三章(9)

「決まりだね?」


「いや、別に決まりじゃなくないか、秋野の家でもいいじゃないか」


 あ、まずい。

 言ってから気が付いた。これは駄目な奴だ。


「有川君は、私が家にきたら、いや?」


 目を潤ませる秋野。小刻みに震えているようにも見える。

 演技だろうなぁ。これ。


「いや、じゃない、別に……」


 乗せられてる感じが半端じゃない。まるで、ドッキリと分かっていながら、驚いたフリをしているような、なんとも腑に落ちない気分だ。


「やったー!」


 言いながら、ぴょんぴょん跳ねる秋野。涙なんか一切零れていない。


「ほんと、良い性格してるよ」


 僕の家に向かってスキップをする秋野(この年齢でスキップを!)を、誰かに声をかけられたら、なんとか、知らない人ですと言える距離をキープして、後を追う。両手には缶が一つずつ。酒と、煙草か。部活に属していた時は、こんなもんやるものかと思っていたし、実際、今でもちょっと思っている。酒はともかく、煙草とか、匂い付きそうだし。服と体はそりゃ、洗えばいいけど、部屋はどうしよう。まさか喫煙所で吸うわけにもいかないし。ベランダとかでいいかな。


「なんかさ」


「ん?」


 釣り上げられた魚みたいに、飛んで跳ねていた秋野が、急に足を止める。

 その表情はさっきまでと違う、よく見覚えのある、そうだな、優等生秋野って感じの雰囲気をまとっている。オーラというか。


「こんな風になるって、思わなかったの。今日まで生きていたことが不思議なぐらい」


「……あー」


 そういえば、お互いに死のうとしてたんだっけな。すっかり忘れていた、わけではないけど。むしろ、いつも心の片隅にあって、暖かい気分になるたびに、スッと冷やしてくれてたぐらいなんだけど。


「有川君は、もしかして迷惑だったりするのかな。面倒な女に絡まれたとか思ってたりするの?」


「確かに、今ちょっと面倒だとは思ったけど」


「うん」


 精一杯の皮肉に、怯む様子もなく、こちらを見つめる秋野。少し、優等生から不良少女に戻った気がする。


「そもそも、死のうとしてたんだぜ、お互い。面倒だと思ってたら、さっさと死んでるだろ。少なくとも今日、生きようと思うくらいには……駄目だ」


 うわあ、恥ずかしい。何この、じわーっとした感じ。心臓がお湯につけられたみたいだ。勘弁してくれ。


「言って」


「いや、分かるだろ」


「言って」


 何この押しの強さ。手帳の時以来じゃん。


「言って」


「だから、その、お前だってそうだろ? 生きたくなったんだよ、悪いか」


「ううん」


 きっと同じ気持ちだろうというのは傲慢だろうか。いや、違うな。何故だか分からないけど、秋野も同じだろうという気がする。ほとんど確信だ。確かめるまでもない。

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