築城・小月研修

 自衛隊のパイロットというと、どうしても戦闘機操縦者のほうが真っ先に思い浮かぶ程、戦闘機が航空自衛隊の花形なのは今も昔も変わらない。だが実際には輸送機や回転翼機など様々な機種を航空自衛隊は保有しているわけで、もっといえば海上自衛隊や陸上自衛隊だって航空機を持っている。


 それらを操るパイロットの養成コースである航空学生には、航空要員と海上要員という二つの道がある。つまりは航空自衛隊の航空学生と、海上自衛隊の航空学生がいるというわけだ。


 所属は違えど同じ航空学生同士、交流も積極的に行われている。中には学生同士で連絡先を交換し、まるで同期のように仲良くする者もいる。


 その最初のきっかけとなるのが、後任期の6月半ばに行われる「築城、小月研修」だ。


 築城基地は航空自衛隊の基地だが、小月基地は海上自衛隊の航空基地。それも海上自衛隊航空学生を養成する基地で、この研修で彼等航空学生同士は初めて顔合わせを行う。


 導入教育後に行われた史跡研修とは違って、この研修では自衛隊の各部隊を見学することを目的としている。71期にとって初めて他部隊に触れる機会とだけあって、出発前から学生たちは浮き足立っていた。


「ふっふふ~ん。楽しみだねぇ、日和ちゃん」


 研修の前日、居室で荷造りをする二人。相当楽しみにしているのか、月音はやたら上機嫌だ。


「そうだけど、身辺整理はしっかりしていこうね。萩研修みたいに、帰ってきたら台風が起こっていたなんて御免だよ」


「あと持ち物チェックね! 今回は2泊3日と長旅だから、しっかり準備していかなくちゃ!」


 少し大きめのカメラを見せながらニコニコと笑う月音。観光旅行じゃないんだけどなぁ、と苦笑しながらも、確かに持ち物チェックはしっかりやっておくべきだと、日和は携行品一覧表を片手に旅行用カバンを開いた。





 防府からバスで数時間、まず初日は福岡県築上町の築城基地にて航空自衛隊の第一線部隊がどのようなものなのかを学ぶ。この基地に所在しているのは第8航空団という戦闘機部隊で、主にF-2戦闘機を中心に運用している。その他にも第2高射群第7高射隊というパトリオットミサイル(地対空ミサイル)を扱う部隊や、航空管制を行う部隊など、様々な部隊を見学する。


 航空祭などで戦闘航空団を訪れたことがある者は71期の中にも何人かいたが、実任務に就いている平日の姿を見るのは勿論初めてで、特に戦闘機を生で見たことがない日和にとってはとても強い刺激となった。


 いつの日にか地本の事務所で広報官に見せてもらった戦闘機の模型(あの時はF-15だったが)とは比べものにならない程本物の戦闘機はかっこよくて、耳をつんざくようなエンジン音や体全体に感じる熱風は、ややマンネリ化してきた学生生活を送っていた日和のモチベーションを上げるのに十分だった。


 いつの日かこれに乗る。そして空で戦う。ざっくりとしたイメージしか沸いてこないが、確実に日和はそのレールの上にいる。諦めない限り決して叶わない夢ではない。



 夢…時折日和の頭に浮かぶ、彼女が持つ大きなテーマ。


 もともと夢とか憧れなどなにもなく、なんとなく「空を飛びたい」というざっくりとした想いだけで今日までやってきた。だが築城にやって来て、その想いが「戦闘機に乗りたい」に変わりつつある。


 同期たちが希望機種や希望配属先などを考え始めるのに比べれば遅すぎとも言える心の変化だが、それでも日和は着実と前に進んでいる。今の彼女を、親に言われるがままに生きていた高校時代の日和が見たら、なんと充実した日々を送っていることかと驚くに違いない。そして来年の日和は、今の日和が驚くくらいに成長しているに違いない。


 いつかきっと、今よりもっとはっきりとした夢を抱く日が来る。焦らなくていいから、今は自分にできる最大限の努力をしようと、任務の為に次々と離陸していくF-2を見上げながら日和は思った。





 築城基地の研修は昼間のうちに終わり、夜は隊員クラブ(各基地に設置してある居酒屋)で、基地に所在する航学出身者を集めた宴会が開かれた。そしてその翌日には築城を後にし、山口県下関市は海上自衛隊小月航空基地へと向かう。いよいよ海自航学との対面の時だ。一体どんな子が待っているのだろうと心を踊らせる者もいれば、空自をなめられてはいけないと気合いを入れる者もいる。


 基地が近くなると上空を練習機が飛んでいくのが目につく。T-7とほぼ同じエンジン音で、見た目もよく似ているが、海上自衛隊が保有しているのはT-5練習機。並列前後座席の4人乗りで、T-7と比べると少しずんぐりとしている。戦闘機操縦者を中心に育てる空自と、大型哨戒機や回転翼機の操縦者を育てる海自との違いだ。


「気をつけ!」


 期当直である4区隊の奥村が号令をかけ、学生たちは背筋を伸ばす。小月基地の正門が見えてきたのだ。


「わっ、すご…」


 月音が小さく声を漏らす。日和が彼女の視線を追うと、バスの外には真っ白な制服を身に纏った海上自衛官たちが整列し、日和たちを出迎えてくれていた。


「お前ら下車後はちんたらせず、すぐに整列しろよ。奴等に「空自はこんなもんか」なんて思わせるな?」


 中隊長、猪口3佐が学生たちに今一度活を入れると、気合いの入った返事がバスの中に響き渡った。


「別に敵じゃないんですから、航学同士仲良くやりましょうよ…」


「いやいや春ちゃん、それは違うよ」


 やたら海自に対抗意識を燃やす同期に対して春香が愚痴を溢すが、すぐさま夏希がそれを否定した。


「別にあたしらは海自航学が嫌いなわけじゃない。これはね、プライドってやつなのさ」


「プライドですか?」


「そそ。あたしら毎日きっつい訓練をこなしてるわけじゃん? 正直、他の誰よりも厳しい生活を送ってる自信がある。なのにそれが海自航学に劣っているなんて、そんなの認めたくないよね」


 毎日を真剣に過ごしているからこそ、学生たちはその生活に誇りを持っている。それが誰かに「空自の航学なんてこの程度か」と嘗められるなんて、そんなこと彼等のプライドが許すはずがない。


「むぅぅ…そう考えると、海自の人達に格好悪いところは見せられないですね」


穏やかだった春香の目に火が付く。航空学生には「3気精神」といって「やる気、元気、負けん気」というモットーがあるが、すっかり彼女にも「負けん気」が身に付いたようだ。



 バスが止まり、速やかに下車する学生たち。対して海自航学の学生たちも速やかに整列を終わらせ、その後空自と海自の対面式が行われた。


「後任期中隊長の猪口3佐です。よろしく」


「主任指導官、最上1尉です。お待ちしておりました。ようこそ小月へ」


「うちの学生はまだまだひよっこでね。海さんの教育を見て、良い勉強になればと思いますよ」


「お任せ下さい。まぁうちの教育はちと厳しいので、空さんには多少刺激が強すぎるかもしれませんが…ご期待には応えますよ」


 両指揮官が挨拶を交わす。柔らかムードの猪口3佐とは対照的に、最上1尉は明らかな敵意を全面に出す。口調こそ穏やかだが、その中身にはだいぶトゲが含まれていた。


「はっはっはっ! まぁお手柔らかに頼みますよ」


 挨拶を終え、猪口3佐は空自側の列へと戻る。この後は海自の学生が空自の学生を引率し、隊舎へと案内してもらう予定だ。猪口3佐たち基幹隊員については小月教育隊司令や学生隊などに挨拶周りをしなければならない。


「ありゃあ何ですか。気にくわない奴ですね」


 猪口3佐とのやりとりを見ていた5区隊長、森脇2尉が鼻息を荒くして言った。


「いくらなんでもあの態度は失礼じゃないですか?」


「ここ数年は空自うちが勝たせてもらってるからな。海自あっちも躍起になってるんだろう。あの最上とかいう幹部、まだまだ青い奴だな」


「だからこそ、今回も負けていられませんね」


 実はこの小月研修、見学だけが目的ではない。空自と海自の交流イベントとして、空海対抗バレーボール競技会が毎年開催されているのだ。勿論そこは勝負の世界、負けることは決して許されない。いわばこの研修は航空学生同士のプライドをかけた、年に一度の決戦の舞台でもあるのだ。





 研修の間、日和たち空自学生にはそれぞれ海自学生が対番となって面倒を見てくれる。空自71期と同義にあたる海自67期生は総員70名。計算では空自一人に対して海自一人か二人が対番としてつくはずなのだが…


「坂井さんと菊地さんだよね? ここからは私が案内するよ!」


 同期たちが次々と対番に連れて行かれる中、一人の少女が日和と月音のところへやってきた。二人に割当てられた対番はどうやら彼女一人だけのようで、これは一体どういうことだろうと日和たちは顔を見合わせる。


「どうしたの? ああ、自己紹介か。私は臼淵奏星うすぶちかほ。よろしく」


「あ、坂井日和です」


「菊池月音です…って、そうじゃなくて。いや、自己紹介もなんだけど」


 つられて自己紹介をしてしまう二人だが、月音が訂正する。


臼淵うすぶちさん一人だけ?他にはいないの?」


「なんで…ああ! そういうことか。67期ってWAVE(ウェーブ)は5人しかいないんだ。だから坂井さんと菊池さんのところだけ、対番が私一人ってわけ」


 WAVEとはWomen Accepted for Volunteer Emergency Serviceのことで、航空自衛隊でいうところのWAF、つまり女性隊員のことだ。海自側の方針でWAFにはWAVEの対番を割当てることとなった結果、日和たちには彼女一人だけが対番となったらしい。


「ま、細かいことは後で話すとしてさ、とりあえず行こう? 身辺整理とか色々あるだろうし」


「あ、うん」


 奏星かほに促されて日和たちは大きな旅行カバンを肩にかけた。しばらく自由時間とはいえ、その後にはまた集合して研修に向かわなければならないので、時間を無駄にはできない。


「なんていうか、サバサバとした気さくで良い人だね」


 先を歩く奏星を見ながら月音が言う。


「うん。とても初対面って感じはしないよね」


「あとスタイルも良いよね。きっとモテるんだろうなぁ」


「う、うん。そうかな?」


 確かに月音の言う通り、奏星は非常に女性らしい、メリハリのあるモデルのような体型をしていた。加えて夏服は身体のラインが強調されやすく、同性からみても視線を奪われてしまうようなオーラが感じられる。背も高く、日和と比べてさらに小さい月音が彼女に並んで立つと、多分頭一個分くらいは差があるのではないだろうか。


「え、なに、嫉妬してるの?」


「べっつにぃ?」


 月音はそう答えるが、明らかに奏星のことを意識しているのが分かる。


(そういえばいつか、自分の身体にコンプレックスを持っているようなことを言っていたっけ?)


 まるで妹みたいだと月音に言った時、けっこう怒られたことを日和は思い出す。背は低いし胸は無いしで、昔から子供扱いされることが多かったそうだ。奏星のような子が対番として近くにいることで、また周りから馬鹿にされるのではないかと危惧しているらしい。


「まぁ…元気出しなよ。私だって大したことないからさ」


「なにが!?」


 頬を膨らませて怒る月音をどうどうと日和は抑える。外見だけでなく、こういう部分も子供っぽいんだけどな、とは口が裂けても言えなかった。


「どうかしたー?」


 いつの間にか二人が付いてきていないことに気付き、奏星が振り向く。


「あ、いや、なんでもない! ほら、行こう月音」


「むぅぅ…言っとくけど、パイロットは小さいほうが有利なんだからね!」


 日和は月音をなだめつつ、手を取って走り出す。奏星はそんな二人を見ながら、仲が良いんだなぁと微笑ましく思った。


 海上自衛隊という別の組織に所属する少女、臼淵奏星うすぶちかほ。彼女とはせいぜい研修中だけの仲だろうと日和たちは思っていたし、奏星本人さえも同じことを考えていた。


 それがまさかこの3人が、自衛隊生活はおろか一生を通じた仲になるなんて、この時は誰も予想だにしていなかった。

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