航友会

 課業が終了してから自習までの時間、おおよそ1時間から2時間程度で航友会こうゆうかい活動というものが行われる。


 字だけ見るとどんな活動なのか全く分からないが、つまるところクラブ活動のことだ。ここでは野球部、サッカー部、バスケ部、剣道部が活動しており、学生は全員このいずれかの部活に所属することになっている。


 顧問として基幹隊員がつくものの、心身のリフレッシュと学生の自主性を尊重することを目的とするため、訓練のような厳しい指導などは行われない。またそれは先輩と後輩の間でも同様だ。


 71期生も新たに部活を始めることになり、一週間ほど各部活の見学と体験を行うよう指示された。部の変更は基本的には認められておらず、言ってしまえば今後の学生生活を左右する選択となるので、どうしても慎重にならざるをえない。


「さて、どうしよっかな」


 課業後、とりあえず隊舎を出たもののそこで日和の足は止まってしまう。


 中学高校とずっと陸上部だった彼女としては、どの部活に入っても初心者からスタートすることに変わりはなく、どうしたものかと決めかねているところだった。


「まずは近場からですかね? 武道場も体育館も、隊舎からだとちょっと遠いですし」


 日和に続くように月音、春香、夏希が隊舎を出てきた。彼女たちも日和と同じで、どこの部活に入っても初心者スタート組だった。


「ああ、秋葉と冬奈は…」


「秋ちゃんは剣道で、冬ちゃんがバスケ。今日から先輩たちと一緒にやるってさ。経験者は迷うことがなくていいよねぇ」


 全くだな、と日和は頷く。


 もともと日和は熱中できるものや夢などを持たないで生きてきた。学生の頃ずっと続けていた陸上部ですら、親から「とりあえず何か部活に入っておけ」と言われたから入部しただけで、特に走るのが好きだからというわけではなかった。だからこうして「好きな部活に入れ」と言われてしまうと、なにが好きなのか分からない日和は困ってしまう。


「あら、皆まだいたのね」


 声をかけられ振り向けば、体育服装に着替えた冬奈と秋葉がいた。これからそれぞれの活動場所に向かうようだ。


「お、ちょうど良かった。せっかくだからあたしは二人について行こっかな? 剣道もバスケも一度どんなものか見ておきたいんだよねぇ」


「剣道部はちょっと…初心者から始めるには厳しい感じだよ。顧問、黒島教官だし」


 ついて来ようとする夏希をやや邪険に扱う秋葉。だが彼女なりの配慮であって、悪意はない。


「バスケやってみる? 陣内学生、背も高いほうだから案外向いてるかもしれないわよ」


「ホント? なら行ってみようかな。みんなはどうする?」


 夏希に聞かれ、顔を見合わせる日和たち。正直なところ、バスケ部が活動している体育館は隊舎から遠く離れており、毎回そこへ移動することを考えるとあまり魅力的とは思えない。その点サッカー部や野球部が活動しているグラウンドと野球場は隊舎のほぼ隣に位置しているので移動時間をほとんど考慮しなくてもいい。小さな問題のようにも思えるが、時間に限りのある航空学生生活では1分1秒の時間短縮が大きな差を生む。


「私たちは先にサッカー部から見てくるよ。バスケ部はまた今度行かせてもらおうかな」


「そっか。じゃあまた後でそっちの話も聞かせてな」


 夏希は一瞬残念そうな顔をしたが、すぐ笑顔になって冬奈と体育館へ駆け出していった。あの様子だとほとんど入部を決めているな、と日和は夏希を見送りながら思った。





 4つ存在する航友会活動の中で最も多くの学生が所属しているのがこのサッカー部である。理由としてはいくつか挙げられるが、いずれサッカーは誰もがやらなければならないというのが一番大きいだろう。


 航空学生課程の年中行事の中には、後任期の冬頃にサッカー競技会が組み込まれている。体育訓練の一環として行われるのだが、これがなかなか本格的なものなので、スパイクなどの道具も学生の自費で買い揃えなければならない。どうせやらなければならないなら初めからサッカー部員としてその技術を磨いておこうという学生が多く、日和たちのようにどの部活に入ろうか迷っている者のほとんどがここに集まるというわけだ。


「サッカー部に入るメリットは他にもあるぞ。他の部活と比べて走る量が圧倒的に多いから、単純に体力向上にもなる。駅伝大会だったりマラソン大会だったり、航学には走る競技会も多いから、その辺りでもかなり有利になるはずだ」


 そう語るのは3区隊の関谷だ。航友会では誰が主将であるなどは設けていないが、実質サッカー部は彼が仕切っている。


 ここまで聞くとサッカー部はいいことずくめなようにも思えるが、心身のリフレッシュにはあまり向いていないというデメリットもある。普段から散々走り回って訓練しているのに、課業時間外でも走るとなると、部活というよりは訓練の延長のように感じてしまい、心の底から航友会活動を楽しめないというわけだ(もちろん個人差はあるが)。


 説明を受けて月音は非常に興味を持ったようで、もう少し見学したいと言い出した。一方日和と春香は他の部活も見てみたいと思い、次の場所へと向かう。サッカー部が活動するグラウンドからすぐ隣、ラグビー場としても使用されることもある広大な訓練場。そこが野球部の活動場所だ。





「坂井さんは野球のルールとか知っているんですか?」


 野球場に着いてすぐ、春香はやや不安そうな顔をして日和に訊いてきた。


「詳しい部分はうろ覚えだけど、一応は。どうして?」


「いやぁ、私あまり野球は詳しくなくって。見たことはあるんですけどね」


 じゃあなんで、と日和が返すと春香は恥ずかしそうに笑った。


「体力測定があるじゃないですか。私、ボール投げが苦手なんですよ」


 自衛隊では全ての自衛官に対して定期的に体力測定が行われる。内容は3km走、腕立て、腹筋、走り幅跳び、懸垂、ボール投げといったもので、その全てに記録に応じて1~7の級が付けられる。


 航空学生に求められる体力は最低4級とされているのだが、入隊試験に体力試験が行われない為なのか、運動を苦手とする学生も中にはいて、この基準に達しないこともある。


 3km、腕立て、腹筋などの基礎体力が求められる種目に関してはここで生活するだけである程度身に付いていくのだが、その他の走り幅跳びやボール投げには技術的な面も必要とされるだめ上達が難しい。それでいて練習できる時間も限られているため、ボール投げが苦手だから野球部に入っているという学生も中にはいる。


 だからなのか、ノックやフリーバッティングの練習が始まっても、外野のほうで球拾いをしつつキャッチボールを続けている者がちらほらいた。その様子からも、野球部がわりと気楽で自由に活動できる部活であることが分かる。


 勿論、全員が全員好き勝手に運動しているかというとそうではなく、年に数回行われる公式戦に向けて真剣に練習している者もいる。


「よーし次のピッチャー、沢村行けそうか?」


 先輩に呼ばれて沢村がマウンドに上がる。


「あれ、沢村って野球やってたんだ」


「坂井さん知らなかったんですか? 確か沢村さんって、けっこう有名な高校の出身で、甲子園でも投げたことがあるらしいですよ」


 へえ、と日和は思わず高い声を漏らす。やはり全国から選りすぐりが集まっているだけあって、すごい人材が航学にはいるんだなと改めて感心した。


 一球、沢村が投げる。その豪速球に周りから歓声が挙がり、野球に詳しくない日和でも彼が凄い球を投げていることがよく分かった。


「すっげぇな。こりゃ今年の公式戦はけっこういいとこまで行けるんじゃねぇの?」


「うわ、今のカーブ見たか? あんなの絶対打てないぜ」


 バックネット裏で楽しそうに話す先輩たちの声が日和にも聞こえる。投げ込みはしばらく続き、その間日和は彼の姿に目を奪われていた。


 導入期間中に沢村とは何度も衝突したり、同期と対立したりと色々あったが、そんな彼にもこうして熱中できるものがあるんだなと、日和はなんだか羨ましかった。


 何人か打席に立って沢村の球を受けるが、まともに打ち返せる者はいなかった。少しすると別の学生と交代となり、沢村はマウンドを降りる。クールダウンも兼ねて、見学に来た同期の面倒を見てやれと先輩に指示され、沢村はいくつかグローブとボールを持って日和たちのところへやって来た。


「なんだ、誰かと思えば坂井か。お前野球できるのかよ?」


「まさか。だからこうして見学から始めてるんだよ」


 とりあえずキャッチボールでもするか、と沢村からグローブを受けとる。野球なんて始めてな春香はそれの付け方すらろくに分からず、沢村が丁寧に教えてあげる。導入期間を終えてずいぶんと丸くなったんだなぁ、と日和は彼を見ながら思った。


 日和たちは野球場の隅に移動し、軽く肩慣らしを始める。どうやら春香は相当不器用なようで、ボールの飛距離が日和と比べてもだいぶ短く、3人は互いの声が普通に通るくらいまで距離を詰めてボールを投げ合った。


「野球、好きなんだね」


 日和の投げた球が綺麗に放物線を描いて沢村のミットに収まる。


「そんなこと訊いてくる奴は始めてだな」


 沢村の投げる球はやや直線的で強く、春香はそれをグローブで弾いてしまった。彼女はまだ日和の投げる球くらいでないと受け取るのは難しいだろう。


「大抵の奴は「上手い」とか「凄い」としか言ってこないけどな…」


「だってあれだけ凄い球を投げれるんだよ? 相当練習してきたんだよね。好きじゃないとできないよ」


「そんな大層なもんじゃない。野球の他になにもなかっただけだ」


「プロとか考えなかったんですか?」


 今度は春香が沢村に投げ返した。少し暴投気味だったが、沢村は綺麗に取ってくれる。


「大学とか社会人とか、そのまま野球を続けることもできたでしょうに」


「お前プロ舐めてるだろ。その道で食っていけるのはほんの一握りの人間だけだ。俺はお前らが思っているほど凄くなんかない」


 沢村は強めの球を日和に投げる。コントロールは正確で、日和はこれを受けることができた。


「それでも、ここまで一つのことに本気で向き合える沢村は凄いよ。私なんて、なにも無いからさ」


「別に、そんなことはないだろ…」


 なにも無いなんてことはない。日和が航学にやって来たというだけで、本気で向き合える何かを持っていると沢村は伝えたかったのだが、どうにも彼は不器用すぎた。


「決めた。私、野球部に入るよ」


 日和から球を受け取った沢村は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐ真顔に戻って無感情に「そうか」と返すだけだった。


「いいんですか? バスケ部とかまだ見てませんけど」


「沢村が本気になれた野球を私もやってみたいし、それに…」


 沢村を見て日和がはにかむ。


「私、沢村が野球している姿をもっと見てみたいんだ。勉強とか訓練とかじゃなくて、本当に好きなことに打ち込んでいる沢村が」


「はぁ?」


 今まで見たことのない、まるで自分に好意を持っているかのような日和の表情に沢村は不覚にも動揺してしまった。きっと彼女に他意はないのかもしれない。が、だとすると余計に沢村は自分自身が恥ずかしくなる。


 だからそれを打ち消すように、彼は本気の球を日和のミット目掛けて投げた。流石のコントロールで、日和は手を少しも動かすことなく、バチンと大きな音をたてて彼の球を受け止める。というよりも、勝手に球が収まったと言ったほうが正しいかもしれないが。


「わっ! ちょっと、いきなりそんな球投げないでよ!」


 突然の豪速球にびっくりした日和は思わず尻餅をついた。これはある意味自業自得だなぁ、と春香は苦笑いしながら日和を見る。


「いいか。野球部に入るのはお前の勝手だが、俺の邪魔だけはすんなよ。素人に手取り足取り教えてやれる程、俺は暇じゃないんだからな」


 それだけ言い残すと彼は回れ右をして立ち去ってしまった。残された日和は、なにか機嫌を損ねるような事を言っただろうかと一人首を傾げる。


「けっこう坂井さんって、自覚の無いたらしですよね…」


「え?」


 以前、日和は無自覚のままに他人を口説く癖があると冬奈が話していたことを春香は思い出し、ああ確かにその通りだなと頷いた。彼女の純粋すぎる心と、思ったことを躊躇ためらわずに口に出してしまうその性格は、場合によっては今の沢村のように誤解を招いてしまいかねない。


 ボール投げの練習のためにも、もともと野球部に入ろうかと考えていた春香だったが、日和を見てこれで決心がついた。


 一つは日和のことを心配して。そしてもう一つは「これから面白い展開になるかも」という興味本位。


「一瞬に頑張りましょうね、坂井さん!」


「う、うん?」


 春香に手を差しのべられて日和は立ち上がる。


 ずいぶんキャッチボールをしていたのか、丁度航友会見学を終える時間になっていた。

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