歓迎会

 着隊から3日目になると入隊式の練習が始まった。式は基地の体育館で行われ、すでに式場の準備は整っていた。四方の壁は紅白幕で覆われ、大量の椅子が寸分の狂いもなく、綺麗に整列している。


「これぞ自衛隊って感じね!」


 夏希が鼻息を荒くした。聞けばこの椅子の配置は先輩たちが総動員で数時間かけて行ったのだという。日和たちは自分の椅子に座る際、位置をずらさないように慎重に座った。


 自衛隊の入隊式は高校などの入学式とはワケが違う。静と動をハッキリとさせるため、号令がかかれば即座に動き、それ以外は指先1つ動かすことは許されない。


 まずは「気を付け」で椅子から立ち上がり「休め」で着席するというのを延々と繰り返す。コンマ1秒でも反応が遅れれば動きは揃わない。それがようやく揃い始めても、今度は「敬礼」と「直れ」で同じことを繰り返す。


 なにせ63人が動きを合わせるのだから、これがなかなか揃わない。誰か一人でも気を抜けば動作か遅れ、すかさず周りに立つ助教たちが「遅い」と怒鳴る。最初の一時間はずっとこの練習だった。


 ようやく馴れ始めた頃、休憩を挟んで歌の練習へと入った。学生による「航空学生の歌」を斉唱するためである。


「今は音程とか気にしないでいいから、大きな声を出しなさい」


 5区隊長森脇2尉はそう言って音声係に合図を出した。歌の練習というわけで、日和たちは少し気が楽になった。この辺りは学校の入学式と大差ないだろう、と。


晴れ渡る明日の空に

若き憧れ、輝く翼

光溢れる学舎に

伝統のともすべく

ここに集い励まん

我ら航空学生


 事前に配られた歌詞カードを見ながら日和たちは懸命に歌った。そう「歌った」のだ。わりと綺麗に歌えたんじゃないだろうか、と日和たちは満足気味だ。しかし再び前に立つ森脇2尉の様子は、先程とはまるで違った厳しい表情をしていた。


「なんだ貴様ら、なめてるのか」


 予想外の言葉に日和たちは目を丸くした。


「俺はでけぇ声出せって言ったんだよ! 音程なんか気にすんなってな! 今のがお前らの全力か?  あ?  ふざけんな!」


 地響きのような大声で森脇は怒鳴り、日和たちの体は硬直した。見れば回りの基幹隊員も、今まで見たこともない表情で学生を睨み付けていた。これが彼等の、自衛隊での「指導」である。初めて触れるこの空気に多くの者が圧倒されていた。


 2回目は、それはもう全力で「叫ん」だ。音程など微塵も気にせず、喉が張り裂けんばかりの大声であった。それを基幹隊員たちは満足そうに頷きながら聞いていた。全てを終え、また森脇2尉が前に立つ。


「そうだ。それでいいんだ。お前たちがやるべきことは言われたことを実行することだ。そこには一切の躊躇や疑問は必要ない。ただ今のは流石に野蛮過ぎるからな。今度は少し音程を意識して歌ってくれ」


 しばらく歌の練習や式の流れ等についての教育を受け、その日の練習は終わった。一同はいつも以上に疲れた顔をしており、同時に気合いを入れ直した様子だった。


「自衛隊って感じねぇ…」


「夏希、疲れてるね」


 先程の威勢もどこへやら、すっかり疲労した表情で体育館からの帰り道を歩く夏希に日和は声をかけた。かく言う彼女も、今日の練習には随分気疲れしていた。


「冬奈はともかくとして、秋葉は凄いよね。あれだけ練習して、まだ余裕そう」


「そんなこと、ない…」


 そう答えつつも秋葉は涼しい顔をしていた。と言うより、あまり気持ちが表情に現れないだけかもしれないが。


「案外、大きな声出せるんだね。それぞれ名前を呼ばれて立ち上がる時とかさ。いつもは物静かだからびっくりしたよ」


 いつもは周りの声に掻き消されているせいか、秋葉の声は届かない。一人一人が大きな声を出す機会は、この入隊式の練習が初めてだった。


「声が大きいというより、よく通る声をしてんだよ。ずるいよねぇ。秋ちゃんは絶対カラオケとか上手いタイプだね」


 夏希に背中をバンバンと叩かれ、秋葉は少し嫌そうな顔をした。夏希の言うとおり、秋葉は決して声量があるわけではない。そういう場面でも全力で声を出しているわけではない。これは声質の問題で、秋葉の声は遠くまでよく届くような澄んだ声をしているため、聞いている側は大きい声だと勘違いしてしまうのだ。これは大きな声を要求されやすい自衛隊において大変有利であり、彼女の生まれ持った才能と言える。


「そう言えば話変わるけど、今日は課業後に歓迎会があるらしいよ」


「歓迎会? 私たちの?」


 夏希は頷く。


「2000から2100まで、各対番区隊ごと教場でやるって」


 対番区隊とは名前の通り先任期と後任期で組まれる対番関係の区隊版だ。1区隊と4区隊、2区隊と5区隊、3区隊と6区隊がそれぞれ対番区隊となり、日常生活はもとより、今後様々な競技会等で協力し合うことになる。各隊番区隊は「いちよん」、「にーごー」、「さぶろく」と呼称され、それぞれ赤、緑、黄のイメージカラーが存在する。


「歓迎会って言うくらいだから、きっとケーキとか色々出るんだろうね!」


「ケーキ…」


 楽しみだな、と夏希と秋葉は二人して涎を垂らす。多分そこまで大々的にやるものじゃないだろうと日和は苦笑いするが、なんにせよ先輩たちが自分たちのことを歓迎してくれているというのは嬉しいものだった。



 ベッドメイク等をすませた後、2000に先任期区隊教場へ集合するよう伝えられた日和たち。日和と月音の引率をしてくれた若宮は途中の自販機で何本かのジュースを買ってくれた。その頃巴は基地のコンビニ、BXで大量のお菓子を買い揃えて教場に向かっていた。


「さぁて、早速始めるか!」


 全員が教場に揃い、1区隊のお調子者な田辺がホワイトボードに大きく文字を書き始めた。題して「第1回いちよん団結会」だ。軽快にペンを置き、檀上に立ち上がる。


「入隊予定学生諸君、まずは合格おめでとう! 今日は諸君の着隊を歓迎して、ささやかではあるけども、こういった催しを企画させてもらった。ここにいる面子は、これから一年間協力して戦っていくことになる仲間たちなわけだ。この催しで親睦を深めあい、融和団結を図ることで結束力を高めることができたら嬉しく思う! 乾杯!」


 田辺に合わせて一同はジュースの入ったペットボトルを高く掲げる。教場の机は事前に先任期の手によって隅に寄せられ、全員が円になって座れるスペースが用意されていた。が、一つの教室に40人強、学生たちは仲良く身を寄せあって座る。


 乾杯の後はそれぞれ自己紹介が行われた。氏名、意気込み、希望機種等を後任期たちは順番に発表していく。自衛隊のことをまだよく知らない日和は、希望機種、つまり将来乗りたい航空機は? と問われて困った。なにせ航空自衛隊にどんな機種があるのかわかっていない。だから「戦闘機」と答えたのだが、お調子者の田辺は即座にツッコミを入れてきた。


「おいおい、それじゃ飛行機に乗りたいって言ってるのと同じだぜ。制空戦闘機か支援戦闘機か、15かF2か、はたまたミグかスホーイか…」


「やめろ田辺。誰もがお前みたいにミリオタなわけじゃない。あとミグやスホーイはロシア機な」


 田辺は隣に座っていた同期に頭をひっぱたかれた。動揺する日和だが、気にするなと巴は日和を撫でた。航空自衛官として、せめて自衛隊がどんな航空機を保有しているかくらいは知っておくべきだが、入隊当初から熟知している必要などない。航空学生として入隊する者には、あまり自衛隊に詳しくない、純粋に空に憧れてやって来た者だって少なくないのだ。


 月音の希望機種はボーイング777、政府専用機だった。もともと民間の航空業界を舞台にしたドラマを見て空に憧れたというのが彼女の入隊理由だった。


 だからなのか、月音もあまり自衛隊には詳しくない。戦闘機にも興味はなく、乗るなら輸送機がいいと彼女は語る。それでも、少なくとも自分よりは飛行機に詳しい月音を見て、もっと勉強しなければと日和は感じていた。



「それにしても、いい時代になったよな」


 自己紹介も一通り終わり、歓談が続く中で1区隊の森田が呟いた。


「なにが?」


 隣に座る橋口がスナック菓子を頬張りながら訊く。


「WAFにも戦闘機パイロットへの道が開かれてもう十年、航学にも女性学生の率が増え、今年もこんな可愛い子がこうして入ってきたというのは嬉しい話じゃないか」


 WAF(ワッフ)とはWoman in the Air Fouceの略称で、女性航空自衛官のことである。陸上自衛隊ではWAC、海上自衛隊ではWAVEと呼んだりもする。もともとは米軍の空軍婦人部のことを指していたが、自衛隊ではもっぱら女性自衛官を呼ぶ際にこの言葉を使っている。


「こら、森田!」


 巴の目が鋭くなる。


「私の坂井に手を出したらただじゃおかないからね」


「僻むなよ木梨。言われずとも、学生規則「学生間の恋愛はこれを禁ずる」だろ。重々承知してますよ。だがな、ここを卒業した後ならこの限りではないんだぜ?」


 そうだそうだ、と周りの学生も森田に同調する。


「木梨はどうか知らんが、坂井だって人間なんだ。色恋沙汰に興味がないわけない。坂井、お前地元に彼氏とかいるのか?」


「へぇ!?」


 唐突にこんなことを訊かれたものだから変な声が出てしまう日和。正直なところ、現時点では彼氏なんていないし、これから作る予定もないのだが、そう答えてもいいものだろうかと日和は狼狽えた。と、その時。


「その辺にしときなさい。あんまり突っ込むとセクハラになるわよ」


 若宮が森田の頭を空き缶で叩いた。クァンとなんとも良い音が響き、一同は一斉に笑い出す。話が流れたようで、日和はほっと一息吐いた。


「まぁ、たとえここを卒業した後でも、あんたたちが坂井に手を出すことは私が許さないからね」


「木梨は一体坂井のなんなんだよ。親か?」


「対番よっ」


 胸を張って答える巴。それなら仕方ないかと諦めた様子の先任期を見て、彼等にとって対番とは家族同等の存在なのかと日和は感心する。


 だがそんな彼女をよそに、学生間での恋愛は禁止だということを知った月音、そして後任期男子学生たちは明らかにテンションが下がっており、日和は苦笑いするのだった。



 入隊予定学生の歓迎会は大いに盛り上がり、あっという間に終わりを迎えた。教場の片付けをした後日和たちは解散を告げられ、隊舎へと戻ることになった。その際、30分後の2130にAVRと呼ばれる講堂に集合するよう指示された。


「はぁ…恋愛禁止なんだねぇ」


 部屋に戻り、大きなため息を吐く月音。力尽きたように、それでも整えられた毛布を崩さないようにベッドに寝転がる。


「まだそのこと気にしてたんだ?」


 日和は半ば呆れたように言う。先輩に言われた「学生間の恋愛はこれを禁ずる」というのは航空学生規則に明文化されているもので、学生はその生活において学業に専念すべきという理念に基づいている。まるで部活のルールのようだが、こちらはちゃんとした規則に定められているものだから、当然その重みは違う。過去にはこれが問題となり、航空学生過程を免ずることになった学生もいたほどである。


「でもさ、でもさ、やっぱり少しは期待しちゃうじゃん。これだけ選りすぐりの男の子たちが集まる世界なんだよ?カッコよくて頭も良くて運動もできて、そんな理想的な人がいるかもしれないじゃん!そして…」


 月音は立ち上がり日和を指差した。


「60人近い男の子に女の子は私たち6人だけ! 逆ハーレムだよ! どんなゲームだよ!?」


「まぁ、言わんとすることは分かるけど…」


 それが目的でここに集まったわけでは勿論ない。むしろ良い彼氏を捕まえたいなら大学にでも進学して、合コンなりなんなり充実したキャンパスライフを送ればいいじゃないか、と日和は思う。すると月音は「分かってないなぁ」と、ややオーバーに首を振ってみせた。


「当然、私だってパイロットになるためにここに来た。けどさ、一つの目標の為に全力を注げる人間ってすごく限られているわけじゃない? 少なくとも私はそう。なにが言いたいかというと、夢とか目標以外にも心の支えになるものはあったほうが良いよってこと」


 成る程、と日和は頷いた。月音の言うことにも一理ある。夢に向かって努力する過程で、当然挫けそうになる時もある。そんな時心の支えになるのは家族であったり、恋人だったりするのだろう。これは今までただ漠然と生きてきた日和には気付けなかった部分だ。


「私だって一人の女の子だもん。ドラマチックな恋とかに憧れちゃったりするわけなのさ~」


「…ちんちくりんが何言ってんだか」


 部屋に戻ってきた若宮は妙に上機嫌な月音を見て言い放つ。


「それ、もしかして体型のこと言ってます?」


「さあ?」


 胸を押さえつつ睨む月音を若宮は軽く受け流した。すっかり彼女の扱いに慣れてきたようだ。


「先輩はどうなんですか? そういう系の話、持ってたりしないんですか?」


「ないわね。少なくとも学生間ではない」


 自分の席につき、缶ジュースを開ける若宮。その様子はどこか達観していた。


「長い学生生活だし、二人の気持ちも十分分かってるつもりだけど、規則は規則よ。自分のためにも仲間のためにも、馬鹿な真似はやめときなさい」


 返事をし、顔を見合わせる日和と月音。馬鹿な真似、という言葉の意味がいまいち理解できなかったが、あまり深くは考えないことにした。


「それより、そろそろ部屋を出たほうが良いんじゃない?」


 若宮に言われて時計を見れば、次の集合時間まであと10分だった。


「本当だ。すいません先輩、ありがとございます」


 いいよいいよ、と若宮は手を振った。日和はすぐに部屋を飛び出し、月音も後に続いた。と、その時。


「菊池、メモ帳持っていきなさい」


 若宮は月音を呼び止め、机の上に置き忘れられたメモ帳を指差した。慌てて戻り、メモ帳をポケットにしまう月音。


「すみません、行ってきます」


 頭を下げ、再び部屋を出る月音。ほぼ無意識に先輩の言葉に従った彼女だが、この時点でなぜ若宮が月音を呼び止めたのか、この時は日和も月音も知るはずがなかった。

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