年末年始休暇

忘年会

 年も終わりの12月末、もうすぐ学生たちが待ちに待った冬休み、年末年始休暇がやってくる。日々厳しい生活を送る戦士たちに与えられる束の間の休息。しかしすんなり休暇に入れるかというと当然そんなことはなく、その前には厳しい厳しい年末点検が待っている。


 夏期休暇前の点検と同様、知識事項の確認や清掃状況の点検が行われるのだが、今回は学生隊長だけでなく航学群司令も点検官として参加する。より厳しい目で見られることになるので、その点検準備にもいつも以上に気合いが入っていた。


「なんかさー、自衛隊に入ってから掃除ばっかり上手くなってない?」


 群庁舎3階の各区隊教場、ピカール片手に金属部分を磨きながら月音がぼやく。


「あと靴磨きにアイロンがけ、ベッドメイクも追加でよろしく」


「あはは! 言えてますね!」


 すっかり集中力の途切れた夏希がほうきを適当に動かしながら答え、それを聞いた春香が笑った。


 確かに彼女らの言うとおり、航学ここにやって来てから身に付いたことはなにかと問われると、真っ先に身辺整理に関することが思い付く。特に靴磨きに関しては鏡面仕上げと言って、自分の顔が写るまで靴を磨きあげるのだから最早職人の域だ。清掃にしても熟練されたワックスがけやポリッシャーなどの道具の扱い、加えて塵一つ残さない程の徹底ぶりなのだから、このまま清掃会社に就職できるんじゃないかという気さえしてくる。


「いい加減、飛行機に関係する技術も身に付けたいところだよなぁ」


「きっと全て必要なことなんですよ。パイロットになる上で、それがどう関係してくるのかは分からないですけど…」


「必要? 本当に? 飛行機をピカピカに磨く技術とか?」


「あり得ない話じゃないですね、それ」


 声を立てて笑う夏希たち。一応清掃時間中なので、こうやって騒いでいるところを区隊長らに見られると怒られるだろうな、などと日和が考えていると、ちょうどストッパーの冬奈が通りかかった。


「あなたたち、口だけじゃなくて手も動かしなさいよ。今日で掃除は最後なんだからね」


「「はーい」」


 冬奈に言われて大人しくそれぞれの持ち場に散っていく二人。明日はいよいよ年末点検本番であり、今のこの掃除時間は点検直前の仕上げの為に計画されていたものだ。どこかに汚れが残っていないか各人が隅々まで目を光らせ、点検準備を万全な状態に持っていく。建物の中は全て土足禁止となり、一部のトイレや洗濯機などが使用禁止となるほどの徹底ぶりだ。


 点検を乗り越えればすぐに冬休暇。こんな窮屈な生活もあと少しの辛抱だ。かじかむ手を擦りながら日和は懸命に窓を拭く。ガラスクリーナーを吹き付けると、まるでサンタのひげのような泡がモコモコと広がった。そういえばもうすぐクリスマスだ。


「休暇初日がクリスマスかぁ。みんなは何か予定あるの?」


「あ、それなんだけど…」


 何気なく訊いてみると月音がすぐに反応してくれた。


「みんなで鍋会でもしたいねって話してたんだ。最近は全然7区で集まってないし、ちょうどいい機会かなって」


「店で? それとも下宿?」


「一次会が店、二次会が下宿って考えてるけど、どうかな?」


「もちろん行くよ。すぐ実家に帰るってわけでもないし。でも、みんなはどうなの? なんていうか、クリスマスなわけだし…」


 先に予定を入れてたりしないだろうか。例えば彼氏だとか…と訊くのは野暮な気がしたので言葉につまっていると、それに気付いた月音がイタズラっぽく笑った。


「なになに? そういう日和ちゃんはどうなのさ。関先輩に誘われたりしてないの?」


「わっ! ちょっと!」


 月音の一言で近くにいた同期たちの目が一斉に日和に向けられる。ここ最近、妙に日和と関の距離が近いという話は、今では多くの学生に広まっている。実は付き合ってるんじゃないだろうかなんて言い出す者もいたが、これについては関本人がきっぱりと否定することで、事が大きくなる前に鎮静化した。


 とは言え噂そのものはまだ残っているわけで、また話が大きくなるんじゃないかと、関も日和も慎重になっていた。


「あんまり誤解されるようなこと言わないでよ。関先輩とは、本当にそういう仲じゃないんだから…」


「でも悪い気はしないでしょ? 関先輩って、よく見たらけっこうカッコいいし。日和ちゃんがちょっと積極的になれば、すぐ振り向いてくれるかもよ?」


「そりゃいい先輩だとは思うけど、月音、あくまで学生間での恋愛は…」


「禁止でしょ。そんなの分かってるよ。だからこそ逆に燃えるってもんだよね!」


 参ったな、と日和は苦笑いする。この手の話となると月音はやたらテンションが上がってしまう。きっと彼女の頭の中ではどんどん妄想が広がっていることだろう。ややこしい事態になる前に止めてしまいたいが、関が恋心を抱いている相手が巴だという話は日和しか知らない。それを隠した上で、どう月音を誤魔化したものだろうか?


「あのさ、私だって関先輩のことは好きだけど、それは先輩と後輩としてというか…」


 日和が言葉を選んでいると、二人の会話をぶったぎるかのように雑巾が飛んできて、日和の横顔にぶち当たった。十分に水を絞っていなかったのか、ベチンと湿った音が響く。


「痛ったぁ?!」


 驚き、それが飛んできた方向に目を向けると、教場の隅に不機嫌そうな顔をした学生が一人。沢村だ。


「ちょっと! いきなりなに?!」


「馬鹿なこと言ってないで、さっさとそこの掃除を終わらせろ。時間がないんだぞ」


 それだけ言い残すと沢村は教場を出ていった。彼が不機嫌なのはいつものことだが、それにしても今日は特別虫の居所が悪そうだった。


 お喋りしてたのは確かだが、雑巾を投げつける程怒ることだろうか。首をかしげながら、日和はハンカチで顔を拭く。


「…嫉妬してんじゃない?」


「はぁ?」


 なにそれ、と日和は訊き返すが、それ以上月音はなにも言わなかった。手に握る雑巾が水を滴らせて冷たかった。





 念入りに準備しただけあり、年末点検については無事に「可」という評価を貰うことができた。不合格である「不可」の一歩手前、ギリギリ合格という不甲斐ない結果だが、合格は合格だ。この後は学生も基幹隊員も全員が年末年始休暇に入り、次に顔を合わせるのは年が明けてからとなる。


 すぐに故郷へ帰って行く者、下宿等で一晩過ごす者など様々だが、日和たちは車塚の街にあるもつ鍋で有名な店に集まっていた。今日はここで仲良く鍋を囲み、7区隊の忘年会というわけだ。


「あのさぁ…」


 全員が席に付き、乾杯用の飲み物が運ばれてくる中、月音が不機嫌そうに頬を膨らませた。本当はアルコールを入れたい気分だが、あくまで彼女たちは未成年。助教ら基幹隊員と防府の街で鉢合わせる可能性もないわけではない。


「どした、月ちゃん? 酒なら下宿に帰ってからの二次会で呑もうって話じゃん」


「いや、そーじゃなくて!」


 月音は声を荒げて立ち上がり、テーブルの一角にいる少女を指差した。本来6人であるはずの7区隊に加えてもう一人の参加者、海自航学の奏星かほだ。


「なんで奏星ちゃんがいるのさ?!」


「私が呼んだんだよ」


 即答したのは日和だ。奏星の連絡先を知っているのは月音の他に彼女しかいない。


「帰りの新幹線も同じだし、それなら忘年会も一緒にどうかなって」


「いいじゃない、菊池学生。私たちとしても、海自の人と関わりを持てるのは嬉しいことよ」


 冬奈の言葉に頷く他の面々。彼女たちにも海自航学に対番の同期がいるのだが、殆ど連絡を取らず疎遠になっており、頻繁に話しているのは日和くらいだった。


「そうなんだけどさぁ…」


 月音が苦虫を噛み潰したような顔を奏星に向けると、彼女はいたずらっぽくニヤリと笑った。


「そんな顔しないでよー。日和の友達は私の友達。私だってみんなと仲良くしたいんだから」


 そう言って奏星は日和を抱き寄せた。まるで恋人同士かと思えるくらいに距離が近く、日和のほうも満更でもない様子なので月音としてはあまり面白くない。


「ちょっと奏星、まだお酒飲んでないよね?」


「入れてないよー。でも、もしかしたら日和に酔ってるのかもしれないね?」


「バカ言わないでよ…」


 聞いてるこっちが恥ずかしくなるような台詞を平気で口にし、日和はちょっと困った顔をしながらも照れて笑う。


 一体いつの間にこの二人はここまで仲良くなったのだろうか。それとも奏星のアタックが強いだけなのか。きっと自分が奏星と同じことをしても、日和は子供扱いするだけで軽く流されてしまうだろう。それがなんの差なのか分からないが、いずれにせよ月音は彼女が不思議で羨ましかった。


「…嫉妬してるの?」


「う、うっさい!」


 隣にいた秋葉の一言が鋭く刺さる。こういう所で自分を隠せないのが子供っぽいと言われる原因なのだろうか。


 なにも言えなくなった月音は大人しく席に着き、やや不満気にジュースを一口飲んだ。





 日和から忘年会の誘いがあった時、奏星は二つ返事でそれに応じた。空自航学の面々は知らない人ばかりで気を使いそうだが、これを機に仲良くなればいい。なにより日和とは夏期休暇以来一度も会っていないので、こうして一緒に食事ができるというのは嬉しい話だった。


 だというのにその日和はさっきから口数が少なく、なにを考えているのか、上の空になることが多かった。冬奈たち空自航学の面々は皆いい人ばかりで、話も弾んで退屈することはなかったが、やはり日和と話さないのではどこか物足りない。


「ねぇ~、日和ってば」


「ん? ああ、ごめん。なんだっけ?」


「なんだっけじゃないよ。元気ないじゃん。どうかしたの?」


「そうかな…そんなことないと思うけど」


 そう答えつつも日和の持つコップの中身は一向に減っていないし、箸も動いていない。なにか悩んでいるように見えるのだが、かといって以前のような悲壮感もないので、ますます奏星は不思議だった。


「ねっ、月音」


「んー?」


 こういう時は彼女と仲の良い同期に訊いてみるに限る。どうも月音は自分のことを敵視(ライバル視?)しているみたいなのだが、そんなことを気にする奏星ではない。


「私の日和が悩んでるっぽいんだけど、なにかあったの?」


「いや、私の日和ちゃんなんだけど?」


「誰のでもないよ…」


 二人にツッコミを入れる日和だが、そんなこと聞いちゃいない。


「まあ、日和ちゃんは最近モテ期だからね~」


「ほほう?」


「ちょっと月音!」


 止めに入ろうとする日和を奏星は手で制する。なにやら面白そうな話が聞けそうだと興味津々だ。


「ドリルの先輩だったり、同期だったり、もしかしたら私の知らないところで告白とかされてるかもね?」


「されてないって! そもそも関先輩はっ…」


 なにか言いかけて口をつぐむ日和。言えないこと、隠していることでもあるのだろうか。さすがにそれを詮索するのはデリカシーに欠ける気がした。


 ふと月音と目が合い、互いに頷く。これは慎重にいかないと、逆に彼女を傷付けてしまいかねないと二人は直感していた。


「ねぇ日和ちゃん、私としては半分冗談のつもりだったんだけどさ…」


「もしかして、割と本気で恋してる?」


「ち、ちがっ!」


 不自然なくらいに慌てる日和。当たりを引いただろうか。


「そうじゃなくて…なんて言うかな…」


 いつの間にか春香たち外野の目も彼女に向けられており、それがますます日和の顔を赤くさせた。


「分からないんだ。人を好きになるってどういう感覚なのか…大切だって思える人は沢山いるけど、それが恋なのかって言われると違うと思うし…」


「あー、そういう…」


 その場の全員がポカンと口を開けた。呆れているような、そんな表情。


「…相変わらず真面目だね、日和って」


「ある意味恋の病ですよねぇ」


「モテる奴に限ってこうだよな。草食系っていうの?」


「まぁ、気持ちは分からないでもないかしらね」


 大きくため息を吐く4人。興味を失ったのか、再び鍋をつつき出す。しかし奏星と月音だけはしっかりと彼女の悩みに付き合ってあげることにした。


「なんだろうね?私も恋愛経験は少ないから、これだっていう答えは出せないけど」


「例えば日和が、いつも目で追ってしまってる人。いつの間にか思い浮かべている人。そういう無意識のうちに意識しちゃってる人を「好き」っていうんじゃない?」


「ううん…そんな人はいないかなぁ」


 なんだ、と拍子抜けする二人。ひょっとするとそれは安堵だったのかもしれない。


「ねえ、二人は、恋をしたら人って強くなれると思う?」


「強くっていうのがよく分からないけど、なにかの力にはなるとは思ってるよ。着隊したての時、私は日和ちゃんに言ったよね? 夢や目標以外にも、心の支えになるものはあったほうがいいって」


「頑張る理由が増えるってことだよ。自分のためだけじゃない、誰かのために頑張ることができる。それを強さと呼ぶのなら、恋は人を強くするのかもしれない。まっ、私にとってはそれが日和なんだけど?」


「冗談やめてよ」


 困ったように笑う日和。ようやく彼女に笑顔が戻ってきた気がして、奏星も嬉しかった。冗談として受け流されたのは少しだけ辛いものがあったが…


「焦らないでいいんだよ。日和は真面目だから、すぐ真剣に考えちゃうけどさ」


彼女の手元にある皿を取り、もつ鍋をよそってあげる。今まで手を着けていなかった分、少し多めだ。


「忘年会だよ。難しいことは忘れちゃえ!」


「そっか。うん、そうだね」


 いただきます、と言って日和はご飯を頬張る。元気を取り戻したその様子が愛おしくて、いつまでも眺めていたいくらいだったが、しかしそうも言っていられない。奏星は目を鋭くさせ、月音に手招きして隣に座らせた。


「分かってるだろうけど、日和に変な虫が付かないようにちゃんと見張っててよ?」


「言われなくても。取り敢えず奏星ちゃんは日和ちゃんから距離をとってくれるかな?」


「お? 言うねぇ…」


 バチバチと二人は目で火花を散らす。恋のライバルではないが、日和にとって一番のパートナーという座はどちらも譲る気はない。


 奏星には「所属が海自で、普段会えない」というハンデはあるが、月音にだって「子供扱いされがち」というハンデがある。戦う条件は二人とも一緒。だとすれば負けるつもりは毛頭なかった。





「日和さん、愛されてますねぇ」


「面倒なことにならなきゃいいけどね…」


 炎のようなオーラを放つ月音と奏星を眺めつつ、秋葉は空になったコップを隅に寄せ、店員の呼ぶボタンを押した。


 彼女たちの忘年会はまだまだ続く。

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