銃貸与式

 入隊式から3週目に入り、導入教育期間も半分が過ぎた。


 そろそろ成長の兆しが見えてもいい頃合いだが71期学生の動きは相変わらずで、その日の非常呼集訓練も集合完了まで7分20秒という有り様。基準の5分まではまだまだ遠い。


「先週からなにも変わらんな…」


 訓練の様子を眺めながら5区隊長森脇2尉が呟く。その言葉に他の基幹隊員も頷いた。


「昨年の70期なら、この時期にノルマは達成していたが…」


 今年は不作か、と6区隊長斎木3尉が吐き捨てるように言った。


「ですが、個々の動きは多少良くはなっています。先程中の様子を見て来ましたが、あれでなかなか良い感じに体を動かしております」


 そう語るのは5区隊助教山本3曹だ。彼等助教たちは区隊長らとは別に動き、隊舎の中で学生たちの指導を行っていた。後任期学生たちだけではなく、彼等を指導する先任期学生も含めて、だ。


「実際、入室要領などの個人訓練に関しては完成の域に達しています。多少の個人差こそありますが、大したものです」


 6区隊助教田村3曹が付け加える。後任期たちの良い部分を誉める助教たちだが、やはりどこか物足りないようだった。70期にはあって71期にはないものがある。そう誰もが感じていた。


「君たちがそんな顔をしていてどうするね」


 と、そこへやって来たのは学生隊長の野川2佐だった。珍しい人が来たな、と区隊長助教たちは敬礼をして迎える。


「素質があろうがなかろうが、どんな人材でも一人前に育て上げるのが教育の仕事じゃないのかね?」


「失礼しました。無論、そのつもりでやっております」


 斎木3尉は71期学生を不作と語ってしまったことを反省する。と、そこ中隊長の猪口3佐がフォローに入った。


「とは言え、昨年よりも出来が悪いのは確かです。彼等の素質に文句をつける気はありませんが、我々としても、手応えの無さを感じているところです」


「あるいは70期学生が優秀だった、か。まぁこの際どっちでもいい」


 71期学生に素質があろうがなかろうが、彼等基幹隊員のやるべきことは変わらない。学生隊長は険しい表情で訓練の様子を見つめた。ちょうど非常呼集訓練の為、後任期たちが続々と隊舎前に並んでいるところだった。


「どこか、必死さに欠けているね」


「未だに自分たちの置かれた状況が理解できていないのでしょう。まだここを、自衛隊を、学校かなにかだと思っているのです」


「中隊長が言うのならば、そうなのだろうね。だからこそ、明日の教育の意味があるというものだ」


「あれをやられますか? 群司令は反対しておられたかと」


「さっき決裁を貰った。一種のショック療法だと説明したら納得してくれたよ。先任助教、管理隊から教育資料は貰っているね?」


 用意してあります、と青木2曹が答える。野川2佐はそれを聞くと満足そうに頷き、その場を後にした。





 翌日はとても綺麗に晴れ渡った朝だった。いつも通り身辺整理や朝食に清掃と、慌ただしく時間は流れていき、すぐ課業開始を迎える。普段となにも変わらない朝だが、その日の後任期たちはどこか落ち着きがなかった。


「なんか、いよいよって感じがするね」


 白手袋を着け、身だしなみを整えながら月音は言うが、正直実感が湧かないというのが日和の感想だった。これから予定されているのは自衛官にとって非常に大切な儀式である「銃貸与式」だ。


 航空学生の教育過程中、学生には一人一丁ずつ小銃が貸与される。貸与されるといっても銃そのものは普段武器庫で管理され、必要の都度そこから搬出する為、制服などの官品のように常に本人の側で管理しなければならないものではない。だがこの式で与えられた銃は紛れもなく「その学生の銃」なわけであって、責任を持って扱わなけらばならない。これから行われる儀式は、そのことを学生たちに自覚させるための大切な行事だ。


「よくよく考えれば凄い話ですよね。私達ってついこの間まで普通の高校生だったのに、こんなにすぐ銃を持てるなんて」


「なになに? もしかしてビビってる?」


 重苦しく息を吐く春香に、妙にウキウキした様子で夏希が話しかける。


「そういうわけじゃないですけど、夏希さんは何も思わないんですか? こう、倫理的にというか」


「ゲームなりなんなりで誰でも戦争ごっこできる時代だしねぇ。今更鉄砲見せられたところで驚いたりはしないよ」


「ゲームと一緒にしないで下さいよ…」


 そうこうしていると式の時間が近づき、後任期たちは整列する。少しすると助教たちが庁舎からいくつもの小銃を運んで並べ始めた。


(あれが銃か…)


 玩具と変わらないな、と日和は並べられていく小銃を見ながら思う。先程夏希が言っていた通り、最近はゲームだったり映画だったり、色々なものから情報が入ってくる時代だ。本物の銃を生で見るのは日和も初めてだが、かといって驚くことも怯えることもなかった。言ってしまえばリアリティに欠けていたのだ。


 銃の配置も終わり、他の基幹隊員も整列すると銃貸与式が始まる。あらかじめ式の要領は教わっていたため、学生たちは淡々と一人ずつ小銃を受け取っていく。


「銃、68番!」


 銃番号を呼称し、助教から銃を受けとる日和。この番号は各小銃にふられた管理番号であり、彼女は今後この番号が書かれた銃を「自分の銃」として扱っていくのだ。


(重っ!)


 約4.4Kgの鉄の塊が日和の手に食い込み、一瞬動揺する。普段映画やドラマで軽々と扱われているそれは見た目以上に重たく、冷たくて堅かった。錆び防止の為に塗られた油の独特な香りが鼻を刺激し、磨き上げられた銃身が日光を受けて不気味な程に黒光りしている。


 初めて銃を手にした者たちの反応は様々だ。こんなものかと無感情に受け入れる者もいれば、新しい力を手に入れたことに心踊る者、恐怖に手を震わせる者もいる。


 式自体は何事もなく終わり、学生隊長の簡単な訓示で締め括られた。大事なのはむしろこれからで、この後はAVRにて学生隊長による講話が行われる予定だ。


「案外銃って軽いんだね。拍子抜けしちゃったよ」


 AVRに移動中、物足りないような表情をして夏希が言う。


「えぇ~、そうですか? 私には重たすぎるんですけど。これを持って歩いたり走ったりするって考えるとゾッとします」


「春ちゃんよ、そんなんで弱音を吐いてちゃいけないぜ? ファンシードリルだと、こいつをクルクル回したりしなきゃいけないんだから」


「あぁ~、そう言えばそうですね。先輩たちが持つとまるで玩具でしたね」


 二人は入隊式で見た70期によるドリル展示を思い出す。大人数が綺麗に動きを合わせるだけでもすごいのに、彼等はこの重たい銃を木の棒でも持つかのように軽々と扱っていた。


「私らも練習すればあれくらいできるようになるのかもね。なんか銃を扱うプロって感じ、カッコいいなぁ」


 テンションが上がり、銃を両手で構えてみせる夏希。と、その時だった。


「こらぁ! 陣内ぃ!」


 突如青木2曹の空気が震えるような怒鳴り声が響き、学生全員の体が硬直する。彼は夏希のもとへ駆け寄ると彼女の頭をはたき、小銃を取り上げた。


「えっ、なになに!?」


 状況が理解出来ず、狼狽える夏希。


「いいか? 武器の取り扱いについて教育をしていない俺達の責任もあるから、今回のところはこれで勘弁しておくが、たとえ弾丸が入っていようがなかろうが、遊び半分で武器を扱うんじゃない! 特に銃口を仲間に向けることは絶対にするな!」


 夏希だけでなく、周囲の学生にも聞こえるように語る青木2曹。彼は先程夏希が銃を構える真似をしたことに対して怒っているのだった。


「叩いてしまってすまんな陣内。だが、お前がもつこの銃は玩具なんかじゃない。弾を込めて引き金を引けば撃ててしまう、本物の銃なんだ。その辺を理解して、慎重に扱ってくれ」


「は、はい。すいませんでした…」


 青木2曹から小銃を返してもらう夏希。そんな二人を見て、日和は自分が持つ小銃に視線を落とした。


 模型でもなんでもない、本物の銃。気持ち悪い鉄の匂いが鼻につき、少しだけ重さが増したような気がした。





 銃を持ったままAVRに集まる後任期たち。少しも待たないうちに学生隊長が入り、講話が始まる。内容は勿論、彼等に与えられた銃の取り扱いについてだ。


「早速助教に絞られた奴もいるみたいだな。教育のし甲斐があって結構なことだ」


 やや皮肉を込めて語り始める学生隊長。正面にはスクリーンが用意され、そこにパワーポイントで作られた教育資料が表示されていた。管理隊基地警備小隊が作成した「警備火器安全管理」というタイトルの教育資料だ。


「お前たちが今持つ武器は「64式7.62mm小銃」通称「ロクヨン」と呼ばれる自動小銃だ。1964年採用、豊和工業設計の国産小銃…とまぁ、詳しい緒元は後々教育するとして、ここでは割愛させてもらおう」


 小銃に関するいくつかのスライドが飛ばされ、今回の主題である「武器の取り扱いについて」というところで止まる。


「さて、少しショッキングな質問になるんだが、この中で人を殺したことがある奴はいるか?」


 一瞬、側たちの顔がひきつる。が、すぐに誰かが「いいえ」と答え、当然だなと隊長は頷いた。


「人を殺すってのは意外と大変なことだ。素手でとなるとよっぽど相手が弱くないと殺せないし、なにかしらの道具を使ったとしてもこっちは無傷ではすまないことが殆どだ。だがな…」


 隊長は台の上に置かれた64式小銃を軽く叩いた。


「こいつは違う。銃っていうのは「指一本」で人を殺すことができる。4.4Kgを支える腕力と引き金を引く指の力さえあれば、誰だって人を殺せるようになれる武器だ。そしてこいつは「人を殺すこと以外」の役割を持たない」


 誰もが自分の手元にある小銃に視線を移す。今まで玩具とさほど変わらないと思えていたそれは、今となっては禍々しいオーラを持つ危険な代物のように見えた。


「警察だって拳銃はもっているけどな、彼等が武器を持つ理由は「犯人を威圧し無力化させる為」であって、殺すことは前提ではない。でも我々の場合、有事の時には敵兵を殺すために銃を使わなければならないんだ。そして…」


「うっ!」


 次のスライドに移った瞬間、何人かが小さな悲鳴をあげた。


 そこに写しだされたのは一枚の画像。頭部や体の一部がまるで爆発したかのように吹き飛び、絶命してしまっている男の写真だった。


(な…にこれ)


 あまりに凄惨でグロテスクな写真に日和は思わず吐き気を覚えた。隣の月音はすぐに目を剃らし、直視できないようだった。


 ざわざわと騒ぎ始める学生たち。普段私語を慎めと怒る区隊長や助教たちも、この時はなにも言わなかった。


「64ではないが、それと同じ7.62mm弾で撃たれた人間の画像だ。人っていうのは銃で撃たれると、こんな風に死ぬんだ」


 それは映画やドラマで見られるような、体に小さな穴が開く程度のものではない。引き金が引かれ、激烈な科学反応によって発射された弾丸は、銃身に施されたライフリングによって旋回運動をしながら加速していき、標的、即ち人間に命中すると共に、その抵抗を受けて不規則に曲がって人体を内部から破壊していく。たとえ貫通したとしても、その破壊容積はフィクションのそれとは比較にならない。


「64式小銃だけでもこれだけの力を持っているが、お前たちが将来乗るかもしれない戦闘機なんかはもっとすごいぞ。なにせボタン一つでミサイルが発射され、人間なんか木っ端微塵に消し飛ぶんだからな」


 そうだった、と日和たちは自分たちの置かれた立場を思い出す。ここに集まったのは自衛隊のパイロット、つまり戦闘操縦者になるためであって、民間パイロットになるのとはワケが違う。


 日和たちが将来操る武器は戦闘機や輸送機に関わらず、直接的か間接的に人を殺すことは為の航空機だ。


 そしてそれは当然、自分たちが殺される可能性を持っていることも意味する。


「殺すか殺されるか、お前たちはそういう世界で生きていくことになる。勿論、そんな事態にならないことが一番だが、そういう覚悟を持って日々の訓練に臨みなさい。任務の失敗が仲間の、そして自分の命を落とすことになると自覚していれば、理不尽に設定された集合時間であっても、あの忌々しい非常呼集訓練であっても「遅れてもいい」なんてきっと思わないぞ」


 訓練は実戦のように、実戦は訓練のようにとはよく言ったものである。ここは学校ではなく自衛隊で、自衛隊とは有事に備えることを前提とした組織だ。そんな基本的なことを、日和たちは未だに自覚できないでいたのだ。


(違う、逃げていただけなんだ)


 日和は隣の月音の肩を叩き、しっかりと前を見るよう伝える。


 ここは学校の延長だと、そんな風に軽く捉えていた日和。しかしそれはもしかしたら、自分が普通の日常とは別の世界で生きていることを受け入れられなかったことの甘えだったのかもしれない。


 銃貸与式。それは今まで少年少女に過ぎなかった若者たちが自衛官へと生まれ変わる、入隊式とは別の大切な儀式なのだ。

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