三章(11)

「そんなこと言われると、余計に焦るんだが……おっと」


 ぼっ。


「ついた」


「ついたね」


 点火できないついでに、責任転嫁しようとしていたが、所詮はコンロだ。あっさりと火は付いて、薄暗い部屋がそこだけ明るくなる。少しだけ。


「ふー」


 一仕事やり遂げた感じを出して、火を眺める。鍋もフライパンもない、行く先のない火はまるで僕たち二人みたいだ。

 燃え続けて、燻って、一体どこに行くというのか。


「じゃあ」


「うん、じゃあ行くの」


 二人の手がほぼ同時に、煙草の先を火に付ける。触れた秋野の手が熱いのは、火のせいだけじゃないだろう。


「……」


「……えっ」


 余計なこと考えてたら、秋野の手が離れてしまった。

 もう十分に火は付いたらしい。危ない危ない。僕一人だったらいつまでも炙り続けて、手まで焼いていたかもしれない。


「……おっと、換気扇つけないと」


 空いていた片方の手で、換気扇のヒモを引く。

 ぶおおおお、と間抜けな音ばかり大きくて、大して換気されている気がしない。


「さて、と」


 意を決して、煙草に口を付けるがなんともない。ちょっと臭いだけだ。吸わないと駄目か、やっぱり。なんでこんなものを。


 すうっ。


 煙を吸い込むその瞬間、煙草を直視したくなくて、秋野に目をやった。


「……」


 秋野は吸うでもなく、吐くでもなく。ただ口に咥えてこちらを見て、




 微笑んでいた。




「……げほっ! ううう! がっは!」


「大丈夫?」


 煙草が流し台に落ちて、じゅっと音がする。

 口が、喉が、肺が、分からないがあっちこっちが痛い。

 涙が出る。

 だけど、だけど、だけど。それよりもっと痛いところが他にあった。


「秋野、おま、っげえ! おえっ」


「無理して喋らない方がいいの」


 時間はいくらでもある、大丈夫、無理して喋らない方がいい。


 そしてあの仕草。


「……吸ったことあるのか」


 それが何がいけないのか、と問う冷静な自分の声もあったが、それをかき消すくらいに、おぞましい声が出た。


「うん、ごめんね。何回かあるの」


 何で、何で、何で。

 何で、謝る?


 みじめじゃないか、そんなの。


 僕が。

 僕が僕が僕が。僕が!




 ぱあん。




「……えっ?」


 自分の間抜けな声で現実に戻る。

 左手がじんじんと痛む。

 秋野の頬が赤くなっていて、鼻からはさらに赤い液体が流れている。


「……ふ、ふふ、ふふふ」


 どこかで聞いたような笑い声。


「秋野、その、ごめん、僕、」


「優等生だから、ね」


 自分の頬を撫で、鼻に触れ、べっとりと付いた血を、愛おしそうに眺める秋野。




「初めてだな、叩かれたのは」


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