい、動作に節度がなくなる。日和が冬奈たちに劣っている部分があるとすれば、そこが一番大きかった。


「僕が見る限り、技術的には問題ないよ。どっちかというとメンタルな部分かな。やっぱり、失敗するのが怖いかい?」


「まぁ…先輩は怖くないんですか?」


「なに言ってるのさ。僕だって怖いよ」


 少し休憩しようと言って、関は日和を自販機コーナーまで連れていく。だんだん集中力がなくなってきたことに、関も気付いてくれたらしい。


「当たり前の話だけど、失敗は誰だってするんだ。僕たち70期も、69期の先輩たちも、全部が上手くいった世代なんてなかったはずだよ」


「それでも、失敗していいってわけじゃないと思います」


 暖かいブラックコーヒーを購入し、日和に手渡す。一瞬、二人の指が僅かに触れた。


「失敗はよくないさ。でも、失敗を恐れて中途半端になってしまうのはもっと良くない。捧げ銃とかいい例だよ。失敗を避けようと思えば、どうしても動きが緩慢になってしまう。そうなれば皆の動きは絶対に揃わないし、見映えが悪い」


 関が買ったのは暖かいミルクティー。コーヒーは苦手なようだ。


「誰も本気で挑戦して失敗した人を責めたりはしないさ。坂井には上手くやる実力もあるし、その方法も知っている。なにも恐がらす、思いきってやればいいさ…って、どう? 少しは気が楽になったかな?」


 決して怒っているわけではなく、優しく諭してくれているというのが伝わってくる。果たして自分はその優しさに応えられているだろうか。なかなか成長を感じられない自分に、日和は不甲斐なさを感じる。


「一つ訊いてもいいですか?」


「うん?」


「どうして関先輩は、こんなに私の面倒を見てくれるんですか?」


 こんなことを訊ねてしまっては失礼なのかもしれないが、ずっと気になっていたことを思いきってぶつけてみる。こんなに一生懸命に練習指導をしてくれているのに、人によっては不愉快に感じてしまう質問だ。


「あー、まぁ、そりゃ不思議だよね。僕、そんなに坂井と接したこともないし…」


 幸いにも関はあまり気を悪くせず、ちょっと困ったように頭をかいた。


「なんていうかな。その、坂井は口が固いほうかい?」


「言っていい事といけない事の分別くらいはついてるつもりですよ」


「すごくストレートに言ってしまうとね…好きなんだ」


「へぇ?」


 思わず変な声が出てしまう。好きというのは異性としてという意味だろうか。そもそもなにを好きだと言っているのだろうか。もしかして月音の予感が的中したのだろうか…一瞬の間に頭がぐるぐると高速回転する。


「その…私が、ですか?」


「勘違いしないでくれ! あ、いや、坂井に魅力がないって意味ではないんだけど」


 ぶんぶんと手を振って否定する関。けれど日和へのフォローも忘れないのがなんとも彼らしい。


「坂井じゃなくて、対番のほうというか」


「対番って…えっ?! 巴先輩のことですか?!」


「あんまり大きな声出さないでくれ。誰にも打ち明けたことないんだ」


「す、すいません」


 誰かに聞かれてしまっただろうか。慌てて周辺を見回してみるが、幸い誰もいなかった。呼吸を整え、落ち着いてから話を戻す。


「えっと、好きっていうのはつまり…」


「女性として、だよ。同期としてでも、友達としてでもない。一人の異性として木梨のことが好きなんだ」


 木梨巴。日和の対番であり指導学生、先輩たち70期の中でも中心的な人物だ。凛とした性格に高いリーダーシップ、細かな気配りもできる優しさも合わせ持つ、人としてとても魅力的な先輩。日和としても高い信頼を寄せており、もし異性であったなら間違いなく恋に落ちていただろう。


 そういう人だからなのか、関が彼女のことを好きだと知っても、さほど日和は不思議に思わなかった。きっと彼だけではなく、他にも巴に好意を寄せている学生はいることだろう。


「でもそれなら、どうして巴先輩じゃなくて私なんですか? こんなに面倒を見てもらっておいて失礼ですけど、私に構ったところで巴先輩が関先輩に振り向いてくれるわけじゃないんですよ?」


「それくらいは分かってるさ。そもそもね、僕は木梨に振り向いて欲しいから坂井にドリルを教えているわけじゃない」


「と言いますと」


「WAFもドリルに参加させるようになったのは71期からだという話は知っているね?」


 頷く日和。ここ数年の間で女性自衛官が活躍できる場は大きく広がり、航空学生においても多くの女性学生が入隊してくるようになった。今まで男性のみが選抜されていた戦闘機パイロットや潜水艦乗りなどにも女性が採用されるようになり、ここ航学群でも少しずつ時代が変わろうとしている。


「けれど、僕たちの代ではまだドリル要員として選ばれるのは男性のみだった。例年通り、WAFは全員ブラバン隊の要員に回されることになり、木梨だってその一人だった」


「トランペットでしたよね。あまりに上手でしたので、音楽経験はないと聞いた時は驚きました」


「でも、本当はドリルをやりたかったらしいんだ。入隊した時からずっと言っていた。きっとWAFでもドリルができるように制度が変わるからって、ずっと一人でドリルの練習をして…結局そうはならなかったけどね」


「そしたら、私たち71期で流れが変わった…」


「それも対番の坂井がドリル要員に選ばれたんだから、悔しかっただろうね。木梨は人ができてるから、坂井を妬んだりはしないと思う。けれど本当は泣きたいくらいに辛いはずなんだ」


 実力が問題ではなく、女性だからという理由で土台にすら上がれなかった舞台。その場所に今度は自分の後輩が立とうとしている。


 えらく練習熱心なのね、と日和を見送った巴。一体どんな気持ちでその言葉を送ったのだろうか。そう考えると、胸の奥がきゅうっと締め付けられるような感じがした。


「だから僕はなんとしても坂井をドリルのレギュラーメンバーに入れたいんだ。それだけ坂井には真剣になってもらいたいし、都築や陣内に負けて欲しくない」


 これは僕のエゴだ。そう言って関はミルクティーを一気に飲み干した。


「坂井がドリルで活躍すれば、きっと木梨は喜んでくれる。だから僕は真剣になって坂井にドリルを教える。それだけだよ」


「それだけ、ですか?」


 それだけでいいんですか。喉元まで出かかる言葉を日和はぐっと抑える。けれど関はなんとなく察したようだった。


「いいんだよ。好きな人に笑顔になってもらえる、ただそれだけで」


「私には恋とかそういうのはよく分かりません。けど、関先輩は素敵な人だと思います。想いを伝えれば、きっと巴先輩だって…」


「優しいね、坂井は」


 その先を遮るように関は言葉を重ねる。


「僕は他になんの取り柄もない男だ。勉強も運動もそこそこで、特に目立った特技もない。どっちかというと男らしさとか覇気のない、航空学生らしくない人間だ。そんな僕でも好きな人を喜ばせてあげることができるなら、僕は一生懸命に坂井を育てる。それだけで十分だよ」


「…私には分かりません」


「分かる時が来るさ。誰かを好きになって、想いを伝えて、付き合って結婚して、それだけが恋のカタチじゃない。好きな人を笑顔にさせてあげたいと、なにかを頑張る理由が増える、原動力みたいなものだと僕は思うよ」


 そういうものだろうか。日和は少し緩くなった缶コーヒーに視線を落とした。誰かを好きになる、恋をするなんて経験は日和にはない。頑張れるなにかを持たない自分自身が好きになれなくて、夢や目標を探すだけで精一杯だった。


 人を好きになることで何かを頑張れるなら、それが人生の目標になるとしたら、そういう恋のカタチもあるのだろうか。


 俯く日和の肩を、関は笑って優しく叩いた。練習に戻ろうか。そう言われて日和も残り少なくなったコーヒーを一気に流し込む。慌てて飲んでしまったせいで、軽くむせた。


「慌てなくてもいいよ。坂井は真面目だから、なにかと焦ってしまいがちだけど、急いでも仕方ないことだってある」


「…恋、とかですか?」


「そういうこと。僕なんかが説教できる立場じゃないけどさ、恋をしたいから人を好きになるんじゃない。気付いたら人を好きになっていて、それが恋だったと後で気付くのさ」


 立て掛けてあった木銃を手に取り、クルリと回して捧げつつをしてみせる関。一年間積み重ねたきただけあって、相変わらず惚れ惚れするくらいに綺麗だった。


 いつか自分もこういう先輩になれるだろうか。関のように誰かを好きになれれば、もっと物事に一生懸命になれるのだろうか。


 印象も薄く、どこか掴み所のないだけだったこの先輩が、今ではとても眩しく見えた。


「坂井にはいるかい? そういう、大切に想える人が」


「どう…なんでしょう」


 異性と付き合った経験もない、自分自身さえ好きになれない。そういう人生を歩んできたせいなのか、いつの間にか日和は「人を好きになる」という気持ちが分からなくなっていた。


 この焦燥感はいったいなんだろう。まるで入隊する前のような、なにをしていいのか分からなかったあの頃の気持ちによく似ている。もしかしたら自分は人としての大切ななにかをどこかに置いてきてしまったのではないか。


 冷たく鋭い冬の風が、日和の細い身体を震わせていった。

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