戦士の素質

「第1班突撃準備完了!」


「第2班突撃準備完了…分隊長は?!」


「まだAP(突撃発起位置)に到達していない! もう少し待て!」


 分隊員がそれぞれ最前線に待機する中、春香は未だにその後方を匍匐前進で進んでいた。


 またか! という誰かの苛立ちが聞こえる。分隊長の準備がてきない限り、その指示を待つ分隊員はただ待機することしかできない。その時間が長ければ長いほど、分隊員は敵の攻撃にさらされることとなる。もちろん、実際に銃弾が飛んできているわけではないが。


「桜庭の奴、大丈夫か?」


「頭下げてろ樫村、助教たち見てるぞ」


 春香の様子を見ようと動いた樫村を、すかさず沢村が止める。とにかく今は地面に伏せて、彼女の到着を待つしかない。


「分隊長が一番最後でどうすんだぁ! この間にお前の部下はみんな死んじまうぞ!」


 必死に前へと進む春香に怒鳴り声を浴びせる区隊長たち。同時に助教らが辺りに爆竹を投げ込み、大きな破裂音と火薬の匂いがグラウンドを戦場へと変える。


 やっとの思いで皆が待つ前線へたどり着いた春香は既に満身創痍だが、それでもまだ訓練ほ終わっていない。


「だ、第3分隊!」


「その前に着剣せんか、分隊長」


 真横で見張る助教に指摘され、慌てて銃剣を抜く。これを銃の先に取り付けなければ突撃準備は完了しないのだが、手が震えてなかなか上手く付けれない。


「AP到着までに準備を完了しろって命令したのは分隊長だろ? 分隊員にやらせてることを分隊長のお前が忘れんな」


「は、はい!」


「着剣したら弾倉交換、安全装置も解除しろよ。急げ急げ」


 急かされつつ、ようやく春香は準備を終えた。分隊長は、横一線に展開した分隊の中央に位置しており、左右にいるそれぞれの班から準備良しとの報告を受ける。そうしたら突撃命令の発信だ。


「第3分隊、突撃に! 進め!」


 立ち上がり、連射で射撃を加える分隊員たち。続けて「突っ込め」の合図で雄叫びを上げながら敵陣地に向けて走っていく。


「最低だな…」


 敵兵として用意された人形をぎこちない動作で突き刺す春香、そしてそんな彼女に指揮された分隊を眺めて、森脇5区隊長は唸るように呟いた。





 もう無理だ、と最初に言い出したのは樫村だった。訓練合間の休憩時間、春香率いる第3分隊で反省会を行っている時のことだった。


 とてもじゃないが、春香に分隊長は勤まらない。自分のことすら儘ならないのに、この上分隊を指揮するなんて、いたずらに彼女の負担を増やしているだけだと彼は主張した。


「沢村、お前が区隊長にかけあって来いよ。分隊長を変えてもいいですかって」


 春香にこの重荷を背負わせた張本人である沢村を、樫村は恨めしそうに睨む。だがそんなことで動じる沢村ではない。


「じゃあ代わりは誰がやるんだ? 言っとくが俺はやらないぞ」


「誰だっていいだろ! とにかく、指揮官動作なんて桜庭には荷が重すぎる!」


 まるで庇うように、樫村はうつむく春香の前に立った。


「なんなら俺がやったっていい! そっちのが分隊のためになるし、俺たちも余計な心配をしなくていいだろ?!」


「そうだ。そこは俺だって同じ考えだ。優秀な奴が分隊長になれば分隊員の負担も軽くなるし、そのほうが俺も面倒が少なくて助かる」


「だったら今すぐ…!」


「けど、それが本当に桜庭のためになるかどうかは別問題だと思うぞ」


 自分の名前があがり、びくりと春香は肩を震わせた。


「こいつを俺たち列中に埋もれさせて、区隊長たちの目から隠すのは簡単だ。上手く立ち回れば、一回も引き金を引くことなく訓練を終わらせることだってできるだろうよ」


「いけないのかよ? そのほうが桜庭の負担は…」


「そんなこと、いつまで続けるつもりなんだ? この訓練が終わっても、来年にはまた戦闘訓練とか、射撃訓練とかやるんだぞ? これからの自衛隊生活、ずっと誤魔化して生きていくつもりか?」


「それは…でも、今は取り敢えず…」


 口ごもる樫村。そんな彼に追い討ちをかけるが如く、他の学生が口を開いた。


「悪い、樫村。今回ばかりは俺も沢村の意見に賛成だわ」


 少し申し訳なさそうに言う倉田、そしてそれに同調するように頷くのが数名。


「お前のその桜庭を庇おうとする癖、そろそろやめたほうがいいぞ。助け合いは同期の務めだけど、なんでもかんでも重荷を背負ってあげるのは、桜庭自身のためにならないよ」


 樫村が春香に好意を抱いていることは、5区隊では既に周知の事実だ。彼女が困っていたり失敗したりすると、いつも樫村が飛んできてフォローに入っていた。その露骨さにいい加減嫌気が指してきた者も、倉田を初めとして何人かいる。


「だから、俺は別に桜庭のことは…」


「そんなの知ったことか!」


 突如、声を荒げる沢村。樫村を押し退け、つかつかと春香に歩み寄って彼女の胸ぐらを掴んだ。


「桜庭、お前が分隊長をやれ。下手に逃げ道なんか作るから気迷うんだ。お前がちゃんと戦うっていうんなら、お前の指揮がどんなに下手くそでも、俺は絶対に文句は言わないって約束してやる」


 乱暴に春香を突き放し、その場を立ち去る沢村。それが合図だったかのように、樫村を除く同期たちはそれぞれの戦闘準備を始めた。


「沢村…さん?」


 今の言葉は一体誰のためのものだったのだろう。殆ど光を失っていた彼女の目は、じっと沢村の背中を追っていた。





 グラウンドから遠く離れた基地体育館。そこから響き渡る学生たちの大声。連日戦闘訓練が行われている中、その合間を縫うように別の訓練が行われていた。


 胴や小手、面などの防具を着けたその姿は、さながら剣道のそれと殆ど同じだ。しかし左肩にも防具を着けたり、持っている武器が長い木の棒だったりと、細部で剣道とは異なる。


 銃剣道。フランスから伝わった銃剣術を日本式に改良し、近代スポーツとして成立したもの。銃の形をした160cm強の木の棒で、相手の胸や喉を突くという競技だ。あまり世間には知られていない武道だが、自衛隊においては、駆け足訓練に並んで重要視されている訓練だ。学生たちはこの訓練を通じて気力や体力、闘争心などを養う。


 部外から審査員を招いての昇段審査も行っており、後任期に初段、先任期に2段を取得するのが一応の教育目標だが、区隊対抗の競技会に向けた試合の練習も行う。


「始め!」


「やあぁぁぁ!」


 開始の合図とほぼ同時に、日和は木銃を突き出して前へと蹴りだす。実戦形式の試合稽古。ただしあくまで練習なので、どちらかが一本とったからといって終了することはなく、決められた時間の間ひたすら戦い続ける。


 今の日和を相手するのは秋葉。航友会活動で剣道をしているだけあって、足の運びが日和とはまるで違う。


「たぁぁぁ!」


 高く、よく通る秋葉の声。同時に剣先が日和の左胸を突き、ものの見事に一本とられる。それに怯んでしまうと、立て続けにもう一本、二本ととられてしまい、実力の違いをこれでもかというほど痛感させられた。


「やめー!」


「っくはぁぁ!」


 大きく息を吐く日和。僅かに一分程度の試合稽古だったが、一体何本とられたのかわからない。


「さすが秋葉だね。全然敵わないや」


「だよねぇ。しかも剣道の有段者でしょ?強いわけだよ」


 通りがかった月音もパチパチと胴を叩いて拍手する。


「…銃剣道は、私も初心者だよ」


「それでも、基礎ができていない私たちとは全然違うよ。凄いね、秋葉」


 誉められても秋葉はクスリともしない。いつも通りの彼女だ。


 小休止を告げられ、日和たちは防具を外した。蒸された頭がようやく開放され、外の空気が心地いい。


「それにしても、結構秋葉って負けず嫌いなんだね」


「…そう思う?」


「試合で戦ってみると特にね。武道訓練は闘争心を育てるって区隊長が言ってたけど、本当にその通りだなぁって」


「闘争心、ね。どうかな」


 負けず嫌いではあるけれど、と秋葉は返す。幼い頃から剣道を通じて戦いを学んできた彼女にとって、闘争心や覇気といったものはさほど重要ではないらしい。


「日和、今の春香に足りないものってなんだと思う?」


「春香に?」


 誰とも話さず、一人静かに休憩する彼女に目を向ける。射撃訓練のあの日を境に、彼女はすっかり元気をなくしてしまった。戦闘訓練や銃剣道訓練の時は言うまでもなく、座学の時間や日常生活に至るまで、色々な場面で彼女は笑わなくなった。いつでも心ここにあらずといった様子で、物事に集中できていないのは誰の目から見ても明らかだった。


「迷ってるんだろうね」


 自分は自衛官に向いているのか、本当にここに居ていいのか、きっと今まで考えたこともなかっただろう。それが最近になって本格的な戦闘訓練が始まり、理想と現実のギャップが彼女の心を揺さぶっているのだ。


「春香は優しいから。戦訓(戦闘訓練)といい銃剣道といい 、性格的にあまり向いてないのかな」


「…私は、そうは思わない」


「ん?」


「例えば日和は…銃を撃つ時に、誰かを殺したいと思いながら引き金を引いた?」


 そんなわけない、と日和はすぐに否定する。むしろなにも考えずに撃っているくらいだ。


「私もそう。戦訓の時も剣道の時も、誰かを傷付けたいと思ってやってる訳じゃない。どっちかというと、自分自身に勝ちたいっていう感覚で、そこに闘争心なんて必要ないんだ」


 本物の戦争は分からないけど、と一応秋葉は付け加える。


「向いてるとか向いてないとか、それは誰にも分からない。そんなの、みんな同じなんだと思う。だとすれば、春香を悩ませるものって一体なんだろう? どうすれば春香は、迷わずに戦うことができると思う?」


「それは…」


 日和はなにも答えられない。けれど秋葉の言いたいことは分かった。


 闘争心や覇気のない人、優し過ぎる人は自衛官には向いてないのかというと、決してそんなことはない。戦闘員となるために「素質」なんて関係ない。今の春香を悩ませるもの、戦うことに戸惑いを与える原因は、きっとそこにはないのだと秋葉は言っていた。


 だったら一体なにが…春香を…


「三回…」


「え?」


「春香が助けを求める声を、私は三回も見逃した」


 銃の分解結合を練習している時、空包射撃の時、銃前哨をしながら空を見上げていた時。助けて欲しいというサインを、確かに春香は出していたのに、秋葉はそれに応えることができなかった。


 同じ区隊で、一番近くで彼女のことを見てきたはずなのに、肝心なところで助けることができない。そんな不甲斐なさを感じているのか、秋葉もどこか辛そうな様子だ。


「私はこんなだから、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。でも日和なら、日和は私と違うって思ってる…」


「秋葉…?」


 休憩時間が終わりに近付き、秋葉はてきぱきと防具を身に付け始めた。


「今週末の外出、春香と一緒に下宿に泊まる予定で、日和がよければ…」


「分かった、いいよ。私も特外とくがいの申請を上げておく」


 一度ゆっくり話し合う時間が春香には必要だ。自分に一体なにができるのか日和には分からなかったが、なにもしないでいるよりは遥かにましだ。


「次は昇段審査に向けて型の練習をするからな! 今のうちによくイメージトレーニングをしとけよ!」


 助教の声に学生たちは元気よく答える。気持ちを切り替えていかないと、と日和は面をかぶり、紐をきつく縛った。

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