射撃訓練
陸上自衛隊、山口射場。山口駐屯地から程近い場所にあるそれは、射撃場としては比較的新しい屋内射場で、監的(的への着弾状況を確認すること)も機械で自動化されている。防府北基地は基地内に射撃場を持っておらず、航空学生が検定射撃を行う際にはこの山口射場を借りることになっている。
着弾状況はすぐにデータ化され、射手とコーチの隣に置かれたモニターに表示されるため、クリック修正(照門を動かして調整すること)も正確かつ容易に行えることが何より利点だ。今でも射撃場の施設が古いままの基地は多く、修正の為の弾痕確認は射手とコーチによる双眼鏡での観測。的はベニヤ板に貼られた紙。監的係は手作業で的を変え、紙がもったいないからシールで弾痕をふさいでいくという、なんともアナログな方法をとっている部隊もある。
一昔前は的の下に塹壕が掘られ、そこに監的係が待機していたというのだから、つくづく今の時代で良かったなと日和は思う。いくら当たらないとはいえ、自分の頭上を弾が飛んでいったら、恐怖で気が変になりそうだ。
弾薬係から弾を受領し、射手自ら弾倉に弾を込めていく。この間の空包射撃て使ったものとは違う、弾頭のついた7.62mm実包。実戦においては、こんな太いものが高速で身体に当たるのかと考えると、じわり嫌な汗が首筋を流れた。
射撃係幹部、齊木3尉が9mm拳銃に実弾を込めてホルスターにしまう。彼は常に射撃の中心、射手全員を見渡せる後方に立ち、射撃の指揮をとる。
「これはお前たちを撃つための弾だ」
訓練前、齊木3尉は学生たちにそう告げた。もし誰かが許可なく銃を持ったり、銃口を的以外に向けたりした時、齊木3尉は躊躇なくその学生を撃ち殺す。とんでもない話のように思えるが、誰かが気をおかしくして銃を構えた時、その時には既に弾が発射されていることが殆どだ。だからその兆候がみられた瞬間に撃ち殺す気構えでいないと、他の仲間を守ることはできないのである。
頼むから命令以外の動作をしないでくれ、と齊木3尉は念を押した。射場内を走る、許可なく銃に触れる、それだけでも彼は銃に手を伸ばすだろう。実弾を扱うということがどういうことなのか、日和は改めてその重さを実感した。
「ゼロ点規正3発、右左方用意!」
撃て、の合図で引き金を引く。空包の時とは違う、大きな発砲音と強い衝撃。銃の底の部分、
「撃ち方やめ、修正始め!」
日和と、コーチの月音は隣に置かれたモニターを見る。この3発の着弾状況を見て照門の修正を行い、続いてまた3発。もう一度修正して3発。計9発の練習を行ってから本番である検定射撃が行われる。
「月音、どう?」
「左下に2発集まってるね。あとは1発だけすごく離れてるけど…」
なんでだろうと悩んでいると、そこに助教の青木2曹がやって来た。
「その1発はガク引きってやつだな。引き金を強く引き過ぎて銃身がぶれてるんだ。もっと丁寧に引いてみろ。あとの2発については中心からずれてはいるものの、収束してるから特に問題ない。右と上に3クリックずつ修正してみろ」
青木2曹に言われた通りに修正を行い、また3発程撃ってみる。すると今度は2発が真ん中に収束し、また1発が大きく外れていた。
「おいおい、またガク引きしてんじゃないか。まあでも、修正のほうは必要ないな。集中して、丁寧に撃てばもっと良い成績が残せるはずだ。頑張れよ」
難しいな、と日和は唇を噛む。銃口が僅か1mmでもずれれば、50m先の着弾点は大きく動く。引き金の引きかた、姿勢、呼吸の仕方、他にも様々な要素が影響し、射撃の結果として表れる。
パイロットを目指す上で、小銃の射撃技術なんて本来必要ないかもしれない。しかし日和たちはパイロットである以前に自衛官だ。いざという時に地上での戦闘も行えること。それこそが戦闘操縦者としての務めだろう。
遠いところに来たものだな、と日和は改めて思う。
「検定射5発、右左方用意!」
再び射場に銃声が鳴り響く。耳栓をしていてもそれを貫いてくる音と、硝煙の匂いや熱気が屋内に充満していく。もし戦争になったなら、戦場というのはこういう感じなのだろうか。
撃ち終わった日和は大きく息を吐き、手のひらの汗をやや乱暴に服の袖で拭った。
一通り全ての学生が射撃を終え、その中であまり成績が良くなかった者や、自分の成績に納得いってない者で補射が行われることになった。日和の成績は特に悪いほうではなかった(かといって良いとも言えないが)ので、補射には参加せずにそのまま待機となった。
待機している間、学生たちは交代で射場勤務を行う。といっても弾薬係や射撃係は区隊長ら基幹隊員が実施するので、学生が行うのは射場周りに不審者等がいないか見張る警戒係のみだ。
下番者から護身用の木銃を受け取り、勤務に入る日和。そして一緒に係に付いてくれたのは沢村だった。
「射撃、どうだった?」
別に、と沢村は相変わらず素っ気ない。
「これの成績が良かったところで、自慢にはならないからな」
「そんなことはないでしょ。私は素直に尊敬するよ。射撃に限らず、どんなことでも」
フェンスに沿って射場の周りを歩く二人。そう言えばこうして二人で話すのは久しぶりだなと日和は思う。
「…春香は、どう?」
「桜庭か」
先日行われた空包射撃訓練で一発も撃つことがなかった春香。その後の区隊長との面談で、どうも彼女は銃を撃つことに強い抵抗を持っていることが分かった。
全てのきっかけは銃貸与式に行われた学生隊長による教育で、その時見せられた「撃たれて死んだ人間の写真」が、引き金を引こうとする度に脳裏を過るらしい。そこに人はいないと分かっていても、何故だか指が動かなくなり、体が震えるそうだ。
その気持ちは日和も分からないわけではない。もともと小銃は的に向けるものではなく、生きている人間に向けるのが本来の使い方だ。いくら訓練とは言え、その重たい現実と向き合ってしまうと、どうしても射撃するのを躊躇ってしまうのが人というもの。たとえこの射撃訓練で好成績を残したとしても、その実力が実戦で発揮できるかどうかなんて誰にも分からない。
「そのあたり、春香は繊細だからね…」
「頭が回りすぎるんだ。だから余計なことを考えてしまう」
助教らの教育によってなんとか射撃を行うまでには進んだものの、撃つ瞬間に体が強ばったり、つい目を瞑ってしまったりして、春香の射撃成績は惨憺たるものだった。的に当たっているならまだ良いほうで、殆どの弾は標的を大きく外れ、酷いものだと隣の的に当たることさえあった。今も補射を行っているが、おそらく結果は変わらないだろう。
「向いてないよな、自衛隊」
「っ! ちょっと!」
聞き捨てならない言葉に、日和が声を荒げるが、沢村は冷静だ。
「そりゃそうだろ。射撃訓練だけじゃない、これが終われば次は戦闘訓練が始まるんだぞ? 将来は殺すか殺されるかの世界で飛行機を飛ばすことになる。お前、今の桜庭に自分の背中を預けられるのか?」
なにも言い返せなかった。相変わらず、沢村は正しい。正論を直球で投げる、彼の得意球。
「でも、それでも…」
「同期だから、か? 言っとくがこれはもうそんな次元の話じゃないと思うぞ。実力とかやる気とかじゃない、あいつが生まれ持った性格の問題なんだからな」
「でも、私にもなにか出来ることが!」
「自惚れんなよ。お前、あいつの代わりに銃を撃つのか? あいつの人生を背負って生きて、それで責任取れんのか?」
無理だろ、と言われて日和はうつむき、歩みを止めた。それに気付いた沢村はため息を吐きつつも、一緒に立ち止まってくれる。
「なにも桜庭がパイロットに向いてないとは言わない。ここに来たってだけで、その適性は保証済みだしな。頭もいいから、航空大学校とかに行っても十分通用するだろ」
「そう、だろうけど…」
どうにも納得いかない様子の日和に、沢村は困ったように頭をかく。
「まあ…まだ桜庭が辞めるって決まったわけじゃない。あいつの代わりにはなれなくても、あいつを変えていくことくらいは、俺たちにもなにか出来るだろうな」
無理に背負わなくてもいい。時には支えてあげるくらいでいいと沢村は言う。すると日和は納得いったようで、途端に表情を明るくさせた。きっと彼女が求めていたのは、こういう答えだったんだろう。
「行くぞ。係の仕事はしっかりこなしとかないとな」
「う、うん。そうだね」
二人はまた木銃を抱えて歩きだす。その足取りは少し軽く、先ほどのような迷いはみられない。
(俺は、なんで今こいつのことを無視しなかった?)
隣を歩く日和を横目に、沢村はわずかに表情を曇らせた。
春香がこれからどうなろうが、それを日和がどう思おうが、沢村の知ったことではない。いつも通り切り捨てて、自分のことだけ考えてればいいだけの話。少なくとも今まではずっとそうしてきた。
なのに航学に入ってから、日和と出会ってから、それがだんだん変わりつつある。困っている誰かを放っておくと、後で面倒なことになる。なにかにつけて連帯責任という自衛隊特有の制度が彼を変えているのだろうが、中でも特に日和の迷っている表情は、沢村の心を動かせる特別な力があるようだった。
有り体に言えば、日和がなにかに迷って立ち止まると、それを沢村は放っておけずにはいられないのだ。
(…厄介な奴だな)
足を引っ張る同期のサポートに回ったり、時には代わりに重荷を背負ってあげたり…日和に出会って半年、一体何度彼女のせいで余計なことに力を使ってきただろうか。彼女がいなければもっと自分のことだけに集中でき、更に技能や知識を磨くことができたはずなのに。
「なに?」
「なんでもない。黙ってフェンスの外見張ってろ」
「…自分は人の顔をチラチラ見ておいて、随分勝手だね」
「可愛いげのない顔だなって思っただけだ」
「どっちが!」
唇を尖らせてそっぽを向く日和。同じように、沢村も彼女から視線を外す。
やっぱりこいつのことは好きになれない。
歩調を揃えて歩く二人は、ちょうど同じことを考えていた。
どれ程の時間、ここで銃声を聞いているだろう。
火薬の匂いが立ち込める中、春香は憂鬱そうにコーチの位置についた。射手は春香と同じく補射を行う5区隊の丸井。隣の射線では6区隊の木田に付き合う冬奈がコーチとして入っている。
何回撃っても結果は変わらないし、慣れない。早くこの時間が終わらないかなと考えながら、春香は丸井に弾倉を渡した。
「限秒20秒脚無し寝撃ち、右左方用意!」
用意よしと右手を上げる。またこの20秒がやってくる。それぞれの射線から絶え間なく届く銃声、衝撃。春香はいっそ手で耳を塞ぎ、目を閉じていたいくらいだった。
(そもそも、私なんかにコーチをやらせたって…)
「撃て!」
齊木3尉の合図で射手が引き金を引いた。その時だった。
ダダダダッ
連続する射撃音。反動で銃は跳ね上がり、弾丸は標的を大きく逸れて着弾する。弾倉に入っていた5発のうち、4発が一瞬で消費された。
「やめ! 撃ち方やめ!」
すぐに射撃中止がかけられ、射場内にざわめきが起こる。
連射したのは丸井の銃。そして彼の銃の安全装置を最後に確認したのは、コーチである春香だった。
「一体なに考えてるの!」
射場の外、待機場である小屋の側で冬奈が声を張り上げる。叩かれた頬がひりひりと痛み、それ以上に胸が締め付けられるように苦しかった。
「ごめ…」
「あれだけ安全管理はちゃんとしろって言われてたじゃない! 一体なにを確認していたのよ!」
「めん…なさい…」
「謝って済む問題じゃない!」
「ごめんなさい…」
ぼろぼろと大粒の涙が地面を濡らす。顔を上げることができず、ただただ同じ言葉だけ繰り返した。
「もういいだろ、都築。単射を連射に間違えたのは俺なんだしさ。ほら、区隊長からもげんこつもらって、それでチャラにしてくれたし…」
「そういう問題じゃない!」
止めに入る丸井を冬奈は乱暴に振り払う。
「銃を撃ちたくないとか、人を傷付けたくないとか、どう思おうが個人の勝手よ! でもね、それとこれとは別問題でしょう?! 勤務に集中できないなら、どうして誰にも言わなかったのよ! そういう変な気遣いが、いつか取り返しのつかない事故に繋がるっていうことを、桜庭学生は全く分かってない!」
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」
「っ! どうしてっ…!」
冬奈は再び手を振り上げるが、やがて静かにそれを下ろした。これ以上なにを言ったところで今の春香には届かない。そういう諦めのようにも見えた。
日和がその現場を目にしたのは、ちょうど警戒係を下番した時だった。一体なにがあったんだと駆け寄ろうとすると、すぐに沢村が日和の肩を掴んで止めた。
「今行くのはやめとけ。話がややこしくなるだけだぞ」
「でも、放っておけな…」
「やめとけって言ってんだ」
肩を掴む沢村の手が少し強くなり、日和は大人しく頷いた。
「すぐ頭を熱くすんな。行動に移す前に一度立ち止まるのが、お前の専売特許だろうが」
「うん、ごめん。ありがとう」
冬奈がその場を去った後も、しばらく春香は動こうとしなかった。他に誰もいないのに、ひたすら「ごめんなさい」だけを繰り返し、枯れ果てるまで涙を落とした。
9月上旬、まだまだ残暑が厳しい、よく晴れた暑い日のことだった。
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