後任期 秋

それは人を「殺す」武器

『訓練非常呼集、訓練非常呼集。航空学生舎前集合』


 夏休暇が終わったその次の日、航空学生の生活は非常呼集の放送で始まる。まだ朝日は登っておらず、学生たちは真っ暗な部屋の中をほぼ無意識で駆け回る。どれだけ休暇でだれていようが、この放送がかかれば勝手に体が動き出すのは、日頃の訓練の賜物といったところか。


 呼集訓練が終わった後はすぐに体育服装へと着替え、駆け足訓練を行う。綺麗に隊列を組んだ学生たちはいつもの間稽古まげいこコースからは外れ、普段入ることができない飛行場地区、それも滑走路の中へと入っていく。この頃になると朝日が顔を出し始め、滑走路西側から進入した学生たちは、ちょうど朝日に向かって走っていく形となる。この辺り、日の出の時間を逆算して呼集をかけている学生隊は流石としか言いようがない。


「早足、進め!」


「小隊、止まれ!」


 おおよそ1,500mある滑走路の真ん中で隊列は行進を止める。息があがっている者が何人かいるが、休暇期間中に毎朝駆け足をしていた日和にとってはなんてことのない訓練だ。一方隣にいる月音のほうは体力的に問題なさそうだが、未だに眠たそうな表情をしていた。


「朝日に正対する、隊歌の姿勢!」


 1、2、3で東を向き、腰に手を当てて顔を上げる。ここで全員が航空学生の歌を歌うというのが夏季休暇明けの伝統行事だ。


 誰一人欠けることなく、そして元気に帰ってきた学生たちを眺めながら、中隊長の猪口3佐は安堵のため息を吐く。


 普段外の世界から隔離され、厳しい日々を送っている航空学生。そんな彼等にとって長期休暇というのは、とても誘惑の多い魔の期間とも言えた。志が低い者や訓練についていけない者などが、故郷に帰ったことでその生活の快適さに取り付かれ、休暇明けに自己免を申告してくる。別に不思議なことではない。パイロットになるために入隊したのに、ろくに飛行機も触らせて貰えず、地べたを駆け回るだけの日々。こんなはずではなかったと、理想と現実のギャップについていけない者は必ずいる。


「取り敢えず、一つ山を乗り越えたってとこですか」


 助教の青木2曹が隣に来る。


「見たところ、辞めたそうにしてる奴は見当たりませんね」


 学生の表情や言動から、その心の内を読み取る…長年色々な学生たちを見ている助教らにはこういった技が身に付いている。2、3年で転勤を繰り返す猪口たち幹部自衛官には真似できない芸当だ。やはり現場の最前線で活躍している彼等は違うな、と猪口は改めて感心する。


「学生が元気で帰ってきてくれた以上、俺たちも気合いを入れていかなければな」


「ですね。任せて下さい」


 歌い終えた学生たちは再び朝日に向かって走り出す。歩調を数える大きな声が飛行場地区に響き渡り、早朝から働いている整備員たちも思わず笑顔になる。


 夏休みも終わり、秋はもう目の前だ。中だるみを起こしやすい季節となるが、勿論そんな余裕はここにはない。





 自衛官の基礎中の基礎である教練や執銃動作については4月から5月のうちに訓練を終えたが、本格的に銃を扱う訓練については夏季休暇明けの9月から開始される。射撃や基地警備基礎、地上戦闘といった本格的な戦闘訓練だ。


 とは言え、いきなり野外で銃を持って走るかというと、当然そんなことはなく…


「口径7.62mm、4条右転、重量4.3kg…銃身長?」


 教程を見ながら春香がぶつぶつと呟く。


「秋葉さん、銃身長と全長の違いってなんでしたっけ?」


「銃身長が薬室から銃口まで。実際に弾が通るところと思えば…」


「ああ、成る程!」


 二人の机にはそれぞれの銃が分解された状態で置かれている。


 今は各区隊教場で小銃に関する授業を受けているところだ。本格的な戦闘訓練に入る前に、まず学生たちは武器を完璧に取り扱えるようにならなければならない。その基本として、まずは小銃に関する知識をつけること。そして一人で分解、結合、整備ができるようになることが必要だ。


 64式小銃は他の小銃に比べて部品点数が多く、ネジやピンの一本に至る全てに名前が付けられており、当然これも覚えなければならない。中には「ピストン幹止め用バネピン」などという長ったらしい名前もあり、なかなか新兵泣かせではある。


「秋葉さんは分結(分解結合)早いですよね。普段のベッドメイクも綺麗ですし、やっぱり手先が器用なんですねー」


 銃の分解結合についても試験は実施される。筆記試験で銃の諸元や部品名称の確認、実技試験で分結にかかる時間を計測するのだが、これも区隊ごとに成績で競いあう。筆記試験は満点をとるのが大前提、差をつけるとしたら分結のタイムしかない。だから皆、一秒でも早く銃をばらして組み立てられるよう必死に練習していた。


「…春香も十分早いと思うけど」


「あはは、ありがとうございます。でもですね…」


 春香はふっと表情を暗くし、目の前にある自分の銃を撫でた。


「私達、去年まではただの高校生だったんですよ? それが今では銃の構造とか部品の名前とか言えるようになって、随分遠いところまで来ちゃったなぁって…」


 初めてこれを手渡された日、銃貸与式のことを思い出す。殺すか殺されるか、そんな世界で生きていくんだと学生隊長は言った。その時は半分他人事のように聞いていたが、こうして銃を扱うようになって、ようやく実感が湧いてきたようだった。



 人の殺し方を身に付けているみたいで嫌だなぁ…。



 ついこの間まで実家に帰省し、所謂「普通の生活」を送っていただけに、そのギャップは大きい。


 不気味に黒光りする小銃を見て思わず背筋に悪寒が走る。これを完璧に扱えるようになったら、今度は戦闘訓練や射撃訓練が待っている。覚悟して自衛隊に入ったとはいえ、日に日に世間から遠く離れていく自分が、春香はどうしようもなく恐ろしかった。


「春香…」


「前部負い紐環、二脚、皿型座金、脚固定筒、剣止め、消炎制退器…」


 部品名を言いながら次々と銃を組み立てていく春香。その様子がどこか痛々しくて、秋葉はじっと心配そうに彼女のことを見つめていた。





 本来64式小銃は主に曹士が扱うものであって、幹部自衛官が持つ銃は9mm拳銃というのが一般的だ。将来幹部となる航空学生にとって、小銃を扱っての訓練は果たして必要なのだろうかという声もある。だが自分の部下となる曹士たちはこれを武器として戦うわけで、彼等を的確に指揮するためにも、小銃の扱い方を身につけておくのは大切なことだ。


 その日行われたのは空包射撃訓練。この訓練を通じて学生たちは銃の安全管理や射撃姿勢、実弾を使用する本番での動きを身につける。


 射撃訓練と一言で言っても、的を狙って好き勝手に撃っていいわけではない。一人あたりに与えられる弾数や、射撃をする時間、脚を使用するか否かなど、様々な条件下で射撃をしなければならない。また射場においては全ての動作が射撃係幹部の号令で統制され、勝手に射撃を行うことはおろか、銃に触れることすら許されない。ここまで徹底して厳しくするのも、全ては安全管理を確実しておくためだ。気が触れた隊員が突然銃を乱射し、周りにいた隊員を撃ち殺すという前例もあったというのだから、銃を扱う恐ろしさに学生たちは揃って顔をひきつらせた。


「お前ら空包だからって甘く見るなよ。弾頭はなくてもな、至近で撃てば人を殺傷する程度の力は十分にあるんだから」


 そう言いながら青木2曹は、展示のために寝撃ちの射撃姿勢をとる5区隊助教の山本3曹の前に一つの缶ジュースを置いた。300mlのアルミ缶で、蓋は開けられていない。


「射手、安全確かめ銃をとれ!」


「安全よし!」


「射手、安全確かめ弾を込め!」


「安全よし! 弾倉よし! 槓桿閉鎖よし!」


「射撃用意!」


 青木2曹の号令でてきぱきと動く山本3曹。その銃口は缶ジュースに定められ、安全装置も解除された。


「撃て!」


 ドンッ、と大きな音。危害予防の為に耳栓をしていた日和だが、衝撃波として体にぶつかってくるその銃声に思わず目を閉じる。


 至近での射撃を受けた缶ジュースは数十cm先まで吹き飛び、大きく損傷してその中身を辺りに撒き散らした。空包なのだから、勿論弾丸は当たっていない。


「撃ち終わり!」


「撃ち方やめ! 射手、安全確かめ銃を置け!」


「安全よし!」


 山本3曹から銃が離れたことを確認してから、青木2曹が壊れたアルミ缶を拾い上げる。


「見たか? たとえ弾丸は出ていなくても、射撃時の熱風や衝撃波だけでこんな風になってしまう。空包射撃だからと言って気を抜かず、安全管理を徹底して訓練に臨め。了解?」


 声を揃えて返事をする学生たち。火薬の匂いが鼻につき、花火とはまた違うそれに日和は身震いする。


 銃を撃つ。自衛官になったのだから必ずその日はくるのだと分かっていたが、いざこうして目の前にしてみると、やっぱり恐いというのが正直な感想だ。


「ビビってるね、日和ちゃん?」


 ニッと笑う月音。しかしその手は静かに震えており、なにを強がっているんだと日和は少しだけ口元を緩ませた。





 訓練で射撃を行う際は決して一人で射撃位置に付かない。銃をとる射手と、それを補助するコーチ。この2名がペアとなって配置につく。射手は常に射撃することに集中しており、残弾数を数え忘れたり、射撃係幹部の声が聞こえなかったりする。それを代わりにコーチが把握してあげるというわけだ。


 寝撃ちの姿勢を取る日和の隣に月音があぐらを組んで座る。準備良しや撃ち終わりの合図を射撃係に送るのは、コーチである彼女の仕事だ。


「コーチは射手に弾を渡せ」


 月音から弾倉を受けとる。弾頭のない、火薬の詰まった薬莢が5発だけ入ったもの。20発入る弾倉にたった5発。しかしそれでも十分多いと感じてしまう。


 安全装置を確かめ、スライドを解放。少し癖のある弾倉をカチッというまで差し込み、スライドを閉鎖。これで薬室に弾が装填された。


「単射限秒20秒、脚無し寝撃ち! 右左方みぎひだりかた用意!」


 弾は出ないが、しっかり照星しょうせいを覗いて狙いを定める。安全装置は外され、あとは引き金を引くだけだ。


 撃て! の号令と共に激鉄が落ち、激針が雷管を叩く。同時に、耳をつんざくような銃声と強い反動が日和の身体にぶつかってきた。いちいちリアクションをとる暇はなく、すぐに次の一発、もう一発と撃ち続ける。20秒間のうちに5発。単純計算だ4秒に1発だが、あっという間にその時間は過ぎていき、月音に鉄鉢てっぱちを叩かれて初めて全弾撃ち終えたことに気づいた。


「1的、撃ち終わり!」


「2的、故障、残弾1!」


 それぞれのコーチが報告をあげる。中には送弾不良などを起こして弾を残してしまった者もいたが、ほとんどは無事に撃ち終えたようだった。しかしそんな中…


「4的、残弾5!」


 一発も撃てていないことを報告する声。よく澄んだ、秋葉の声だった。ということは射手についているのは春香ということになる。


「撃ち方やめ! 射手、安全確かめ銃を置け!」


 射撃係幹部についていたのは6区隊長齊木3尉。様子が気になったのか、指導についていた山本3曹を二人の元に向かわせた。


「どうした、故障か?」


 弾の込め方が悪いと、64式はすぐに給弾不良を起こす。だが一発目が発射されないということがあるだろうかと、山本3曹は首を傾げた。


「故障、してません…」


「は?」


 静かに首を横に振る秋葉。その目は隣に伏せる春香に向けられていた。


「ひ、引いてないんです。引き金…」


「一回も?」


 無言で頷く春香。その目は焦点が定まっておらず、手はカタカタと震えていた。



 撃てなかったのではない。


 撃たなかったのだ。



 何故とは訊ねず、山本3曹は助けを求めるように齊木3尉に顔を向けた。


 結局、その日春香は一発も銃を撃つことなく、彼女が使うはずだった空包については、後程助教たちの手によって全て発砲、処理された。

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