三章(10)
それから僕の家に着くまで、全くの無言であった。永遠と思えるような、永い時間、だけど、不快な感じは全くなく、隣を歩く秋野の、真っ赤な顔を見るだけで、それで幸せと思ってしまった。
こいつ、照れたりするのか。
いっそのこと、このまま何処にもたどり着かなければいいのに、何処までも歩いて行けたらいいのになんて思ったが、あの頃と同じで、ずっと同じものなんてなく、気が付いたら家が見えてきてしまった。
自宅がこんなに腹立たしかったのは初めてだ。
いつもの景色、いつもの感触、いつもの匂い。
他所の家の匂いとは違う、安心する、でも今日だけはどこか落ち着かない匂い。
臭いとか思われてないだろうか、とか。
「じゃあ、始めようか?」
「うん。始めるの」
大して広くもない僕の部屋の、玄関入ってすぐのところにある狭い台所で、二人は立ち止まる。両手の缶は置いた。秋野は煙草のフィルム? 箱の回りのヤツをぺりぺりと剥がしている。なんか、慣れたような手つきで。
……なんだろうか、この気持ちは。さっきとは別の意味で落ち着かない。
「どうしたの、見蕩れちゃった?」
「ああ、いや、緊張しちゃって」
嘘のような、嘘でないような。今、心臓を打つのは煙草ではなく、秋野だ。何だ、何が引っかかった?
「はい、これ」
秋野から煙草の一本を渡され、思考が中断する。
「へえ、これが」
思ったより、軽い。そして短い。こんなものが覿面に健康を害するのだから、驚きだ。この茶色っぽくなってるところに火をつけるのか? 花火ってどうなってたっけ。
「ドキドキするね」
秋野の手元を見ると、僕とは反対に、茶色の方を内側に持っている。人差し指と中指で。なんだそっちか、と思う反面、心にある靄が一層濃くなった気がした。ええい、今から煙草を吸うんだ。そんなもん気にしていられるか。
カッコつけないと、嘘だと思うし。
「点火ー」
今更ながら、少しでも余裕を見せようと、おどけてコンロに火をつけるが、ちちち、と鳴くだけで、火が付かない。かち、ちちち。かち、ちちち。
「くそ……」
「大丈夫、時間はいくらでもあるからね」
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