ドリル練習

 先日行われた球技大会では、見事4区隊が勝利を納めた。日和にとっては航学にやって来てから初めての勝利であり、市内の焼肉屋で行われた祝勝会も、区隊長ら含めて大いに盛り上がった。


 この大会が終わってしまえばあとは年末年始休暇にむけてまっしぐらだ。とくに大きな行事は予定されておらず、比較的平和な日々を学生たちは送る。とは言え、決して楽な生活ではないのは勿論なのだが。


「あ、白手(白手袋)忘れた!」


「しっかりしなさいよ。ここで待ってるから、取りに行きなさい」


 隊舎の舎側まで来て、忘れ物を取りに戻る日和。いつもならこれから航友会の時間なのだが、ここ最近は先任期と後任期によるドリルの練習が行われている。


 ファンシードリル。航学に代々継承される伝統の一つだ。日和たち71期の入隊式や各基地で行われる航空祭など、先任期たちはあちこちでドリル支援を行ってきた。しかしそれも先日行われた春日基地祭におけるドリル支援で最後となり、これからは後輩たちへ技術を継承させる時間となる。


 部屋に戻り、白手をポケットに突っ込む日和。片方の手には銃剣道訓練で使ったものとは異なる、短めの木銃が握られていた。ファンシードリルでは、64式小銃をまるで手足の如く自由自在に操り、クルクルと回したりする演技が多く存在する。しかしその練習には毎回実銃が使われるわけではなく、ほとんどはこの木でできた模造銃を使って行われる。


 もう忘れ物はないかか確認して部屋を出る。舎側で冬奈と合流し、練習場である群朝礼場に向かうと、既に多くの学生が集まっていた。


「今日は全体での集合はないからな! ブラバン要員は直接練習場に向かうこと。ドリル要員はここで整列して待機」


 4区隊の奥村が後任期全体の統制をとる。ファンシードリルではブラスバンドによる音楽の演奏も行われるのだが、こちらも学生自らブラバン隊を編成するのが伝統だ。ブラバン担当となった学生はドリルに参加することはなく、楽器演奏技術の習得に努めることとなる。参加する学生のほとんどが音楽関係の経験を持たない者なので、伝統技術の継承には多大な労力を必要とする。


 日和が選ばれたのはドリル要員…なのだが、普通女性の学生はドリル要員に選ばれることはない。というのも、ファンシードリルの魅力はその統一性にある。30人以上もの学生が寸分も狂いもなく同じ動作を行い、一斉に銃をクルクルと回すのだ。がたいの良い男たちが並ぶ中、一回り小柄な女子学生が混ざっていたら、どうしてもそこが目立ってしまう。まさに紅一点というわけだ。


 以上の理由から、長い間女子学生はドリル要員として選ばれてこなかった。しかし今の航学制度では女性への門が大きく開かれてている。今後女性の航空学生が増えてくることを考えると、従来のやり方では時代遅れなのではないかというのが現学生隊長の考えだ。


 そういうわけで、71期からは女子学生もドリルに参加することとなった。選ばれたのは日和を初めとして、冬奈、夏希の3人。月音や秋葉はあまりに小柄過ぎるという理由から、春香は吹奏楽の経験があるという理由からブラバン要員に回された。



 後任期たちが集合してから間もなく、指導にあたる先任期たちがやって来て練習が始まった。最初のうちはただ手足を揃えて歩くだけ。しかしこれが一番難しい。普段通りただ歩けばいいというものではなく、全員が全く同じ歩幅、同じ歩調で歩かないと隊列は簡単に崩れる。さらに手を振る角度、姿勢、銃の持ち方等々、あらゆる動作を綺麗に揃えなければならない。


「樫村、腕振り過ぎだ。5度下ろせ」


「3列目…太田か。銃口がぶれてるぞ。3cm引き寄せろ」


 周りを囲むようにして立つ先任期たちから、次々と厳しい指摘を受ける。僅か数cmのずれであっても、ドリル演技中ではそれが目立ってしまう。変な癖がついてしまう前に、徹底的に矯正することが、初期の練習では大切だ。


 全体練習が終われば、続いて各個人での練習が行われる。


 航空祭などで実際にドリルを披露するのは36人だけで、その他の学生は所謂補欠扱いになる。この36人にそれぞれのポジションがあり、各人が決められた通りに動くことで、息を飲むような華麗な演技ができるわけだ。


 日和たち3人は全員が同じポジション。つまり実際に人前でドリルをすることができるのはこの中で一人だけとなる。たとえ同期といえどもそこは競争だ。当然、一番出来の良い者が選ばれる。


「ドリルって言っても基本的には教練と同じなんだ。メリハリのある動き、静と動、これを常に意識しな」


「はい!」


 1区隊の先輩、せきが日和にマンツーマンで指導する。航友会では同じ野球部に所属し、対番区隊ということもあって、日和としては馴染みのある先輩だ。


 ドリルの練習ではこのように、個人ごと責任を持って面倒を見るドリル対番(通称ドリ対)が存在する。ちょうど日和とともえのような関係だ。


「絶対に動作を流さないこと。中途半端な動きが一番目立つからね。ポジションごとの動きなんて覚えて当然なんだから、都築とか陣内とかに差を付けるんだとしたらこういう部分しかないよ」


「は、はい!」


 と、言ってるそばから日和は手元を狂わせ、木銃を地面に落とした。カラカラと乾いた音が虚しく響く。長い時間練習している為、集中力も切れてきたようだ。


「ちょっと休もうか。木銃貸してごらん。あまり上手くはないけど、手本を見せてあげるよ」


 関は日和から木銃を受けとると、クルクルと回したり、近くを軽く歩いたりを繰り返した。上手くないなんて言っていたが、日和から見れば完璧という他ない。メリハリのある綺麗な動作に思わずため息が出てしまう。


「今は木銃だからいいけど、実際にはロクヨン(64式小銃)を扱うわけだから、これくらいは軽くこなしておかないとキツいかな。コツとかは色々教えてやるから、頑張れ」


 再び日和に木銃を渡す。


「どう? 手応えの程は」


「正直…まだ分からないです」


 だよなぁ、と関はうつ向いて頭をかく。すぐ近くでは冬奈が同じように練習しているのだが、これがなかなか様になっていた。


「パッと見た感じ、都築あいつのほうがセンスはあるよなー。身長とか考えると陣内のほうが男子に混ざっても違和感ないし、坂井がレギュラーになるのは難しいかもしれないよ」


 どう? と関は再び顔を上げた。どうやら口癖らしい。


「ドリル、やりたい?」


「はい。それは勿論」


 普段外の目に晒されることのない航空学生にとって、航空祭などで行われるファンシードリルは晴れ舞台だ。レギュラーとして参加したいに決まっている。


「うん。坂井がそういうつもりなら、僕としても助かる」


 助かる…とはどういうことだろうか。日和が訊こうとすると、ちょうど練習時間が終了となり、全員に集合がかけられた。この後は軽く反省会や今後の方針などについて話し合い、解散となる。


 またなと言って別れる関の背中を、日和は少し不思議そうに見つめていた。





 授業合間の休み時間、暖かいものが欲しいなと思った日和は、ふらりと群庁舎裏の自販機に立ち寄った。ここ最近、日に日に寒さが増している。汗をあまりかかないという点ではありがたい季節だが、手袋やマフラーといった防寒具を身につけることができないこの航学生活としては、なかなか厳しい季節になりつつある。


 外のものとは少し低い値段設定の自販機。冷たい飲み物は少なくなり、暖かいコーヒーなどが目立つようになった。高校生の頃は飲めなかったブラックコーヒーのボタンを押し、やや熱くなった缶を振って暖をとる。


「やっ! 日和ちゃんも休憩?」


 ちょうど蓋を開けようした時、月音が自販機コーナーにやって来た。


「眠いからコーヒーでも飲もうかなって。月音は?」


「区隊長のとこ行った帰り。来週には当直だから、要望事項を訊いとかないと」


「あー、私ももうすぐ期直だったなぁ。訊きに行かなきゃ」


 面倒だね、とぼやきながら月音もコーヒーを購入する。日和とは違い、ミルクが多めに入った甘いタイプだ。


「今日もドリル練習だよね。ブラバンのほうは楽しくやってるけど、日和ちゃんはどう? やっぱり難しい?」


「上手くできてるのかな…ドリ対が関先輩なんだけど」


「あー、あの人かぁ」


 せき幸人ゆきと。屈強な男たちばかりが揃う航学の中で、すらりとしたシルエットが印象的な先輩。運動も勉強も目立つほど優秀というわけではなく、しばしば列中に埋もれがちになる。一人称が「僕」で物腰柔らかい話し方。一言でいえば「優男」というイメージを日和は持っていた。


「いまいちなにを考えてるのか分かりづらいよね。そんな喋るような人でもないし」


「優しく教えてくれるよ。私が冬奈たちに負けないように、真剣に指導してくれるし。けど…」


 どうしてそこまで真剣になってくれるのか、どうも日和は理解できなかった。勿論、いい加減に教えてくれるわけではないので、日和にとっては非常にありがたい話だ。ただ関の人柄からして、後輩育成やドリルに拘りがあるようには見えない。ほどほどに教育すればいいのに、と言ってしまえば失礼だが、そこまで日和に優しく指導してくれるのには、何か特別な理由があるんだろうかと考えてしまう。


「そんなに気にすることでもないんじゃない? どんな理由にしろ、日和ちゃんには嬉しい話じゃん」


「うぅん、そうなんだけど…」


 と、そこへ数人の先輩たちが自販機コーナーへやって来た。中には関の姿もあり、これ以上この話をするわけにもいかないので、二人はさっさとコーヒーを飲み終える。


「お疲れ様です」


「やぁ、坂井か。もう休憩は終わり?」


「はい、お先に失礼します」


 他の先輩たちにも頭を下げつつ、日和たちはその場を立ち去ろうとする。先任期の集団の中にいると、気を使って休憩した気分になれない。


「あ、坂井!」


「はい?」


 関に呼び止められ、日和は立ち止まって振り向く。


「この土日、予定はあるかな?」


「いいえ。特には…」


「そうか。それなら少し付き合ってくれないか? 午前中だけドリルの練習をしようと思うんだけど、どう?」


「は、はい。分かりました」


 再び関に頭を下げてから、月音と一緒に教場へ戻る。特に急いでいるわけではないのだが、まるで逃げるように群庁舎の階段を駆け上がった。


 平日の練習だけでなく、休日も使ってドリルの自主練。他の学生とは、まるで気合いの入れようが違う。一体なにが彼をそこまで突き動かすのか、日和には全く分からなかった。


「ねえ、もしかしてだけどさ…」


「うん?」


 それぞれの教場に別れる時、月音が日和を引き留めた。いつもはっきりと話す彼女にしては珍しく言葉を慎重に選んでいるみたいで、目があちこちに泳いだり、手元も落ち着きがない。


「関先輩さ、日和ちゃんのことが好きなんじゃないかなって…」


「…えっ?」


「いや、ごめん! 変なこと言っちゃった。忘れていいから!」


 それだけ言い残して、ぱたぱたと小走りで去っていく月音。彼女の言葉がいまいち頭に入ってこず、呆けたように日和は廊下に立ち尽くす。


 対番区隊で、同じ野球部に所属はしていたが、これまであまり話したことのなかった関。あまり印象にも残らず、ドリルがなければまともに接することのないまま別れるはずだった、そんな先輩だ。


「好きって…それって」


 後輩としてでも、ただの人としてでもなく、一人の異性として。坂井学生としてではなく、坂井日和という女性として、恋愛の対象として見られているということ。


 そんなはずはないと思いつつも、もし月音の言うとおりだとすると、彼が自分にここまで優しく接してくれるのも合点がいく気がした。


「まさか、ね」


 思い上がりだろう、と日和は頭を振って忘れる。自分はそんなに大した人間じゃない。もっと魅力的な人は周りに沢山いるし、少なくとも関のような関わりの少ない人に好意を抱かれるほど、女性として秀でた魅力は持っていないはずだ。


 やっぱり気にするのはやめよう。どんな理由があるにせよ、優しく指導してくれる分には、自分が損をすることはないのだから。


 気合いを入れるように頬をパチンと叩き、日和は自分の教場に戻っていった。コーヒーを飲んだせいなのか、やけに胸が熱くなっていた。

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