地上戦闘訓練
自衛隊に入ると決めた時、それを喜んでくれる人は誰もいなかった。お前には無理だと否定こそされなかったが、家族も友人も、みんなが自分のことを心配してくれた。
曰く、自分は優しすぎるらしい。
転勤族の父親につれ回され、小さい頃から全国を転々とする生活を送っていた。新しい土地に移る度に人間関係はリセットされ、そこで身に付いたのは「短い時間で他人と仲良くなる術」だった。言ってしまえば、人に嫌われないような立ち振舞いだ。
誰にでも優しく、自分の主張は控えめで、人の話はよく聞くこと。ぶつかりそうになったら折れること、すぐに謝ること、丁寧に喋ること。幸い外見は悪いほうではなかったみたいで、どこに行ってもみんな自分に構ってくれた。時々同性に冷たい目を向けられることもあったが、そんな子ともすぐに仲良くなれた。
そうやって、一体どれだけの自分を殺してきたのだろうか。
友達が欲しくて、その土地の言葉で喋ろうとしているうちに、色々な方言が混ざってしまってまともに話せなくなった。だからいつの間にか、敬語で話すのが一番楽だしどこにも敵を作らないと学び、中学の途中くらいから敬語だけで喋るようになった。言葉まで他人に合わせてしまって、本当の自分はどこにいるのだか分からなくなってくる。
そんな時、憧れたのが空の世界だった。
なににも縛られず、広い空間を自由に飛び回る飛行機。英語という共通の言語でやり取りし、誰もが平等な立場になれる。全国を転々として生きてきた今、自分の居場所はもはや地上にはないとすら思えた。
高校卒業後、最も早くパイロットになることができる自衛隊の航空学生制度。お金もかからず、家族の負担にもならない、まさに理想的な道。しかしこの道を進むと決めた時、ある友達からこんなことを言われたことがある。
「お前、人殺せるんかよ?」
自衛隊。世間から遠く離れた特殊な組織。その時が来たら、真っ先に最前線に向かわなければならない。そんなところで生きていけるのかと、その友達は言っていた。
「なに言ってるんですか。私、パイロットになるんですよ? 銃で人を撃つだけが、自衛隊の任務じゃないんですから」
そう言って航空学生になった。
ところがどうだろう。飛行機を飛ばす勉強だけして、そのことだけ考えていればいいと思っていた生活。いざ始まってみると、T-7は地上から遠く見上げるだけの存在に過ぎず、戦闘機や輸送機などは姿も見えない日々。かと思えば銃を手にとり、人の殺しかたを覚えさせられる。
こんなはずじゃなかったなんて言いたくないが、理想と現実が思った以上に離れていたというのは事実だ。本当に自分はここでやっていけるのか。今になって迷いが心をかき乱していた。
「いいか、作業の途中であっても周囲の警戒を怠るな。敵はいつ、どこからしかけてくるか分からないんだからなー」
助教らの指導を受けつつ、強い日差しが照りつける中で学生たちはひたすらに穴を掘る。
ここは基地の中心地区から少し離れた場所にある演習場。今日はここで陣地の構築訓練だ。この間に射撃の訓練をしたかと思えば、こんどはスコップで穴堀り。後日には外でテントを立てる訓練も予定されている。
まるで陸上自衛官になった気分だと日和は思う。しかしパイロットであろうと地上の整備員であろうと、航空自衛官はそれぞれ基地を防衛するという任務を持っている。航空戦力を主力とする航空自衛隊では陸自や海自と比べて基地への依存度が高く、基地機能が維持できなければ、その自慢の航空機もガラクタ同然となる。基地に侵入した敵地上部隊から航空機や滑走路を守ること。それも航空自衛隊における大きな任務の一つであり、そこに投入される戦力に、パイロットも整備員も関係ない。
「じゃあここで座学の復習をするぞ。菊池、
青木2曹に問われ、月音は一旦手を止める。
「ええと、遮蔽物などで直接体を見えなくするのが掩蔽で、草などを使ってカモフラージュするのが隠蔽です」
「よし。お前たちが今掘っているのは
彼が一工夫加えたことにより、堀り返されて
「一応はこれで完成だ。けどお前らが使う分には少し浅いかもな」
「菊池が入ってみろよ。お前ならちょうどいい大きさだろうよ?」
「誰だぁ! また私をちっさいってバカにした奴はぁ!」
文句を言いつつも月音は穴の中に身を入れる。なるほど確かに、他の学生なら胸から上が露出してしまうが、彼女なら頭一つ出るだけでちょうどいい深さだ。これなら二脚を使っての銃の保持もできるので、長時間の監視任務もできそうだ。
「むうぅ、悔しいけど、この穴は私専用だね」
銃を構え、小動物のようにキョロキョロと周囲を見回す月音。と、そこへ夏希と冬奈がやってくる。
「なんか月ちゃん、こういうの似合うなぁ」
「だよね。ウサギみたい」
「そんな可愛いもんじゃないわ。ゲリラよ、ゲリラ」
「誉めてんの!? 貶してんの!?」
和気あいあいと話す日和たち。そんな彼女たちを、春香は少し離れたところからぼんやりと眺めていた。
最近、あんな風に同期と話していない。とくに冬奈とは射撃訓練の時以降、まともに顔も合わせていない気がした。
どうして自分は、みんなのように割りきれないのだろう。
銃を構える月音を見て思う。別に、彼女たちのことを冷酷だとは思わない。武器の諸元を覚えること、実弾を撃つこと…自分たちがどれだけ世間と離れた場所にいるか、誰もがその現実に戸惑いを覚える。しかしそれも自衛官として必要な知識や技能、これは訓練だからと割り切って、どんどん身につけていくしかない。本当に戦争が起きたらとか、人を殺すかもとか、そんなことを考える余裕なんて航空学生にあるはずないのだ。
けれど春香は立ち止まってしまった。自分が自衛官であるということに、恐怖を抱いてしまった。人より頭が良くて繊細な分、一度悩んでしまうとなかなか立ち上がるのは難しい。自分の気持ちに整理がつかず、勉強にも訓練にも集中できていない日々がここ最近ずっと続いている。
あんた、自衛隊は向いてないと思うけど…
入隊前に母に言われたことを思い出す。あの時は聞き流していたけれど、その通りなのかもしれないと、今になって思う。
もともと、パイロットになりたくてここに来ただけだ。戦闘機に乗りたいとか、そんな夢があったわけじゃない。今なら来た道を引き返して、民間のパイロットを目指すことだってできるかもしれない。
「…また、他のこと考えてるね」
秋葉に声をかけられ、はっと我に返った。
「一応、銃前哨中だから…ある程度集中してたほうがいいと思う」
仲間の銃を守る役目を持つ勤務を
「す、すいません」
すぐに頭を下げる春香に、秋葉は眉をひそめた。最近彼女は謝ってばかりだ。正直、同期の謝罪なんて一番耳にしたくない。どうせ謝るなら言い訳の一つくらい付け加えて欲しいものだと…伝えたところでまた謝るのだろうから、秋葉はなにも言わなかった。
頭の上を数機のT-7が飛んでいき、二人は揃ってそれを見上げる。
「…高いですねぇ」
春香は眩しそうに目を細める。子供の頃よりもそれは確実に近くなっているはずなのに、そこに手を伸ばすには、自分はまだ遠すぎるように感じた。
「…轟さんって、希望機種はなんでしたっけ?」
半ば独り言のように訊いてみる。
「ロクマル」
UH-60J、通称ロクマル。F-2戦闘機と同じ洋上迷彩が特徴的な救難ヘリコプターだ。
「救難機…それも回転翼ですか。かっこいいですよね」
きっと彼女の目にはT-7のその先が見えているんだろう。希望機種を口にするという行為は、実はとても大切なことだ。将来自分はどこにいてどんな活躍をしているのか、その光景が見えているか否かで、今できる努力の幅は大きく変わってくる。
「私は…私には、自分が分からないですよ…」
パイロットどころか、自衛官である自分ですらイメージができない。言い換えるなら、自分を見失っているだろうなと春香は思う。
またも「ごめんなさい」と謝る春香に、秋葉はなにも返せなかった。それが一体なにに対しての、誰に対しての言葉だったのかもわからないまま…
陣地構築や監視要領、
匍匐前進や早駆け、射撃を繰り返して前進、最後は突撃攻撃をかけて敵陣地を制圧するというのが戦闘訓練における一連の流れだ。これをスムーズに行えるようになるまで、学生たちはなんども反復演練を行う。
「こらぁ! 頭下げろ! 撃ち殺されるぞ!」
「しっかり銃を構えんか! そんなんで敵が殺せるかぁ!」
銃を抱えて学生たちは走り、這いつくばり、転げ回る。ビシッとアイロンがけされた戦闘服やピカピカに磨かれた編上靴は瞬く間に泥まみれとなった。
怒号や悲鳴がグラウンドに響き渡る中、春香も夢中で地面に伏せる。大地と友達になれとも言われる匍匐前進。顔に草や泥がつこうがお構い無しだ。
「足バタつかせてんじゃねぇ、おらぁぁ!」
必死の思いで進んでも、助教が足を持って引きずり戻す。体力的に精神的にも磨り減っていき、もう嫌だと叫んでしまいたいくらいだった。
(私は一体なにをやってるんだろう…)
銃剣を付け、敵陣地に向かって走る。こんなことがしたくて航空学生になったんだろうか。家族や友人の言っていた通り、自分は自衛隊には向いてないんじゃないだろうか。
本当は訓練に集中しないといけないのに、そんな考えが春香の頭の中をぐるぐると巡る。きっとその迷いは表情にも出ているんだろうが、それをいちいち指摘する余裕も、同期たちには既になかった。
個人ごとの訓練を終えると、今度は10数名ずつで分隊を組むことになる。仲間同士で協力しながら戦線を突破し、攻撃を成功させるというのが本訓練の最終目標なのだが、この時重要になってくるのが分隊長だ。
分隊長はそのグループのまとめ役。訓練における一連の流れを頭に叩き込み、分隊員に対して的確に指示を出さなければならない、とても大切なポジションだ。できれば現自出身者など、経験者が望ましいのだが、特に区隊長や助教からは指名されない。学生たちの自主性を尊重し、立候補や推薦によって選ばれる。
「うちはどうしようか?」
春香の入った分隊には経験者が一人もいなくて、全員が素人という状態だった。それでも何人かは普段からよくリーダーシップを発揮する者がおり、恐らく彼らが分隊長として選ばれるんだろうなと、分隊の誰もが考えていた。
「倉田、お前やれよ」
「いやいや、こういうのは上野のがいいだろ。お前、サバゲーとか好きだし」
「サバゲーと一緒にすんなよ。あれはあくまでお遊びなんだからさぁ」
自分でなければ誰でもいいと、春香は目線を下げた。そんなことよりも、早くこの時間が終わって欲しい。銃を持つのも走り回るのも、訓練の全てにウンザリしていた。
足元の小石をつま先で小突きつつ、隣の分隊を横目に見る。春香とは別の分隊になってしまった秋葉、せめて彼女と同じだったらと唇を噛んだ。そんな時だ。
「桜庭とかいいんじゃないか?」
「…は?」
その場にいた全員が目を丸くし、その声の主を見る。
「分隊長やりたいって奴、いないんだろ? なら誰がやっても同じだろ」
沢村だった。気だるそうに小銃をぶらつかせながら、それでも眼光だけは鋭く春香を見る。やれるな? という無言の圧力。ただの思い付きで言っているわけではなさそうだ。
「やれよ桜庭。お前、もう現実から逃げれないってことにいい加減気付けよ」
「あ…うぁ…」
どうしてこんな時に…いつものように傍観してくれれば良かったのに、何故…
彼の言葉にその場の空気が凍りつく。その威圧的に圧倒されてか、誰も彼に反論する者はおらず、結局このグループの分隊長は春香が担当することとなった。
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