対番外出

「隊歌の姿勢!」


「1、2、3!」


 隊舎前に集められた後任期たちは腰に手を当て、様々な歌詞が書かれた用紙を高く掲げる。そして前に立つ指導学生の合図で大きな声で歌いだした。


 これは「隊歌演練」という、航空自衛隊に関係する部隊歌や戦時歌謡、愛国歌などの所謂軍歌を歌う訓練だ。


(まさか歌の練習までするとは思わなかったなぁ)


 いつもよりほのぼのとした空気で訓練が行われ、それが可笑しくて日和はすこしにやけてしまう。


 軍歌はもともと部隊内で士気を高める為に存在する。娯楽の多い現代となってはその効果の程はわからないが、国や部隊を愛する歌を仲間で声を合わせて歌うというのは、なかなか気持ちの良いものである。


 航空学生が歌う軍歌としては航空自衛隊歌である「蒼空遠く」や「航空学生の歌」などの戦後作曲されたものに加え、戦前戦中に作曲された「同期の桜」、「若鷲の歌」、「空の神兵」、「護れ大空」、「燃ゆる大空」、「加藤隼戦闘隊」などがある。


 基地内に学生の歌声が響く中、先任期学生はいつも通り後任期の部屋を荒らしていた。隊歌演練が終われば、また今日も非常呼集訓練が行われる為、その下準備でもある。


「月音はまだまだベッドメイクが甘いねぇ」


 ため息混じりに対番の若宮が呟く。


「ま、ベッドメイクは1ヶ月やそこらで完成するものじゃないし、仕方ないわよ。指導はするけどね」


 そう言いながら巴は日和のベッドの毛布とシーツを剥ぎ取った。


「他の箇所はちゃんと整理整頓できてるわね。むしろ問題は呼集訓練のほうか。もう少し着替えが早くなればなぁ」


 対番の巴から見て日和の出来具合はそこそこといったところだった。優秀とも言えないが、劣っているとも言えない。


 しかしそれは巴が求める基準が高いだけで、若宮からすれば日和は十分優秀なほうだった。優れた先輩を持つと苦労するな、と若宮は苦笑する。


「そう言えば今週末、どこに行くかもう決まったの?」


「え? 私、巴が考えてくれてるつもりだったんだけど…」


「はあ?」


 巴は呆れつつ、勢いでもう一枚シーツを剥ぎ取る。日和からすればとんだとばっちりだ。


「私言ったじゃない。指導学生の立場もあって、一緒に外出できるかどうかは直前までわからないから、プランはあなたにお願いするって」


「そうだっけ? いやぁごめん。すっかり忘れてたわ」


「あなたねぇ…」


 大して悪びれた様子もない若宮に巴は腹を立てつつも、次の言葉が出てこなかった。ちょうどその時、隊歌演練を終えた後任期たちが隊舎に戻って来たらしく、男性隊舎のほうから足音や怒号が聞こえた。


「まあいいわ。週末まで時間もあるし、焦る話じゃないもの。夕食はどこか予約入れておくから、日中のプランだけ任せるわ」


「りょーかい」


「ホント…頼むわよ?」


 巴はそれだけ言い残し、部屋を出る。今からはまた指導学生のモードに入らなければならない。


「遅い! 隊歌演練だけで終われるほどここは甘くないわよ!」


「…よくぞまあ、即座に気持ちを切り替えれるよね。感心するわ」


 廊下で声を張る同部屋の仲間を見て、つくづく自分は指導学生には向いていないなと若宮は息を漏らした。


 もう週の半ばの水曜日。今週末には航空学生の伝統行事、対番外出が予定されている。





 着隊後1ヶ月は自由に外出はできないと導入教育開始前から言われていたはずだが、先週の引率外出に続いて今週も外出できるとは日和も驚きだった。


 対番外出とは、先に行われた引率外出の対番バージョンである。少し異なるのは、引率外出が防府市内の公共施設を中心とした案内が目的なのに対し、対番外出は航空学生行き付けの店や遊び場等を中心に案内する点だ。


 先週は私服姿で外出したが、今週は制服姿での外出となる。実はこちらが本来の外出の姿で、学生は休暇時を除いて私服姿で外出することは許可されていない。


 制服での外出は非常に面倒くさい。と言うのも、この姿で基地外を出歩くと、一般人から見ても一目で自衛官だと分かってしまうから、下手な動きはできない。路上での喫煙やゴミのポイ捨てといったマナー違反は勿論のこと、駆け足で移動することも許されない。これは自衛官が慌てて行動しているのを一般人が見て、なにかあったのではないかと余計な不安を煽るのを防ぐためだ。


 そもそも無事に基地を出るまでの道のりが長い。制服姿を一般人に見られるということは、当然その身なりは端正でなければならない。それを確認する為に外出点検という名の服装容疑点検が行われるのだが、やはりそこでもいつもの厳しさがある。先任期のように慣れてくればなんてことはないのだが、後任期からしてみれば外出するのを躊躇うくらい嫌な点検だ。


「はぁぁ、疲れたぁ」


 無事に外出点検を終え、月音が長い息を吐く。


「まぁまぁ。これで無事に外出できるわけだし…」


「そだね。気持ち、切り替えてかなきゃ」


 日和と月音の二人は舎前で巴たちが来るのを待っていた。対番外出とは言え、先任期にとってはいつもと変わらぬ通常の外出なので、なにかと下準備があるらしい。


「他の人たちはもう出発したみたいだね?」


「うん。ほとんどは点検の後すぐに…って秋葉ちゃん」


「…ん」


 二人で雑談しているところへ秋葉がやって来る。どうやら一人のようだ。


「秋葉ちゃんもここで先輩と待ち合わせ? てか春香ちゃんは一緒じゃないんだ?」


「うん…ていうか」


「ごめんごめん! 待たせちゃったね」


 言っているうちに巴たちも舎前に出てくる。巴と若宮、そして日和と月音にはあまり見覚えのない先輩が一人。


「私も、日和たちと一緒に外出するんだよ?」


「へ…?」





 巴たちと一緒に来た先輩は秋葉の対番で、2区隊所属の瀬川だった。彼女は後任期の頃若宮と一緒の区隊だったようで、巴とも気が合うらしく、先任期になった今では専らこの3人でつるんでいるようだ。


「なんやぁ、この面子で動くこと、伝えてへんかったんかいな。坂ちゃんたち、びっくりしとったよぉ?」


(…坂ちゃんていうのは私のことか)


 柔らかい関西弁で話す瀬川に、巴や若宮とはまた違った印象を日和は受けた。ニコニコとよく笑う人で、悪く言ってしまえば先輩らしくない先輩だった。


「だからぁ、私としては巴が伝えてくれてるつもりだったんだってば。約束通り今日の予定は考えて来たから、それで許してよ」


「…その予定を立てることすら、私が訊くまで忘れてたけどね」


「悪かったわよぉ…」


 さすがに自らの非を認めざるを得ないのか、若宮は情けなさそうに肩を落とし、それを見て瀬川が楽しそうに笑った。


「ま、そんな小さいことはどうでもええやろ。そろそろ基地出ようや。若ちゃん、この後はどこに行くつもりなん?」


「うぅ…パプリカ」


「ならタクシーやね。予約は?」


「私が入れてるわ。2台ね」


 手慣れた様子で話を進める巴たち。日和たちが入る余地もなく話はまとまり、6人は隊舎を後にした。





 一同がやって来たのは基地から少し離れたところの飲食店。先程若宮が口にした「パプリカ」というのはこの店のことだった。


「ここはうちらがよく来る店やぁ。今日は全部うちら持ちやから、好きなだけ食べてええで~」


 店内は決して広くないが、洋風で小綺麗な内装で、人気もあるのかそこそこの人数で賑わっていた。


「わぁぁ、色んなオムライスがあるんですねぇ!」


 メニュー表を広げながら月音が目を輝かせて声をあげる。その隣では秋葉も同じ目をして唾を飲み込んでいた。


「ここはオムライスの専門店みたいなところでね、自分のオリジナルなオムライスも作ってもらえるのよ。卵の巻き方、ライスやソースの種類まで自由に組み合わせてね」


 若宮がもう一つ別のメニュー表をテーブルに広げ、月音と秋葉が身を乗り出した。そんな二人を見て瀬川は満足そうだ。


「坂井はどう? 食べたいもの決まった?」


「あっ、はい。すいません、気を使って頂いて」


「いいのいいの。普段まともに食べれてないから、こんな時くらい好きなだけ食べるといいわ」


 普段指導学生という立場があるからか、巴の笑顔を日和は久しぶりに見た気がした。導入教育のおかげで、いつの間にか先任期に対して恐怖を抱いていた日和だったが、その厳しさも自分たちのことを想ってこそなのだと改めて実感する。


 注文を終えて少しすると様々な種類のオムライスがテーブルに並べられた。その他にもセットメニューのハンバーグや大きなエビフライ、サラダにスープとてんこ盛りだ。


「それにしても懐かしいわぁ。あの対番外出からもう一年経ったんやねぇ」


 そうそう、と若宮が頷く。


「酷かったわよねー。先輩の奢りなのに食えないのかって、これでもかというほど胃に食べ物詰め込まれてさぁ」


 聞いている限りはとても楽しそうとは思えないことを笑顔で話す若宮。航学の伝統行事である対番外出だが、そこには悪しき伝統も残っている。そのうちの一つが「先輩の奢りで後輩にありったけの飯を食わせる」というものだ。


 引率する対番にもよるが、昼食に寿司食べ放題、その後喫茶店でパフェ食べ放題、夕食には焼き肉食べ放題という話もある。当然そんなに体にはいるわけないので、何度も吐いては無理矢理胃を空けるのだ。


「その上「俺達は特外とくがいだから基地には戻らない」って夜の街に放り出されたなぁ。酷い話やぁ」


 しみじみと語る瀬川。今となっては思い出のひとつだが、当時は地獄を見たに違いない。


「あのー、トクガイってなんですか?」


 オムライスを頬張りながら月音が訪ねる。


「外出の種類のことや。外泊を伴う外出が特別外出で「特外」やろ。逆に日帰りは普通外出で「普外ふがい」って言うんや」


 特外には回数制限があり、毎回外泊できるというわけではない。先任期は月に2回、後任期は月に1回だけで、あとの外出は全て日夕点呼までに戻って来なければならない。


「私と瀬川と、二人揃って食べ過ぎでフラフラなのに先輩はほったらかしでさ、帰りのタクシー代だけ渡されて後は勝手に帰れって言われたわね」


「対番の当たりはずれはあるやろなぁ。巴のところは割とまともな対番外出やったみたいやしな?」


「早奈子先輩自身、対番外出で酷い目にあったらしいからね。悪い伝統を自分の代で終わりにしたかったって話してたわよ」


 人格者やなぁ、と瀬川は羨ましそうだ。同時にその早奈子の意志を受け継ごうとする巴も人格者であると言えるだろう。良い先輩に巡り会うことができ、自分は恵まれているなと日和は思う。


「巴先輩は誰と一緒の対番外出だったんですか?」


 巴の対番外出はどんなものだったのか気になって訊いてみる日和。


「同じ区隊の大原ってWAFと一緒だったわ。辞めちゃったけどね」


「あっ…」


 しまった、という顔をする日和。思わぬところで地雷を踏んでしまったかもしれない。


「気にしないで。もう過ぎた話よ。同期が辞めていくなんて、そう珍しい話じゃないしね」


 過去の話はこの辺でいいだろうと言うかのように、巴は運ばれて来た料理に手をつけ始めた。見れば若宮や瀬川も、何も聞かなかったかのように振る舞っているので、日和はそれ以上なにも言わなかった。





 「パプリカ」を出た後、一行は防府駅近くまで向かい「えとわーる」という喫茶店で甘味を食べ、しばらく自由行動となった。と言っても制服で外出しているわけだから、好き放題に歩き回れるはずはなく、軽い買い物ぐらいしかできることはない。


 駅前のショッピングセンターをあらかた歩き回った日和は、一人道端のベンチに座って防府の街を眺めていた。月音と秋葉はもう少し見たいものがあるらしく、二人揃ってまだあちこちを彷徨いている。趣味等、好きなことを持たないとこういう時困るな、と日和は退屈そうにため息を吐いた。


「どう? 楽しめてる?」


 突然の声に日和が振り替えると、そこには巴がいた。他に若宮や瀬川の姿は見えない。


「なんとなく、ここら辺で時間を潰しているだろうなと思ったわ。私も一年前は坂井と同じことしていたもの」


 巴は日和の隣に座り、買ってきた缶コーヒーを一本手渡した。他にはなにも持っておらず、日和と同様に買い物をした様子はない。


「あの、大原さんはどうして辞めたんですか?」


 本当は触れるべき話題ではなかったかもしれないと思いつつも、日和は訊いてみる。


「優秀な子だったわ。勉強も運動も生活面も、全てをそつなくこなして、とても素直で真っ直ぐな性格で、私達のまとめ役だった」


 巴がここまで称える程なのだから、それはとても凄い学生だったのだろう。


「だったら、なんで…」


「その子、対番の先輩と一線を越えちゃってね、付き合っていることがバレちゃったの。恋愛に対しても真剣に向き合うような人だっから、それを隠そうともしなくてね。結局その先輩と一緒に辞めていったわ」


 真っ直ぐな性格が裏目に出てしまったのだろうと、巴は語る。すでに過去の話だから気にしていないとは言っていたが、その目はひどく寂しげだった。


「坂井も同期を失って気付いたと思うけど、仲間の様子にはよく気を配って、しっかりと相談に乗ってあげないといけないよ? 気付いた頃にはもう失っていたということは、とても寂しくて悔しいものだから…」


 同じ過ちを繰り返すなと、そう日和には聞こえた。そして同時にそれは、悩んだ時は遠慮なく周りを頼ってもいいという意味でもある。


「…私達には、それが出来なかったから」


「え?」


 日和が聞き返す間もなく、巴はベンチから立ち上がる。もうすぐ自由行動の時間も終わりだ。


 今日は伝統の引率外出。今頃防府の街のあちこちで学生たちが有意義な時間を過ごしていることだろう。

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